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最高神女(ノロ)「聞得大君」と「琉球神道」②

皆さんこんにちわ。マルチライターの「宙唄」です。

noteのライティングを始めたきっかけは、せっかく自然界での体験をしているので、仲間に紹介された「スタンドfm」などでの音声配信を始めてみようと思ったからですが、思いのほかライティングがワクワクになって趣味と実益を兼ねて継続しております。

ここまでで最も人気だった記事がこちらです。


それ以外の人気記事は以下の通りです。




以上この辺りの記事がとても人気があるところから推察して、やはり宮古島にリアルで感じながら調べているものに皆さんの興味関心に伝わるものがあるのかもしれませんね。

是非コメントやDMもお待ちしております。

今日は第二回目なので、その先を少し掘り下げてみようと思います。

本日は「天馬ノロの勾玉」について。

「テンペスト」の中では重要な役割を果たしていますが、実際に存在していたものです。

孫寧温が自宅のガジュマルで見つけた勾玉、これこそが聞得大君が探していた馬天ノロの勾玉でした。第一尚氏王朝の神女の絶大な霊力を持つとされる勾玉ですが、実は戦前まで実際に残っていました

戦前、沖縄を調査した鎌倉芳太郎は、沖縄島南部の佐敷を訪れ、馬(場)天ノロとその祭祀道具などをスケッチしています。そのスケッチによると勾玉は「灰乳青色」をしており、大きさは2.8寸(約8センチ)。水晶玉54個でつながり、長さは2尺(約60センチ)であったといいます。ドラマ中ではピンク色をしていますが、あれは演出側のアレンジです。

なお馬天ノロは「場天大のろくもい」といい、第一尚氏王朝の故地である佐敷を管轄する神女で、かつては「てだしろ(太陽の依り代)」と称されていましたが、第二尚氏時代に、聞得大君にはばかられる畏れ多い名前ということで改名されたとのこと(『琉球国由来記』)。

http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/tora/2011/08/post-6467.html

『琉球国由来記』によると、ニライカナイの神々が上陸したとされる沖縄本島北部の辺戸(へど)の水で、国王は1年に24回、魂の切り換え(再生)をした。この「ウビー撫で」は、日本の天皇が御手水を使ったあと、ひな人形を使って魂の切り換えをする儀式とも似ているとされる。



 創造神アマミキヨが降臨したとされる沖縄第一の聖地「斎場御嶽(セーファーウタキ)」では、御嶽内で荘厳にとりおこなわれた聞得大君の就任式の際、最高司祭者であるノロ(神女)が、聞得大君に勾玉(まがたま)の首飾りをかけ、祭祀場の岩からしたたり落ちる神水で水撫でをした。その残り水を飲んで身心ともに清められた聞得大君は、神格を与えられて生きながらの現神(巫女)になるとされた。



 王族やその子孫が当時おこなった「東御廻り(アガリウマーイ)」は、水の神に祈りを捧げるため、那覇市首里から大里村・佐敷村・知念村・玉城村を中心に、神が降りたとされる知念村(斎場御嶽)、玉城村(受水走水)を巡礼するものであった。

http://rca.open.ed.jp/city-2002/water/ma04.html

戦前まで残っていた、ということは、戦後には失われたという事を意味しているのでしょうか?

勾玉にはさまざまなものが存在していた様子。中には「金」で出来た勾玉も存在していた。


https://discoverjapan-web.com/article/92130

また神女には組織階層が存在していて上記のような仕組みになっていた様子。

この辺りは宮古島の文化風土風習にも関連してくるのかもしれない。

また第三回に深堀りしていこうと思います。

今回もお付き合いいただきありがとうございました。


私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。