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家族だからできること、家族にしかできないこと。『我が家のヒミツ』奥田英朗


偶然見た紹介が素敵だったので、手に取りました。奥田英朗さんといえば、『イン・ザ・プール』が大好きだったけど、あれから10年くらい、全然読んでいないことに気がつきました。なつかしい。

奥田さんは本当に文章も構成も上手くて、テンポがいいです。最初の一文から、無理なくストーリーの中に引き込まれるので、読むのにストレスがない作家さんです。しかも、キーワードで関連する短編をいくつか組み合わせて、1冊にまとめているところも好き。この作品も最初の「虫歯とピアニスト」もそう。仕事が一区切りついて、疲れがたまってぼーっとしたいときでも読めるので、あっという間に読んでしまいました。

この作品集の中では、「虫歯とピアニスト」と「手紙にのせて」、そして「妻と選挙」が好きかな。他のものもわるくないけれど、共感しやすいものがこの3作品ってことで。それぞれの作品は主人公が既婚女性、中年男性、女子高生、社会人になったばかりの男性、作家と全部違うけど、彼らはみんな家族の一員で、ちょっとしたヒミツを持っています。そのヒミツのあり方が、絶妙に共感できるポイントだったりします。

例えば「虫歯とピアニスト」。31才の主人公は、自分たち夫婦に子供ができないことに気づきつつ、どうしたらいいか迷っている。夫や義姉、姑との関係の縦軸に、仕事先の歯科医院に偶然ファンだったピアニストが来院したハプニングが横軸で、絶妙なエピソードが織り上げられます。

迷っている主人公は、親知らずで来院したピアニストに、「30代はどんなだったか?」と質問する。彼の答えは「寝ていた」。「みんな若い時は自分の人生を大げさに考える。過大評価もいいところ。自分の人生は有意義で輝いていないといけないと思いこんでた」。でも、「人間なんて、呼吸をしているだけで奇跡」。

これは、写真家の小松由佳さんも言っていました。「登山で生きるか死ぬかを経験したら、生きていることそれだけですばらしいと感じるようになった」って。ピアニストはデビューした若手の頃は尖っていたけど、海外でしばらく生活してもどった今は、落ち着いた演奏が魅力的な設定。なるほど。

主人公が「人生で諦めてきたこと」を尋ねると、ピアニストはこう答える。「諦めるも何も、生まれてこのかた人生の青写真を描いたことがない」。「プランAしかない人生は苦しいと思う。一流のスポーツ選手、演奏家、俳優たちは、常にプランB、プランCを用意し、不足の事態に備えている。つなり理想の展開なんてものを端から信じていない」。「だから人生にもそれを応用すればいい」。「あなたも、プランBやプランCを楽しく生きればいい」。ああ、本当にその通り。

「手紙に乗せて」は、51才で妻をなくした父親を心配する息子の話。就職2年めの息子は、母親が亡くなった後、父親が心配で自宅に戻る。そして、妹と3人の生活が始まる。落ち込む様子をみせられない父と、父親を心配しながら家族らしくなっていく兄妹。

母親がなくなった後、家族がなくなることに対する周囲の反応は2つだと息子は思う。「思いやりがあるか、ないか」そしてそれは、薄情か否かではなく、経験があるかないか。経験ある人間は、相手を思いやれるし、ない人間は思いやれない。

最初はおせっかいに思える部長さんが、だんだん頼もしくなってくる。「おじさんと若者とでは目に映る景色がちがう」「若者には若者の世界があるし、人生経験が乏しいというのも、それはそれで貴重な時期だ」なんて言ってくれる上司、私も欲しかったよ。

誰かにとってのヒミツが、他の人には些細なこと。そのあたりの微妙さ加減を上手くスパイスにして、普通のホームドラマに独特の奥田色が加えられていく感じが好き。文章も構成もとても好き。家族とか、友人とか、娘とか、夫とか。身近な人をもう一度ちゃんと大事にしようと思える作品。

読んだ後で知ったけど、『我が家のヒミツ』は家シリーズっていって、3作目なんだとか。しかも、NHKでドラマ化されているらしい。せっかくなので、他の作品も読んでみましたが、『我が家のヒミツ』ほど心ひかれませんでした。単純に好みの問題だと思いますが。



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