徒然なるままに・・・004_20220305
おばあちゃんとのこと
私の記憶の中にあるおばあちゃんの一番若い姿は48歳。ちょうど今の私の歳。
子どもがいない私には全く想像がつかない。親にもなれなかったのに、おばあちゃんって。。。
白い割烹着がよく似合っていたな。でも、おばあちゃんが作った料理は思い出せない。炊き立ての白いご飯を炊飯器から装っている姿しか。
おしゃれなおばあちゃん。大きな指輪やイヤリング、キラッキラのネックレスがよく似合ってた。厚化粧。かけすぎパーマ。紫の服を好んで着ていたね。
50CCの原付に乗って、パチンコをしに行く。財布の中には常にパチンコの玉が1,2個入っていた。いつも景品を楽しみにおばあちゃんの帰りを待ってたよ。
タバコも吸ってたな。イケイケのおばあちゃん。テレビに出てくる「おばあちゃん」のイメージとは全く違ってた。そういうおばあちゃんがカッコよくて、小学生の私はみんなに自慢した。
参観日には、おばあちゃんに来てほしいとお願いした。だって、友達のお母さんよりも若く(見え)て綺麗だったんだもんっ。
私が、手芸が好きななのは、おばあちゃんのおかげ。ものをつくることが楽しいとおばあちゃんが教えてくれたね。私が中学生の時、夜中2,3時まで編み物しながら勉強につきあってくれたね。ありがとう。私とおばあちゃんしか知らない二人の時間。
おばあちゃんがくも膜下出血で倒れてからは、家の中が変わってしまった。おじいちゃんは、おばあちゃんの病院にずっと寝泊りしていた(今はそんなことはできないだろうけど)。両親は働き盛り。もう一人のおばあちゃんが家に来てくれた。これまで家に出入りしていたおじいちゃんの友人のおじさんたち、近所の人たちに支えてもらいながら、私が家事をしなくては!家を守らなくては!と家中心で生きた高校受験前から高校2年生までの約2年半だった。
夕方、半身不随になった車いすのおばあちゃんと散歩することが日課になった。二人だけのいい時間だった。元気だった時のおばあちゃんとは全く違う姿になり、会話も成り立たなかったけど、童謡を一緒に歌ったり、季節の花を横目に見ながら、楽しく散歩したね。思春期に「家族とは」「夫婦とは」「本当の友達とは」「病気になること」「認知症になってしまうということ」「死ぬということ」などなど「生きること」について考えさせられた貴重な経験だった。
59歳で亡くなったおばあちゃん。早かった。でも皆が言ってた。「好きなことばっかりしてた人だった。幸せな人だった」って。
いつも見守ってくれてありがとね。
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