流派の門

私の流派の感覚として、基礎の套路を十年かけて身に付けるのが当たり前だし、それ以前は基本門前払い。

それ以上でもそれ以下でもない。


ただそこには人情というものが存在しているし、技を教えてはならないという明確なルールは存在してない。

大切な基準は、武縁。

次に、良心であるということ。

特別な事は何もない。

武術家として当たり前の事を当たり前にやっていれば入門は出来ると思う。


って言う感覚で経験者の生徒さんと話ししてたら

「正式な武術を知るのがどれだけ大変なことかわかってる?」

と突っ込みを入れられた。
私が武術を教えてる建前が後継者探し。

私という存在が確定している時点でそもそも特別枠。


そんな常識的な話を今更言われても…

というのが、正直な感想。


そこは味のわかる人として、先行者利益として、健康目的でやっても別にいいと思うけど。


十年練習したら良いんじゃないの?って思う。

正直わからん…

無闇矢鱈に套路を公開するようなことがあれば、私は如何なる手段を使っても止める。

そんな変な人に武術は教えてないと思う。

まぁ、公開したらしたで、一応対策があるにはある。


私が一体どんなやつなのかというと、門の前で暮らす小僧という認識がある。
偶々師匠が隣で練習してて「あっ、ふーん?」と見ていたり、教えてもらったりしていたのである。

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