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滋賀の神社巡り~奥石神社

3月9日

おっさんの車に乗りまして、お昼ご飯はおにぎりを購入して車内で食べました。前回食べた時に言っていたように、今回はおかかを2個・塩を1個にしました。

車内のラジオから流れる、この日と言えばのレミオロメンさんの『3月9日』をききながら滋賀県近江八幡市の奥石おいそ神社に到着。

駐車場に車を停め東参道が目の前にあったけれど、お宮参りの写真撮影をしている方がいらしたので表参道に向かいます。

奥石神社は平安時代の『延喜式神名帳』にも名が残されており、きぬがさ山を御神体とする神社です。中世には蒲生野かまふの宮がなまって鎌宮神社と呼ばれていたみたいです。

先の道を見てみると勧請縄とトリクグラズ。

近くの木のこれもきっとそう?

御神木杉、立派ですね。

境内社の吉住稲荷社。

参道を進んでいると狛犬さん、吽形。

阿形。

まずは手水舎、こういう手水鉢初めて見ました。そして鎌が交差している紋を発見。

瓦にも。

絵馬殿。

拝殿。

拝殿近くの狛犬さん。

天正9年(1581年)に再建された本殿(国指定重要文化財)。

横には境内社の諏訪神社。

ふと左側を見ると、老蘇おいその森があります。第7代孝霊天皇の時代、この辺りは地面が裂けて水が湧いていて到底人の住める場所では無かったそうです。そこで石辺いそべ大連(石部いしべ大連)という人物が神に祈願し、松・杉・檜を植えたそうです。すると不思議な事に大森林ができ、これが老蘇の森の始まりみたいです。

なんとこの石辺大連、百数十歳まで生きたという話があるみたいです。だから老が蘇るで老蘇という名がついたのかもしれませんね。

※境内の説明看板には、名が石辺いそべ大連と書いてある看板と石部いしべ大連と書いてある看板がありましたが同一人物だと思われます。

また境内の池の近くには本居宣長の「夜半ならば老蘇の森の郭公今もなかまし忍び音のころ」の歌碑がありました。

車に戻る前に奥石公園にも立ち寄りました。
上にのっているのは……?

恐らく誰かの銅像があったのだろうか。

帰りは東参道を通って車まで戻りました。
龍と蛙の手水舎。

次回の記事は奥石神社関連の神社に行きます

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