史跡大山崎瓦窯跡に行ってみた!
前回と同じ日の話↓
9月25日
引き続き、京都府乙訓郡大山崎町を歩いていきます。
次の目的地を目指しつつ辺りを散策していると、山崎駅に着きました。
山崎駅だから横にデイリーヤマザキがあるんでしょうか?まさかね。汗
ここら辺で虫除けスプレーを塗りたくり、車を置いてきたコインパーキングの方向まで1度戻りました。
道が違っていたみたいで再び来た道を戻り、
この道を進んでいきます。
大きな踏切に遭遇。
踏切を無事に渡り目的地へと歩いていると、
山崎院跡の石碑。
高僧行基は、奈良時代の神亀2年(725年)に大山崎にたどり着き淀川に山崎橋を架けた後、天平3年(731年)その橋を管理し行基の教えを広める事を目的とした道場、山崎院を建立したと伝えられています。
目的地に着きました、大山崎瓦窯跡です。
大山崎瓦窯跡は平安京を造営するために必要な瓦を生産した遺跡。生産された瓦は窯から約300メートルで船に乗せられ淀川・桂川を利用して平安京周辺まで運ばれたと考えられているそうです。
平成16年(2004年)の発掘調査で存在が初めて明らかになりました。そして市町村の区画の名前から大山崎瓦窯跡と呼ばれるようになり、平成18年(2006年)1月国の史跡に指定されました。
軒丸瓦・軒平瓦・熨斗瓦・鬼瓦・平瓦が生産されていたようです。
また大山崎瓦窯跡で使用されていた型は、西賀茂瓦窯と吉志部瓦窯(現在の大阪吹田市にある窯跡。)で使われていた型が含まれていた事から大山崎瓦窯の成立時に技術交流があったと考えられているそうです。
大山崎瓦窯の独自の型には「西」という文字を刻んだものや、平瓦に「三川」の刻印を押す例があるそうですが明確な意図や用途は分かっておらず、多分地理的な関係を表現しているのでは無いかと言われています。
行った時は気が付かなかったのですが、後から調べていて街路灯にも飾りが施されている事を知りました。
無理やりズームしてみた写真。
階段を下りると瓦窯跡を見る事が出来ます。
でも、この季節に来るのは虫が多くて蚊に刺されやすく間違いだったかもしれません。
説明板を見に行きたかったけど草が生えすぎていて、迷った末にやめました。笑
5号窯の実物大による陶板表示。
上の見学展望広場からはショッピングモールと農作業をする方と、電車がよく見えました
少しベンチで休み、次の目的地へ向かいます。天王山には登りません。
気になった建物。
稲荷神社。
詳しい由緒は分かりませんでした。
次回に続きます!
〇参考にしたサイトはこちら↓