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未成年

この投稿は2020年10月3日にAmebaで公開した記事の再掲となります。


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the GazettEには高校1年生のときに出会った。

当時も今も、私はX JAPANが好きであり、私にとっての音楽はX JAPANから始まったので、the GazettEの音楽は幾分か安っぽく聴こえた。

今はそうは思わないが当時の私にとっては、
どれだけ激しいか、どれだけ速いか、どれだけ音の数が多いか、どれだけそのバンドの生き様が格好いいか、それが大事だったのである。
だから、初めて出会った時には聴く気になれなかった。
しかし、V-Rock Festival 09に出演した時の映像を見て、初めてBefore I Decayは良いと思った。
その曲は、激しく、速く、カッコ良かったのである。



最初はそのライブを録った、音質も映像の画質も最悪なVHSで、何度も何度も聴いた。
その後、YouTubeの、これもまた音質が悪い、違法アップロードされたMVをいくつか見るようになった。
ある時、アルバムを通して聞いてみた。
DISORDER以前のへなちょこボイスはあまり好きになれなかったので、NILとStacked Rubbishを聴いた。よく分からないが、程無くして何となくthe GazettEを聴くようになった。
そして、思ったのである。
あぁこのバンド、「カッコ良い」だな、と。
ロックバンドはカッコよくなければロックバンドではない。
私にとってのその定義を、the GazettEは満たしていたことに気付いたのだ。


「未成年」という曲がある。

歌詞のある一部分が、自殺を助長しているなどと言われたこともあるが、私はこの歌詞が好きだ。
このバンドは、ボーカルであるルキが全ての曲の詞を書いている。
このバンドの初期の歌詞は、彼本人も言うように長く、メッセージ性が強すぎるものが多い。
私にしてみれば、繰り返しもないあの長い歌詞をよく忘れもせずに歌いきれるものだ、と感心する。
その長く、メッセージ性が強すぎる曲の一つが、この未成年だ。

未成年という曲は、その曲からも察せられるように、恐らくはティーンネイジャーの多い、彼らのファンに向けて書いたものであろう。
自分とは何者か、迷うことの多い未成年は、時に自らの格好を派手に着飾り、時に周りに攻撃的になり、時に大切な人すらも傷つける。そして、それが「自由」なのだと信じている。
でも、そうしてばかりではもっと自分を見失ってしまう。一度立ち止まって一息ついてみると、自分の周りには自分を見ていてくれる、親や仲間たちがいてくれる。
素晴らしき家族や仲間をもった、この最高の日々を実は持っていたということに気づけたなら、自分の、この小さなプライドを捨ててでも、たとえ痛みが伴ってでも、本当の「自由」を手に入れるために、飛び出してみたい。

最終段なんてまさにヤンキーっぽくて、青い歌だななんて思えるのだが、26歳の今、当時36歳のルキが歌っている未成年を聴いた時に、これは今の私にも響くものがあるということに気づいた。

「自由」が欲しい。
それを求めて、保持している気になっている私のプライドなんて、所詮逃げるための口実に過ぎないのだ。
本当の「自由」が欲しいなら、この小さなプライドでできた翼が千切れることを恐れずに、大きな空へ飛び立つしかないのだ。
きっと、そうして見ないと、私が見てみたい景色なんて見ることはできない。
そう、気付かされた。

今の仕事は長く続けるものではない。
そう考えていることは別に問題ではないだろう。
だが、それを選ぶのは逃げ道としてではない。
世界を見てみたい。世界中を、この目で見てみたい。
だが、それを逃げ道として進むべきではないのだ。

26歳。何とかかんとか“自分なりのステージ”に立つようになった私は、「未成年」の歌詞にあるメッセージを、誰かに向けて歌う存在になってしまったのだと思っていた。
そう、年齢というルールに思い込まされていた。
しかし、私は今でも「未成年」を歌われる側なのだ。
なぜなら、私は今でも「自由」を求めて足掻き続けているからだ。
そして、この曲を節目節目に歌うルキもまた、きっと「未成年」を歌いながらも、その歌詞を噛み締めているのだ。
なぜなら、彼らthe GazettEは今でもずっと、「自由」を求め続けているように思えてならないからである。
私よりも10年以上先を生きる、カッコいい先人であるthe GazettEが、今でも未成年を歌い続けていることは、私にとっての救いである。
彼らは今でも尚、「自由」を求めて足掻き続けているのだと知ることができるから。
だから私も、飛び立った先が落下点だとしても、そこには「自由」があるのだと信じて、走り続けてみようと思う。

「Nameless Liberty」“名前のない自由”

かつて、the GazettEはツアータイトルや節目のライブに「Nameless Liberty」という名を掲げていた。「名前のない自由」すなわち、人それぞれの「自由」。
2010年の東京ドーム公演を境に、この名を掲げる事はなくなったが、いつかまた使ってくれるときは来るだろうか。
もしその時が来たなら、そこに集まる人々の、それぞれの自由の中に、私もまた、尚も持ち続ける「Nameless Liberty」を胸に秘め、加わってみたいと思う。

the GazettE「第九」のライブ開場の画像
the GazettE 「第九」 横浜アリーナにて

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