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しあわせに生きている人の話を聴く。

今朝、洗濯をしようと
ベッドシーツを剥がしている時

***

しあわせそうに生きている人以外の話は
聴かんでいいよ

***

って、聴こえた。

考えていた、というより
聴こえた。

インスピレーション。

最近、よくあることだけど
インスピレーションのメッセージが
関西弁。

なんでや(笑)

わたしは
大阪生まれの大阪育ちだけど。


しあわせそうに生きている人
以外の話は
聴かんでいいよ


頭の中で、繰り返してみて

ほんまやなー
その通りやなー

と、返事した。


子どもの頃
大人たちの言動や、生き方が
不思議でしょうがなかった。

不思議、というより
奇妙、だった。

なんで、そんなことするの?
なんで、そんなこと言うの?

尋ねてみて
返ってくるセリフで
納得したことはない。

だって、たいていが
世界の真実じゃないんだもの。

不自由な集合意識に囚われた視点で
話していることが、ほとんど。

大人になったら
子どもの頃の感覚は
消えてなくなるんだと思ってた。

だって

お母さんに、よく
「子どもの頃は、どうったの?」と
尋ねていて

「忘れた」と返されていたから。

自分の年齢が、大人に
母くらいの年齢に近づきながら
「いつ、忘れるのかな」
「いつ、消えるのかな」
って、思ってたけど

結局

全然、忘れてない、消えてない

子どもの頃の感覚、世界の観方。

驚くほどに、そのまま。

だから、思う。

母は「忘れた」んじゃなく
「忘れることにした」んだと。

子どもの頃の感覚が
勝手に消えることは無くて

きっと、生きていく中で
いろんな大人に出逢って
世界を見て

自発的に「消した」んだと思う。

大人の言う
「世界は、こういうものだよ」
という言葉を、受け容れて。


ほとんどの大人が
子どもに対して
「余計なことしか言わねぇな」と思う。

(笑)

もし

子どものしあわせ
目の前の人のしあわせを
願って、何かを言うなら

それを言う自分は、果たして
しあわせなの?

しあわせに生きていない人の
しあわせに生きるためのアドバイス
なんて

塵になって消えろ、と思う

(笑)

自分自身の
世界や人生に対する不満を
子どもや、目の前の誰かに託して
解消してもらおうとしないで

自分で、しあわせになれや、と思う

(*^_^*)

その考え方で
しあわせに生きられる、って
信じているなら
その考え方で、生きて
しあわせな姿を見せて見ろ、って思う

そうなったなら
話を、聴くよ☆


なんで

しあわせそうに見えない人の話を聞いて

そうなんだ、って信じるんだろうね。


なんで、それが、真実だって思うんだろうね。


逆に

しあわせそうに生きている人を見て

それを、自分にはムリだ、とか

あれは、真実じゃない、みたいに思うんだろうね。


不思議だよね。


なりたいのは、信じたいのは、どっち?


これまで
自分にアドバイスをしてきた人たちの
顔や姿を思い浮かべてみたら

もれなく、不幸せそうだった(爆笑)

でも、素直に、話を聴いて
その言葉に、傷ついたり
一喜一憂したり、絶望してるのに
信じたり、した。

あーーー・・・
あれ、聴かなくて、よかったんだ

そう思ったら
ふっと、すっと、呪いが解けたみたいに
ラクになった。


今、わたしが大好きな人たちは
とても、楽しそうに生きてる
しあわせそうに生きてる
あんな風に生きたいな
って、感じる。

そこに、自分の望んだ真実が在る。

信じたいものが、自分の世界に在る。

真実すら
好き嫌い、趣味、好みだと思ってる。

自分の好きな真実を
真実だとすればいい。

好きな真実を
見つかるまで、探せばいい。

わたしは、自分の好きな
好みの真実を見つけた。

だから、その真実の中で生きている
しあわせそうに生きている人の話を聴いて
ガイドを受け取りながら
今を生きようと思う。


わたしも、少しずつ
しあわせだな、って感じる時間が増えて
しあわせだな、って思える生き方に
挑戦しているけれど

まだ、胸を張って、自信を持って

「わたし!チョー!しあわせ!」

とは、言えないから

そんな、わたしの話は
聴かなくていいよー(*^_^*)(笑)



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LOVE

MEGUMI*FUSHA*HORIUCHI



読んで頂き有り難うございます😊 わたしが見たもの・感じたこと・考えたことについて、思いつくままに書いています。めっちゃWonderな地球暮らし、わたしもあなたもFantasista!ここにある言葉たちが、人生を楽しむヒントになれば嬉しいです☆