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事前調査はいつの時代も活かされない?『昭和16年夏の敗戦』猪瀬直樹


日米決戦になれば日本は必ず敗ける

太平洋戦争の3ヶ月余り前、1941年8月下旬。平均年齢33歳の模擬閣僚たちが、当時の近衛文麿首相など、本物の大臣たちに戦争を回避すべきという”閣議”決定を報告していた。そんな事実を明らかにした、ノンフィクション。

彼らは、「最良で最も優秀な逸材」として全国各地から総力戦研究所に集められた総勢36人。

岡部史郎(衆議院速記課課長)、千葉晧(外務事務官31才)、林馨(大使館三等書記官)、吉岡恵一・福田冽・川口正次郎(内務事務官)、中西久夫(地方事務官)、酒井俊彦・今泉兼寛(大蔵事務官)、丁子尚(文部事務官)、矢野外生・清井正(農林事務官)、玉置敬三(物価局事務官)、野見山勉(商工事務官)、森厳夫(遁信事務官)、芥川治(鉄道事務官)、石井喬(拓務事務官)、日笠博雄(朝鮮総督府事務官33才)、三川克己(厚生事務官)、宮沢次郎(満州国大同学院教官34才)、秋葉武雄(同盟通信社)、成田乾一(北支那方面軍済南特務機関31才)、原種行(東京高校教授)、倉沢剛(東京女高師教諭)など。民間企業からは日本銀行、日本製鉄、三菱鉱業、日本郵船などから6名。軍人もわずか5名、あとは全て官僚だった。

彼らは模擬内閣を組織し、日本政府のデータを集め、机上シュミレーションを試みた。情報を集める過程もおもしろく読めたけれど、圧巻はやはりシュミレーションの結論、「必敗」の部分。

開戦当時の首相東条英機は、彼らの報告を2日間にわたってメモをとり、全てを聞き終えた後、青ざめた顔で「結果を口外しないように」と言ったという。つまり、彼もそのような結果はよくわかっていたということで、負ける結果を知っていながら、彼は日米開戦に踏み切り、国民を戦火にさらし、敗戦の悲劇をもたらしたということになる。

若手官僚は優秀、国のトップもそれを認めるだけの見識があった。でも結局、負ける戦争をとめられなかった=始めたとは、一体どういうことなのか?

この本を最初に読んだとき、70年前の日本と現在の日本がダブった。ズルズルと状況に引きずられ、意思決定できず、なし崩しにいろんなことが決まっていく。だめだとわかっていても、専門家の意見は政治家に阻まれて容れられない。戦争がやっと終わって、復興して、なのにまた同じ道を行くとしたら70年前に犠牲になった人たちは浮かばれない。




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