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生きる

気づいたときには生きていた
この命はいつまでどこまで続くのか
なぜ生まれてきたのか

生きることは喜ばしい
生きることは怒り
生きることは哀しい
生きることは楽しい

いろんな感情が入り乱れる
私は生きていていいのだろうか
私は何のために生きているのだろうか
私はいつまで生きればいいのだろうか

目が眩しい
音がうるさい
なんか匂う
美味しい、まずい

お腹がすいた
お腹がいっぱい
お腹がいたい

目ヤニ
鼻水、鼻くそ、耳くそ
せき、たん
おしっこ、うんち、おなら

私はいつのまにか大人になっていた
欲情のままに、魂の片割れを探し当て、結婚した
子どもが生まれた
こうして私の命はつながれていった
私は一人じゃない

大人になってもわからない
一体私は何なんだ
私の命は
私の人生は
私はいつまで生きるのだ

私を生んでくれた母の命が尽きた
命は一体どこにいくのか
私の心は救われない
誰か助けてほしい
心の叫びを聞いてほしい

私はいまだに分からない
私は生まれてきてよかったのだろうか

インスタントフィクションとは自由な発想と気軽なノリで書かれた文章、読書しない人でも遊び感覚で挑戦する。原稿用紙1枚=400字の中で表現、自分の思う「面白い」を入れるのがルール。

youtubeピース又吉直樹「渦」より

思えば長く生きたもんだ。
私は小さい頃、歴史の重要な人物が長生きしておらず、自分の寿命も50歳ぐらいだと勝手に思っていた。
そんな私ももう49歳。
5年も前から100歳まで生きるんだと思い直し、新しい人生のために、今を生きている。

そういう私も若い頃は自分で自分の命を絶つことになんの迷いもなく、何度も想像してみたことがある。
あくまでもそれは大人になる過程で誰しもが通る道だとは思っているのだが。

そういう時、「自分の命は自分だけのもの」と思いがちであるが、よく考えれば、それは違う。先祖代々から脈々とつながれてきた一つの命である。
地球規模から考えればとっても小さい命。
虫を足で踏みつぶしてしまうほどの命。

それでも過去の軌跡から考えれば、あーこのたった一つの命の尊さよ。
どれだけの人に関わり、愛されたことか。

だから、私は生きるのだ。
意味などなくていい。ただ、生きればいい。命が尽きるまで。


今日は、インスタントフィクションのアンサーまで作ってしまった。

私にはお父さんを早くに亡くしてしまった友人がいる。
TVから流れてくる情報に目をやれば、辛かっただろうにと故人に対する追悼の念もありながら、やはり遺された家族、特に幼き子どもを思うと胸が痛くなる。

自分の人生、されど誰かの人生を背負っている場合もあることをどうか、どうか忘れないでほしい。


私を置いて先立ったお父さん
私はあなたが憎いです
母と私を置いていくなんて

母のことはあなたの代わりに私が支えます
私ではとても抱えきれないけれどあなたがいないのだから

私は皆と違うのだろうか
父がいない家庭では私はうまく育たないのだろうか
もし新しい父ができた時、私はあなたのことを忘れなければならないのだろうか

私に好きな人ができたとき、私はあなたのことを何と言おう
私は彼女のことを最後まで愛しきれるだろうか
彼女のご家族は彼女と私の結婚を認めてくださるだろうか

お父さん、私はあなたの歳になりました
あなたの苦しみも抱えてきた悩みもなんとなくわかるようになりました
今はあなたの歳になり ようやく私も大人になれた気がします

私はこれからも生きていこうと思います
あなたの分まで
あなたがしようとしてできなかったこと、私がやってみようと思います
私はやっと苦しみから解放されました
私はようやく私の人生を歩もうと思います


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