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尊敬する人



 
僕には世界中の誰よりも尊敬している人がいます。 それは、おばあちゃん。
おばあちゃんは18歳の時に結婚して、1女4男の子供をもうけました。
ところが最愛のおじいちゃんが、病気のせいで、幼い子供たちを残したまま
他界してしまったのです。享年28歳の若さでした。

 



その時から、おばあちゃんの、壮絶な奮闘の日々が始まりました。
子供たちを女手ひとつで育てるために、死にものぐるいで
働かなければならなかったからです。
昼は洗濯屋と工場勤め。 早朝は新聞配達。



夜は漁師の網を編む内職で、一日のほとんどを費やしていました。
なかでも新聞配達は、経験者でなければわからない
責任感と忍耐(=ど根性)のいる仕事です。
 


新聞配達だけでも、およそ半世紀。
足腰が弱り、びっこをひきながらでも最後の最後まで頑張りぬいた。
気の遠くなるような、長く険しい道のりだったに違いありません。



今は亡き僕の父親は、極貧の中で育ったために病弱で仕事さえ
ままならない状態でした。『貧困の連鎖』という言葉があります。
その言葉の通り、我が家はいつも貧困のどん底状態。



貧困の最中に祖母は女の子を一人、病気で亡くしました。
さらに男の子を一人、養子に出しました。
それでも我が家の実質的な働き手として
家族全員を必死で支えてくれたのが、おばあちゃんです。
どんなに苦しくても、おばあちゃんは決して
子供の前では弱音を吐く事も、愚痴をこぼす事もありませんでした。
 


僕の母親は19歳の時に姉を出産して、23歳で妹を産み
僕を産んでくれたのが、22歳の時でした。
極貧生活に耐えきれなかったのは、まだ若すぎたから
仕方がなかったのかも知れません。 



ある日突然、母親は家を飛び出しました。
妹だけを無理やり引き連れ、それっきり二度と
帰ってくることはありませんでした。



家を飛び出さなければならないほど、溜まっていた貧困のストレスとは
どれほど重く過酷だったのでしょうか?
そして母親は本当に、気の狂った般若だったのでしょうか? 
母親を知る人は、異口同音に振り返る。



幼い僕の片腕をつかみ、ぐるぐると乱暴に振り回したり
小さな背中に熱いアイロンをあてたり、愛情のひとかけらも与えず
ストレスのはけ口として、僕ひとりを虐待していたと聞く。



泣きじゃくる僕を、いつも かばってくれたのが、おばあちゃんでした。
おばあちゃんは仕事で使う大きな洗濯かごの中に、赤ん坊の僕を
ちょこんと座らせて、仕事をしながらでも僕の子守りをしてくれました。
おばあちゃんは、命がけで僕のことを、かばってくれたのです。
 


令和の時代となって、僕もすっかり、年齢を重ねてしまいました。
たとえ十年後、二十年後、自分が何歳になったとしても
おばあちゃんは僕の人生の偉大なお手本です。



悩み苦しみ、ひどく挫けそうな時、もしもおばあちゃんだったら
どうやって解決するのだろう…と、今でも何度も問いかけ続けています。
死んだはずのおばあちゃんが、どこかで見守ってくれているような
気がするからです。
 


世の中には、ぬるま湯につかりながら口先だけで
夢や綺麗事を語る人が、いらっしゃいます。
もしもご自身が、不幸のどん底に突き落とされたとき
それでもその夢は、不変のものなのでしょうか?



逆境の中でも自分というものを、見失しなわずにいられるのかどうか…。
逆境の中でこそ、自分らしさを貫いていけるのかどうか…。
つまり、その人の強さとか、弱さとか、優しさとか
人としての本当の姿が見えてくるのだと思います。



おばあちゃんの優しさと強さは、本物でした。
命の大恩人でもあるおばあちゃん。
そんなおばあちゃんを、世界中の誰よりも一番に
僕は尊敬しています。
                          建礼門 葵
 



🔶BGM【千の風になって】🔶
この曲は多くのアーティストによって歌われています。
日本国内でヒットさせてくれた秋川雅史さんに敬意を表しつつ
同じ曲を聴き比べてみるのは、いかがでしょうか?
≪千の風≫ は 私自身の姿……。

その1*黒川泰子
その2*島津亜矢
その3*はいだしょうこ





※筆者からのコメント

 祖母の葬式当日、私はどうしても涙がとまらず、参列してくださった
 友人・知人・親戚の方々にお礼の返事も挨拶も、きちんと出来なかった。  人前では絶対に泣かないと決めていた自分なのに
 その後も三日三晩は 大量の涙を流し続けました。

 涙は、どれだけ流しても涸れ果てる ことが 無く
 恥ずかしいのを通り越して子供のように泣きじゃくるばかり。           
 それでも、死んだ祖母が自分に対して何を望むのか? 
 どのように生きなさいと願うのか? そう考えられるようになった時             
 ようやく自分らしさを取り戻すことができました。
 めちゃくちゃ泣いたから気持ちがすっきり晴れたのかも知れません。

 子供の頃に可愛がっていた子犬が死んだ時も大きな悲しみに
 襲われました。それでも、その子が天国できっと幸せに暮らしていると
 信じ込むことで、私は吹っ切れたのだと思います。

 愛する人や可愛がっていた動物に対するいちばんの供養は
 自分自身が、人としてまっすぐに生きていること。
 もしも自分が誤った生き方をしていたら、天国にいる祖母たちは
 どんなに悲しむことだろう? 歯を食いしばってでも一生懸命に
 生きて、安心させてあげることが、生前に与えてくれた精一杯の
 愛情に対する最大の恩返しだと考えました。

 そう考えなければ、乗り越えることの出来なかった大きな悲しみ……。



【関 連 記 事】

🔷笑 顔 の 君 ~忘れ得ぬ君への思い~|建礼門 葵 (note.com)


🔷【緑よ永遠に……】 ~心に秘めた永遠のラブレター~ |建礼門 葵 (note.com)


🔷丘 の 上 の 菜 の 花     ~幼なじみのシロへ~|建礼門 葵 (note.com)


🔶尊敬する人|建礼門 葵 (note.com)


🔷神様は、本当に存在するのですか?|建礼門 葵 (note.com)


🔷雲 の 行 方|建礼門 葵 (note.com)


🔷海が優しかった日|建礼門 葵 (note.com)


🔷悲しみの涙…|建礼門 葵 (note.com)


🔷❀『結婚について』❀~まごころのメッセージ~|建礼門 葵 (note.com)







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