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執筆と瞑想

読まれるかどうかはなるべく気にせず、とにかく毎日note記事を1本は書くよう継続している。「今日は書くことがなにもない」と思う日も多い。それでも何か思い出して書く。なぜならば、ネタ切れだと自分で思う状態からどうするかが書き続けられる人とやめてしまう人、書ける量を増やせる人とそうでない人とを分けると思うからだ。

ところで、また別の習慣として、私はなるべく数分間の瞑想を毎日するようにしている。瞑想とはどういうものかについてはインターネットを検索してすぐ出てくるようなやり方でやっている程度だが、ここでは「なるべく何も考えない」ようにしている状態だと思ってもらえればいい。静かで刺激の少ない場所で目を閉じて座って安定した呼吸に集中し、今この瞬間に集中して「何も考えない」ようにする。すると、考えるべきことなど何もない!と思っている日ですら雑念がもくもくと湧いてくる。画像だけでなく言葉として音として自分の内側から湧いてくるのだ。これは、ちょっと瞑想しようとしてみたことのある人なら誰でもきっとわかってくれるだろう。言い換えれば、自分の中から支離滅裂な夢のようなものが湧いてきて、それに自分自身をもっていかれそうになるのを、それに気がつくたびに現実の今ここの呼吸に戻していくというのが私にとっての瞑想という作業である。

記事を書くタイミングになると「今日は書くことがなにもない」となるのに、瞑想を始めると「なにもない」どころか自分が囚(とら)われているアイデアや思い込みや先入観のオンパレード、洪水になるというのは実にアンバランスである。この執筆においては何を書いてもいいと自分に言い聞かせている。なぜならば、元より別に私は毎日何か記事内容に縛りをつけて書いているわけではないし、とにかくここでは執筆量を増やし、累積量を増やし、書き始めることへのハードルを下げるために書いているからだ。例えば、自分の中の他愛もない偏見について書いてもいいし、何となく嫌いなコトバやフレーズについて書いてもいいとしている。制限があるのは毎日おこなうことと一定以上の文字数書くことだけである。

だから、他愛もないと思っても、雑念で脈絡がないと思っても、それをどうにか書き並べてみよう。今日は花粉症の影響か、目の奥が重たく、横たわっていた。それで夢もみたが、大学に不本意なかたちで二回入り直し、更にその後に高校に入学するも、年齢は今と一緒という夢だった。高校一年生として学園祭の演し物をみていたが、自分にはこんな演し物に参加できる元気がないと思ってげんなりしてしまった。そういう夢であった。

また、瞑想すると、いつも昔の或る国の独裁者と日本人の或る女性アイドルが立て続けに連想される。あるいはそれを連想するクセがある。どちらも
人間だが、或る時なるべく無関係なことを考えようとしてそれがたまたま連続で思い浮かんでしまって以来、その連結がほどけないでいる。別にほどく必要はまったくなく両方とも思い浮かべなければいいだけの話なのだが、これを文字に書くのはここが初めてだ。他にもいろいろ思い浮かんだことはあるが、いったんここで筆を置く。

(1,297字、2024.03.23)

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