見出し画像

徒然なるままに・・・044_20220718

母の愛

私の母は強烈なキャラクター。
一言で言えば、「愛情深い人」。
この愛情がやっかいで、受ける相手によっては、大きく歪んでしまう。

小さい頃は「私は母に愛されていない」と思うことがよくあった。
私は祖父に育てられたといっても過言ではない。
祖父は私を溺愛していた。その祖父の思いにこたえるべく、母は私を祖父のもとに置いた。
要するに、親思いだったということか。

母の口癖は、「おじいちゃんが悲しむようなことはしなさんな」
何でもかんでも「おじいちゃん」
祖父は悪くない、悪いのは母だ、と思っていた。
おじいちゃんより私を見てほしい、と思っていたかもしれない(今ならそう分析する)

母の愛は家族以外にも向けられる。
母はとても友だちが多い。やりすぎだ。
異常なまでに世話を焼く。尽くす。
そこまで尽くしたら、友だちも負担だろうに、と思うことがある。
他人にそこまで尽くすぐらいなら、私に目を向けてほしい、ちょっと寂しかった。

うちの母が強烈なところは、これで留まらないところだ。
うちに出入りする業者さん、近所のお店の人たちにまで、その愛情が注がれること。
たとえば、夕方宅急便を配達するお兄ちゃんに、「おなかすいたでしょ、みそ汁でも飲んでから行きなさい」とみそ汁やちょっとしたつまみを差し出す。
ご近所のスーパーのレジの人と仲良くなり、家に招いて、BBQをする。
古くからつきあいのあるご近所さんが困っていれば、家族のように親身になって問題を解決しようとする。本気で悩む。いつまでも悩む。自分のことのように悩む。
いやいやいや、よその人のことはどうでもいいから、お母さん、こっち向いて。

私が関わる人は、皆、私の母のことを知っている。
必ずそこには母がいるからだ。
私が長く勤めた職場を退職するとき、母がお菓子を持って挨拶にきた。
もう30歳過ぎているから止めてほしい・・・
恥ずかしい・・・
本当に嫌だった。でも、周りの人は、母を受け入れてくれた。

私は愛されているのか。
ずっとそんな思いでいたが、遠く離れた場所に嫁ぎ、年に1,2回しか会えなくなって、やっと母の愛情が分かるようになった。
最初の1、2年は帰りの夜行バスに食べきれないほどの弁当を用意してくれて、「またね」と涙を浮かべて見送ってくれていた。
その時は、「いやー、こんなにたくさんの弁当食べきれないからやめてほしい。匂いが漏れて周囲に迷惑やん」と素直に感謝できなかった。

3年も経つと「お母ちゃんもだんだん歳とって、弁当を作る元気もなくなったわ」と言って、弁当が消えた。そっか、あの弁当はもう食べられないのか。前年のエピソードを思い出し、胸がじんわり熱くなった。

妹に子どもができ、おばあちゃんになった母。孫のことで精いっぱい。
妹はいつのまにか母のことを「ばあちゃん」と呼ぶようになっていた。
母も孫の「おばあちゃん」として生活していた。
私だけがいまだに、母と娘の関係なのか。
母の口癖は「あんたもいつか親になったらわかる」だった。
私は結局親にはなれないから、いつまでもお母ちゃんのことは理解できないね。ごめんね。

母にはよく怒られた。
勉強しなさいと言われたことは一度もない。
「お年寄りを大切にしなさい」
「友だちを大切にしなさい」
「近所の人に挨拶しなさい」
「物をもらったらありがとうと言いなさい」
「自分が悪いと思ったらごめんなさいと言いなさい」
「謙虚になりなさい」「図に乗りなさんな」
「妹と弟の面倒をみなさい」「家のことを手伝いなさい」
「先祖を大事にしなさい」「仏壇に手を合わせなさい」
「困った人がいたら助けなさい」

母の口癖「それでは筋が通らん!」
愛情深いんだけど、優しくない。
筋が通らんことには、とても厳しい。
それは子どもだけでなく、友人や業者、近所の人、社会、いろんなことに対して筋を通したがる(笑)
怒ると手をつけられない。短気、短気、短気!!

世の中には筋の通らないことが多すぎて、いつも不平不満ばかり。この人はいつ穏やかな気持ちになるんだろう。毎日、それだと疲れるんじゃないか。
本当に困った母だ。
それでも母の愛情は深い。柔らかくて、温かくて、大きな優しさに包み込まれる。偉大な人だ。

母は毎朝、私たち家族のために、仏壇に手を合わせてくれている。10分でも拝んでくれているのではないか。一生懸命、私たちの健康や幸せについてご先祖さんにお願いしてくれている。どうか、子どもたち、子どもたちの配偶者、孫たちをお守りくださいと。背中をまあるくして、座布団にちょこんと座り、どうか、どうか、よろしくお願いします、守ってくださいと必死にお願いしている。
簡単に見えるけれど、到底真似できそうにない。毎日。毎日。ただただ自分の家族の安全を願う。
私がこうして毎日、健康で幸せに暮らせているのは、母のお祈りのお陰だと思う。感謝します。ありがとう、お母ちゃん。

昨日、母と電話で話をした。
「あんた、まだまだ伸びるで。頑張んないよ。これからだで。できる!できる!お母ちゃんは確信しとる。あんたは立派な人になる。自分を信じて頑張んなさい。」
48歳にもなるのに・・・母に精一杯励まされて、今日も頑張る。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?