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自分を生きる入り口

 今日、読書会が開催される。どんな時間になるのだろうか。西村佳哲著「自分をいかして生きる」に関する一連の記事投稿は今回で終了する。

 西村さんの本を読むと、伝えたい思いが湧いてくる。だけど言語化するのが難しく、いつも諦めてしまう。今回はメモ書きした内容を元に記事化してみたが、本をなぞるようにしか書くことができず、不本意な気持ちが残った。これも〈自分自身〉に問うてみることなのだろう。「書いてみて、どんな感じだった?」と。〈自分自身〉はなんと答えるのだろうか。ぼく〈自分〉は耳を澄ませて、今日の日を過ごす。

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 その人の人生は、痛みも喜びも、情けなさも誇らしさも、他でもないその人自身のものであるということが、人間の尊厳に関する僕の了解である。

西村佳哲著 自分をいかして生きる p168

 痛みも喜びも、情けなさも誇らしさも、それが〈自分自身〉のなかにあるのだと〈自分自身〉が感じて、そこから〈自分〉をいかして生きることだということか。いかしても、ころしても、それは、自由なのだけれど。

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 まわりがそうだから自分もしてしまうといったことは、仕事に限らず、暮らしの中にも往々にしてある。そして、「仕方がない」と言い訳を呟いたり、そんな自分に慣れる。人間は慣れる生き物だ。しかしやりたくないことや、望ましくない自分のあり方に慣れるのは、自分が駄目になってしまうことなんじゃないか。

同著 p176

 ほんとうにそうで、やりたくないことをやらなければ、という刷り込みみたいなことはあって、それが人生だという勝手な思い込み。その勝手な思い込みが、次の世代に感じ取られて、同じようになるか、さいわい反発して違う道を歩んでくれるか。そんなことを次世代に託す前に、自分の世代、〈自分自身〉で感じて、真実の声で語り、もうそこには居られなくなる体験を自らすることだ。

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 「自分をころして生きる」と「自分をいかして生きる」という二つのあり方が並んでいたら、ぼくは後者でありたい。

同著 p177

 ぼくもそうありたい。ずっとそうありたいと望んで生きてきたし、そのように生きようとしている。少しずつ、いろんな道を通りながら、ままならないことを繰り返しながら、〈自分自身〉が感じることはなんなのか、問いかけながら、山を登り、景色を眺め、すれ違う人と挨拶して言葉を交わし、旅を続けている。旅もいつか終わるのだけれど、その都度「生きる感じ」がする方へ歩いて行こうと思う。


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