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英語という黒船。『英語襲来と日本人』斎藤兆史

1万円、5千円、千円札。
現在日本で発行されている紙幣を額の大きい順に上から並べると、右端に福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石が並ぶ。この顔、この並びがそのまま日本の英語受容史である……

福沢諭吉は、それまで修めた蘭学を捨て、開国と同時に大量に流入しはじめた英語を手探りで勉強した偉人。
新渡戸稲造は、福沢より28才年下で、物心つくころ日本は明治維新を経て欧米志向の時代。英語偏重高等教育の申し子だったという。

そして、新渡戸より5才年下の夏目漱石になると英語万能主義は翳りを見せる。幕末以降、三人の生きた時代と英語教育事情、彼ら自身の資質を明らかし、筆者はいまどきの幼児期の無意味な英語教育と、高等教育における安易な英語教育を批判する。

第二外国語としての英語というような言い方が、カナダでもインドでも、オーストラリアでもなく、大正時代の日本で定着していた摩訶不思議。先達の言葉を引用し、著者は言う。

日本人の悲しさで、何か新しい方法が輸入されると、それが一番良いものになり、それを唱道していれば、進歩的教育家として納まっておられる習俗がある」。教育というところを、政治とか経済とか、いろいろ入れ替えても使えそうな文言。

言語関係の仕事にいるので、現実感ともなう話が多くておもしろかった(自戒もこめて)。中でも一番興味深かったのは、オランダ語を専門とした長崎通詞たちの英語チャレンジのくだりと、現代にジョン・万次郎が過大評価されている点を指摘している箇所。
この英語教育の歴史を読みながら、自分の知識の範囲にある日本の中国語教育の歴史を比較してみると、なんだか万華鏡のような日本が見える気がする。

歴史的に英語教育を考えたこの本以外に、著者には偉人たちの英語習得をまとめた『英語達人列伝』(中公新書)もあります。こちらも超絶おもしろいです。おすすめ。


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