中国武術練習会

伝統武術を練習している人。 趣味は気功、読書、食べること。

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伝統武術を練習している人。 趣味は気功、読書、食べること。

最近の記事

ルートチャクラに立ち返る。

◎基盤的な物を見つめ直す機会は、現代社会においても不変的である。 人間は比較でしか物事を見れない。 真理に近い知識をベースにし、外れ難い思想を(体に宿す)インストールする事ができる。 ブレない体とブレない心みたいな所は、重要視しても良い。 ◎それがどのように社会に寄与するのか。 例えば、整体に行って体が治らないというのは、おかしいと思えない人が一定数いる。 それが、感覚として分かるようになっていく。 感覚がわかるからと言って、体が痛くなくならない訳でもないので、

    • 心意六合拳家 于化龍先生の言葉

      一打歩法、二打近法 于化龍老師曰く 『 心意における心とは、人の大脳を指して言い、意とは意識のことで、心に感じるところがあれば、意は必ず至り、動けば則ち心と意が合し、内三合とは心と意の合、意と気の合、気と力と合の事です。外三合とは手と脚の合、肘と膝の合、肩と胯の合です。 総括して言うと、上下、前後、左右、内外が合して一体となり、心意によって六合が支配し、六合によって心意を貫くのです。 ネットで調べても出てこない話だったので、こちらに記載。 中古本で探せば売ってるので、

      • 道の言及(2023/08/17)

        伝統武術の本質は『青は藍より出でて藍より青し』だと思う。 向き合い方もそれに沿ったような物で、軽い言い方をするなら『自分の人生に役立てる為、使えるようになること』と言える。 誰かがやってるからやるとか、そう言った物ではないし、最初は妄想であっても、やると決めてやり続けるのが『道』 道から外れるという事は良くあって、完璧主義だと割に合わない。 狂気的な、それこそ執着心等で克服する物だと思う。 良い言い方をすると愛情とか、継続力、継続性。 「頭のネジを一回全部外して、一

        • 気功と肉体の繋がり

          ①気は意識(宇宙)から始まる。 気功は、集中力の事を指すことが多い。 何か集中している時、気功をしていると言える。 国語社会算数など、学校の授業で例えると、沢山の教科があるように、気功にも沢山の教科がある。 東洋的に言えば、スプーンを曲げたりとか、マジックも意識を使った気功の一つと言える。 最もベーシックな気功法は、呼吸を整える所から始まる。 意識と、体を一致させることが、意識が体を変える方法の一つになる。 ②意識的な気功と、肉体的な気功の差 脳の意識だけ使った物と

        ルートチャクラに立ち返る。

          希死念慮に関する個人的な考察(2023/08/10)

          死んでる時間より、生きてる方が短い。 長く生きる努力をしても別に良いと思う。 早く死ねと願う人間は、自分を含めたとしても少数派で。 多くの人は、そもそも生死について考えない。 お前如きが成功出来る訳が無いだろうとか。 そんなの失敗するに決まってると、決め付けたがる人間は多くいるのかもしれない。 しかしそれは、人間の潜在意識の中のごく一部の意識。 それを主軸にして生きているわけでは無いので、ただの妄想と切って捨てて良いのでは無いか。 誰が考えたのかもしらないゴミ

          希死念慮に関する個人的な考察(2023/08/10)

          中国武術練習会のご案内

          強く、美しく、健康に。 伝統武術のエッセンスを活用する 開運・健康クラス を開催します。 【指導の内容】 陰陽五行理論に基づいて、内臓を鍛えます。 体を動かして、ルートチャクラを刺激、活性化します。 ヨガが続かなかった人でも、簡単に、楽しく始められます。(武術は、動的ストレッチです❗️) 約二時間、ゆっくり丁寧に、指導いたします。 (指の一本に至るまで、体を導くのが武術の指導です。) 運動嫌いな人でも、低負荷で、楽しく体を動かす事が出来るクラスです。 人生百

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          神速

          私の感覚としては、光が差し込むような速さのことだと思う。 肉体は光速にはならないが、意識は光速に到達するときがあるらしい。 鏡が5枚あって、一枚、二枚、三枚…そして5枚目には相手の近くに自分が存在しているような感覚。 爆発勁は五行を瞬時に循環させるが、その前段階だと思う。 自分でも気付いたら相手の側にいる。 人生を通して考えてみると、不思議な感覚だが、武術においては当たり前だ。 これが出来るようになると、相手のスキや実力が、戦わなくても、何となくわかるようになる。

