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”金枝玉葉”でせつない『天官賜福』3巻、墨香銅臭

『天官賜福』日本語訳2巻の続きがになり過ぎて、入手した台湾版の3巻(第40章から67章まで)。ストーリー追って、さくさく読んだ中で、気になったところの感想をまとめました。4巻以降の話題は書かないようにしたつもりですが、万が一でもネタバレ嫌な方はご遠慮ください。

感想は、まず中秋宴から。人間界では中秋といえばお月見ですけど、天界では人間界を見て(?)楽しむ模様。自分が登場する劇を、妙に冷静に分析している主人公がおかしかったです。そして、三千の灯のシーンではなんともいえない幻想的なイメージが広がりました。そして、これが後のあのシーンに必然のようにつながっていくかと思うと、伏線の上手さに唸ります。

同時に、主人公と対照的な雨師のエピソードとの組み合わせも絶妙。どちらも読者に「美しい」と思わせてくれる書き方で、雨師の天界での立ち位置や、地に足のついた誠実さ、今後への伏線、おまけに中国の農本思想的なものも垣間見れて、1エピソードで複数おいしい構成力。

雨師と裴将軍の絡みでは、天官の寿命みたいなものの説明がありました。天官は一応死なない存在ですが、人界の人間が信仰してくれないと天界でも法力が弱まって、フェードアウトする設定なんですね。つまり、天官は天界で「人間からの信仰」というリソースを奪い合わないといけなくて、負けると新陳代謝の憂き目にあうと。4巻以降、この手の話題が何度か出てきて、ストーリーに深くからんでいきます。

さて、3巻では中国語ならではの恋愛小説(?)のレトリックを体験できたのが、個人的にはすごく印象深かったです。三郎が自分の「意中の人」のことを主人公に聞かれて、素直に好きな「他」(=彼)のことについて語る部分があります。小説の読者は文字を読んでいるので、三郎が誰のことを言っているのがわかるし、とりあえず三郎と主人公の会話も滞りなく進みます。でも、三郎の言葉と主人公の気持ちは絶妙にすれ違っているという! なぜなら、中国語では彼も彼女も同じ「ta」の発音だから。

主人公は、三郎の言う「ta」が「彼」だとは思わないから、性別的にはフラットな(でも好きな人というレベルでは最高級の)「金枝玉葉の貴人」表現で会話を続けます。そういうところで、読者には主人公の勘違いと動揺がわかるし、その後の「自分は三郎が思ってくれているような人間じゃない」みたいな言い方にもつながるという。ここの文章表現のさじ加減、本当に絶妙です。

こういうレトリック、中国の小説(特に大きな愛の物語)ではあるあるかもしれないですけど、私は初体験。なつかしい「金枝玉葉」表現も加わって、10分くらい本を抱えてジタバタしてしまいました。中国語だと、こういう微妙な表現ができるんですね。この部分、日本語訳するときどうするんでしょうか?

原文のまま「彼」と訳すのは直球すぎてダメだから、「その人」みたいな中性的な言い方が無難ですが、それだと三郎がちゃんと正直に言ってるのに主人公に伝わってない、もどかしい感じがイマイチ出ません。いや、むしろ男女の区別がない「ta」という言葉だから、三郎も自然に口にできているはずだし。このあたり、翻訳者の腕の見せどころですね。もしくは、中国語の小説ではありがち表現なので、さっくり無難に翻訳して終わりなのか。日本語訳の3巻発売が楽しみです。

さて、3巻のメインストーリーは、ものすごく悪い運命に生まれついた人を、別の人の運命と取り替えるお話。中国の昔話では割りとよくあるパターンなので、私も慣れてはいたはずだったんですが。そして、信じていた人が実は・・・というのも、日本では信じられないくらい中国映画・ドラマあるある(『破氷行動』でも『山海経』でもあった)。でも、まさか天界で一番常識的で人間味があってまっとうだった風師に災難がふりかかってくるとは予想もしませんでした。ああ、安定の「作者の手のひらの上」状態。しんどい。

おかげで3巻を読み終えたとき、ちょっと(かなり)放心状態でした。そして、4巻を手に取って、今後これ以上の地獄な展開がだったらどうしようかと怖くなりましたが、まあ、ラストがハッピーエンドなことは随所から聞こえてきていたので、なんとか続きを読むことができましたが。辛かった。

以下、余談2つ。

主人公が三郎に字を教えるシーンが出てきましたが、これ、書いてある以上に私には仲の良しシーンに読めてしまいました。というのも、中国の書道の教え方は、以前映画で見たシーンがあまりにも日本と違って印象に残っていたので。3巻でも、それ以降でも、書道の練習するシーンではこれをベースにしたビジュアルしか浮かばなくて困りました。

張陽監督『愛情麻辣燙』(1997年)

それから、久しぶりに「金枝玉葉」って表現をみたら、もうレスリー・チャン(張国栄)の映画『金枝玉葉』(香港、1994年)が頭から離れなくなってしまいました。アニタ・ユン(袁詠儀)演じるウィンが男装して、プロデューサーのサム(レスリー)と知り合い、だんだん惹かれあっていくあの名作映画。なつかしすぎます。

30年前の作品ですが、レスリーのファンは彼をよく知っていたから、ラストの「男でも女でも、君が好き」ってセリフが深かったし。テーマソング「追」は今でも歌われる名曲ですが、歌詞の内容がなんとなく、主人公の「三郎と知り合って、幸せってこんなに単純だってことがわかったよ」(4巻だったかな?)のセリフと結構重なる気がします(自分調べ)。そういえば、レスリーの愛称って、確か哥哥でしたね。

レスリーが旅立って今年で20年。毎年4月1日はファンがレスリーを偲ぶ日です。今年は大阪の映画館では彼の20周年を記念して、1日だけ『流星』を上映してましたし、今後有名な『覇王別姫』もデジタルリマスターとかあるとのこと。『金枝玉葉』は絶版で、今は多分UNextしか見れないはず。週末、久しぶりに見てみようかな。




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