人が人として生きる意味について

本当の話をしようと思う。


ここからの文章はガチで重い話だから、心臓に毛が生えた人間じゃないと、読むことをオススメしない😅笑


私はガチの陰キャだから、自殺も考えたことがある。

だからこそ、本物のスピリチャルと向き合いたがる。

別に武術も、楽しんで学ぶのは良いんだけど。


楽しくのうのうと生きていきたいだけの人間とは気が合わない。


自分の魂と、本気で向き合いたい人向けの文章。


ーーーーー以下、魂の話ーーーーー


昨日、中国から来日した師と3年ぶりに話をし、流派の秘伝の話を聞いた。


そして、魂の色。

私の使命の方向性がある程度定まったので、命の話をしたいと思う。


私は昨日、あるお坊さんから聞いた、命の話を思い出した。


「私(坊主)がモンゴルに行った時、羊を殺す遊牧民族のところに行った。

羊は殺される時、とても澄んだ、悟った目をしている。

殺されるときの羊の目は、純粋で私に対してこう語りかけているように思えた。」


「僕を食べるの?

僕は今から殺されて、君は生きていくんだね。

君は、僕の命を食べるんだね。」


「命が繋がっていく事をその時理解して、私は涙を流した。

遊牧民の話を聞いてみたら、みんな同じような気持ちになるらしい。

これはスピリチャルとかじゃなくて、それを見た人間の大半は、誰でもそう思うって話。


酒を飲んで遊んでるやつを見ると、私はぶん殴りたくなる。」


まぁ、私もそれには同感で、スーパーに売ってる肉も魚も、既に死んでいる死骸だと思う。


人間の傲慢さによって捨てられる事が確定してる。


酒を飲み、余った食べ物を捨てる人間はクズだと思うし、一回死ねって、私は思う。


無為に生きるなら、死んだ方がマシだ。

自殺を考えたことがある人間だからこそ、分かる感覚だと思う。


命の無駄遣いをしているのだから、何も食べるなって思う。

自殺に挑戦もしたこともない人間が、飲食店で無闇矢鱈に命を無駄に浪費してるのだ。


一回死んで、人生やり直せって思う。


私は仙界においても、割と慈悲深い役割の存在だから、ポアはしない(と、一応心に決めて居る)。


だが、師は仏教徒(本物のスピリチュアル)だから、時には人さえも殺す側に回るのだろうと。

私は悟った。


とどのつまり、私は別に絶対死ぬ必要は無いのだが、一度死んだ気になって、人生をやり直せと思う。


起業家の集まりで、ご飯が残るときがある。

私は意地汚く食べるけど、そういう背景がある。


不味いから食べないってやつは、本当に心の底から死ねって思うよ。

でも、言った所で変らないじゃないか。


だから私が食べるんだよ。

殺すんだよ。命を頂くってそういうことなんだよ。


私は本物の流派を学んでるけど、その力に群がる人間は、ウンコに群がるハエや虫と何が違うのって。


何も違わないでしょって。


生きるために食べるんだよ。


武術は生き残る為の術なんだから、生きるために学ぶんだよ。


そこに意地汚なさがあって同然じゃないか。

泥臭さがあってナンボじゃないか。


それが無いなら、やる意味あるの?って。


私はそう思う。


一回死ねって。


人生やり直せって。


本気でそう思う。


その為の武術だと思う。


自分と本当の意味で向き合える道具、それが宗教や、武術。


本質的には


食べること


生きること


寝ること。


それ以外の何物でもない。


今を生きるってそういうことだと思う。


それを学べる場所を作りたい。


その為に私は今を生き、学び、人生を。

仕事を作り続けている。

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