          中国の文化と、私

          私は子供の頃からクズだから、礼儀作法に価値を感じることが難しい。 基本的に舐め腐ってる。 とはいえ、それは礼儀作法を学ばない言い訳にはならない。 少しずつでも勉強していく。 見捨てないでいてくれる、大切な人たちの為に。 地道に、日々精進してる。 その上で。 師に技を教えて欲しかったら、靴をなめろと言われれば舐める。 私よりも子供の方が、技出来ていれば、頭を下げて教えを乞う。 そこにプライドもあるけど。捨てられる程度の薄っぺらいプライドしかない。 それは26

          中国の文化と、私

          人が人として生きる意味について

          本当の話をしようと思う。 ここからの文章はガチで重い話だから、心臓に毛が生えた人間じゃないと、読むことをオススメしない😅笑 私はガチの陰キャだから、自殺も考えたことがある。 だからこそ、本物のスピリチャルと向き合いたがる。 別に武術も、楽しんで学ぶのは良いんだけど。 楽しくのうのうと生きていきたいだけの人間とは気が合わない。 自分の魂と、本気で向き合いたい人向けの文章。 ーーーーー以下、魂の話ーーーーー 昨日、中国から来日した師と3年ぶりに話をし、流派の秘伝の

          人が人として生きる意味について

          流派の門

          私の流派の感覚として、基礎の套路を十年かけて身に付けるのが当たり前だし、それ以前は基本門前払い。 それ以上でもそれ以下でもない。 ただそこには人情というものが存在しているし、技を教えてはならないという明確なルールは存在してない。 大切な基準は、武縁。 次に、良心であるということ。 特別な事は何もない。 武術家として当たり前の事を当たり前にやっていれば入門は出来ると思う。 って言う感覚で経験者の生徒さんと話ししてたら 「正式な武術を知るのがどれだけ大変なことかわ

          有料
          50,000

          不器用な職人の苦悩

          二郎ラーメンに例えると面白い。 私は二郎ラーメンが、完成されている食べ物だと考えている。 しかし、中には麺だけ食べたい人や、スープだけ飲みたい人もいる。 何なら一口で満足出来る人も居る。 なんて冒涜的な‼️と、二郎好きとしては思うけど。 スープ飲みたいと思ったら飲めるし、 麺だけ食べたいと思ったら食べれる環境が、 一番良いと思った。 お腹空いてる時にご飯食べた方が健康にも良い。 全部食べれる時に、全部食べれる。 それは実は、最高の贅沢だけど。 本当に、良い

          不器用な職人の苦悩

          8640通りの使い方

          1つの套路の中に 戦略が4パターン。 5つの歩法。 全てに共通する使用法には3パターン。 手印が最低でも4パターン。 腕の使い方、回転数を考えると0〜3回転(実践で使える範囲内)で4パターン。 そして単純な用法が9パターン存在してる。 一つの套路でも最低8640パターン考えられる。 一日一つやっても、30年くらい掛かる。 一つの套路に30年だと、流石に飽きてしまう。 別の套路を練習しても良いと思う。 死ぬまで飽きることはない。

          8640通りの使い方

          十大

          龍形

          有料
          10,000

          武術の回転数

          私の流派の術理から見た時、空手の型は腕の回転数と、擦る回数を増やせる。 私の流派を空手として使うと、それは流派の拳であり。空手を流派として使おうとすれば、それ即ち空手になる。 例えば中間を意識的に取る場合、それは自分流になる。 私の流派の技とも空手とも言えない。 別の何か。 回転数を増やし過ぎると、技の良さが無くなってしまう。 例えば、私の流派の技は後ろ足指手首腕(軌道的)肩肘の回転を入れれるが、そこまで回転を入れなくても、全然使える。 回転を沢山入れたからといっ

          武術の回転数

          伝承について。

          私が秘伝と人々に呼ばれるものについて教える時、ある一定の基準がある。 それを乗り越えられれば、私は教えるようにしている。 そこに情もあるが、壁は確かに存在している。 壁を越えられると確信出来るならば、教えることは許されると思うが。 私が確信できないならば、私からは教えてはならない。 私の流派は情に厚い流派であるという話は、師から再三伝えられている話だ。 私が責任を持てると判断したならば、教えられるし、責任を持てないと判断したならば、教えられないとも言える。 私に

          伝承について。

          術理

          基本的に、うちの流派の術理は2歩以上下がることはないです。 足を引く(前足を後ろ足に引き付ける)動きはありますが。あくまでも相手の攻撃を躱したり、次の技の為に威力を溜めるような意味合いが強くあります。 意識の方向性を前進に向けることによって、威力を出すことを目的としています。 護身的な考えだと、後ろに逃げるよりも、前に逃げた方が良い場合があります。 相手が何をしてくるか分からないので、(もし出来るなら)対処する為に常に相手を視界に入れて置くと良いです。 高度な判断が