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「人生は旅である」

「人生は旅である」という言葉を松尾芭蕉は残してこの世を去った。

何気ない一言だけれども、これは自分の経験や他人の経験を相乗することによって、初めて血が通う言葉であるなと思う。

自分もそういう意味ではずいぶん長く旅を続けてきた。この世に生を受けてから、いつの間にか小学生になり、気づけば高校を卒業して、京都の大学の門戸を叩いた後に、今新たな境地で卒業に向かって足を進めているところである。

ただ、そういった旅はもちろん発展途上であり、まだまだこれから長く続いていくだろうと現状は仮定している。そしてその旅の道中では、常に自分が見たい憧憬を求めて今の世界を歩いている。その景色を見て考えて、問い続ける、そんな人生が好きだ。

そしてこれからもそういった欲望は変わらず生きていくんだろうなと思っている。


ついさっき、会社の社員の方とご飯を食べてきて、とある社員さんの生い立ちを聞いてふと「人生は旅である」この言葉が脳裏をよぎった。

その人のエピソードをちょっとだけ用いながら、そんな言葉について考えていきたい。

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その人は、京大出身で誰がどう見てもエリートだと判断される学校に通っていた。それはそれは毎日死ぬほど勉強したそうだ。

しかし、大学に入ったと同時に燃え尽き症候群に陥り、そもそも大学に行く気力をなくしてしまったそう。世の大学生の半分ぐらい、いやもっと多いかな?そんな状態になったらしい。

その状態で何をやっていたのかというと、ずっと引きこもってゲームだったそうだ。 その生活を大体10年ぐらい続けたのだとか。

そこまでやり続けると当然の如く問答無用でうまくなる。なんと、とあるゲームで全国20位ぐらい?に入ったらしい。(10位だったかな、ど忘れ)

そしてそのゲームをやり続けた結果、自分でアプリを作っていたのだとか。(ある程度の収益は出たそう。)

そしてそういうこともあってからか、今の現職である「エンジニア」に行き着いたのだそうだ。

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人生には、必ずと言って良いほど祝祭が待っている。つまりそれは旅の道中における予定不調和な結果と同義で、そこには不確実性と突発性が伴っている。新しい人との出会い、結婚、他にもいろんなことが想定される。

そういった些細な祝祭を元に、人の人生は大きな変化を伴っていく。もちろん悪い変化も含めてそれは起こりうることなのだ。

その変化に私たちは一喜一憂し、嘆き悲しむこともあれば満面の笑みを浮かべることだってある。しかしそれはその時だけの感情にすぎず、月日が経つにつれてその輝きはだんだんと薄色に変化していく。

ここで本当に重要なことはといえば、その感情という名の色が、そういった祝祭を経験するごとに複数上書きされていき、結果的にその人独自の輝きへと昇華させることだ。

その独自の色が確固たる自分というものの証明となり、その人を表す代名詞になる。そしてその色は現状維持も変化させることも可能で、どの色になるかは自分の旅次第なのである。

色に正解がないように、人生に正解があるわけでもない。お金持ちの人生、エリート街道を歩む人生が全て正しいわけではないと思っている。

その独自の色を求めて、壮大な旅を満喫した上で床に着くのが最高だろう。そんな人生を送りたい。

人生は旅である

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