子どもたちは巣立っていく。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』2、ブレディみかこ
先日読んだ、ブレディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』がすごくよかったので、続編を入手。中学生になって、大人の世界をのぞきだした男の子が、母親から精神的に巣立っていくお話らしいと聞いたので。
なぜかというと、うちでも娘が巣立ったからです。最初の一週間は、生活のリズムの変化に慣れなくて、ちょっとロス。その状況を打開するために、ブレディみかこさんの助けを借りたかったというわけ。
季節が移り変わると、お付き合いする人も変わっていきます。みかこさんのご近所には、移民の家族がやってきたり、長年お隣だった人が引っ越してい行ったり。空いた家に、若い夫婦がやってきて、数カ月後にシングルマザーと子どもが残ったり。
息子さんも中学校に慣れていきますが、友達とケンカしたり、仲直りしたり。同じ中学校にやってきた、やはり白人ではない女の子が不登校から合唱部を経て、人気者になったり。
前作が、ローティーンの息子さんのよちよち歩きを母親のみかこさんが見守りつつ、サポートする様子を描いた本だとしたら、この本は息子さんが、イギリス生まれイギリス育ちの一人の男の子として、自分の足で立ってあるき出した背中を見送るような本。
息子さんには新しい友だち関係ができて、父親や母親と息子の領域の他に、彼個人の領域ができる時期。もう、母親に頼らないことが増える事実に、みかこさんが気づいてハッとするような、そんな本です。
この『ぼくはホワイトでイエローで、ちょっとブルー』という本は、息子さんがカトリックの小学校から、元底辺中学校に入学するエピソードで始まったわけですが、その学校選択をめぐってお隣に越してきたお母さんと、みかこさんと息子さんの会話のやり取りがいいです。
でも、ライフって、そんなものでしょ。後悔する日があったり、後悔しない日もあったり、その繰り返しが続いていくことじゃないの?
息子さんのセリフ、素敵ですね。うちの娘は、思春期になっても自分をうまくコントロールして、反抗期らしいものはなかったですし、親に隠している話もあっただろうけれど、それを知られないようにもしていたみたいですし。男の子と女の子はやっぱり違うなあと思いつつ、見事な物語のエンディングを楽しみました。
人間の本質についてわたしが本当に知っているたった一つのことは、それは変わるということである。 オスカー・ワイルド