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逡巡する短文

あの日の朝も半地下カフェでタイピングしていた。体調が思わしくなかった私は、昼から休暇を取って家に帰ろうと思っていた。昼から帰るのは申し訳ないので、午前中で可能な限り業務を進めようと思っていた。働くことが必要なのはわかっていた。

働くことの外側に出てみたかった。目の前の業務がなければ、やりたいことをすれば良かった。私は組織から給料もらっていた。

給料をもらっている縛りはきつかった。給料と等価交換で組織に何かを提供しなければならなかった。パラサイトになるわけにはいかなかった。組織に対して私は何が提供できるのか。業務において価値を提供させるために組織は私に給料を払っていた。等価交換。

等価交換する前段階があった。組織での価値提供と給料を等価交換する契約だった。幼い認知の契約によって以後それなりに苦しむことになった。一方的な等価交換という不思議な言葉が実行された。毎月振り込まれる給料に対して等価交換する価値を提供しなければならなかった。組織で設定されたステージの枠内で提供しなければならなかった。

枠を越えて価値創造する、そこまでのモチベーションは持てなかった。自ら創造できること、創造したいこと、私の欲望と組織の欲望は一致しなかった。目標を共有して働く組織の欲望は、単純化されてハッキリしていた。

個人の欲望は単純さと複雑さを併せ持っていた。単純さと複雑さ、どちらか一方ではなく、両方を持って、行ったり来たりしていた。多様と言えば多様だった。その多様性をもって組織に適合し、等価交換を行えばよかったのか。

等価交換によって目標達成に寄与せよと組織は私に迫った。組織としては当然のことだった。個人の欲望とぶつかった。やりたいことが、等価交換の対象になるわけではなかった。私のやりたいこととは何だったのか。そのことを前提にして等価交換する組織を選択することはできなかったのか。

私は私の欲望を明確に持つことができなかった。何をしたいのかを欲望の段階で持つことができなかった。欲望を明確に持ち、指し示すことができたなら、その欲望に向かって動く力を、望む組織や形態に提供しながら、等価交換を行うことができたのではなかったか。

何をしたいのか、ではなく、どうありたいのか。
私の体験は続く。


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