見出し画像

医療福祉センター💗療育体験記<Rの証・天使説series>

東海エリアにあるA医療福祉センターで、実際に私たち親子が受けた療育「こどもくらぶ(仮名)」について考察した冊子があります。いま現在、神経発達症(発達障がい)のお子さんを育てていらっしゃる方々に何かしら少しでも参考になればと思い、ここに投稿します。

======

(登場人物紹介)
R・・・私の長男(3歳)。当時はまだ一人っ子。自閉症(3歳で診断)で知的障害はありません。中学1年までは療育手帳を取得していましたが、その後は手帳が発行されないくらい状態が良くなりました。それ以降はずっといわゆるグレーゾーンです。

私・・・若干、20代の頃

================
================

第一章 こどもくらぶに参加して

「こどもくらぶ」感想〈私、記〉

こどもくらぶに息子を参加させてもらおうと思ったのは先生の勧めというのもありますが、私がとにかく行動しようという意識でいたからです。初めて自閉症と診断されたのは、他の子より少し遅く幼稚園に入ったばかりの6月でした。そして「こどもくらぶ」に参加したのは翌年の秋からです。皆さんそうだと思いますが、診断された当時は子供の将来が不安で悲しい日々を送りつつ、何をやっていいのか、何をすべきか、全然分かりませんでした。何もわからないけれども利用できる事はとにかくどんどん利用してやろうという強い気持ちはありました。思い悩むよりもまず行動する事です。親が立ち直るまでの月日の間、子供に何もしないでいるとタイミングを逃してしまいます。早く行動開始をすればいろんな経験の量も増えます。いろいろ経験したり、たくさんの言葉を浴びる事によって、ゆっくりですが子供は成長していくと思います。

我が家の場合は、一人っ子なので家で遊ぶ相手は親だけです。そして息子が生後11ヵ月の時に大阪から今の東海地方に大きく引っ越しをしたから、周りに遊べる友達もいませんでした。息子の言葉の発達が遅いというのを負い目に感じて、私がなかなかオープンになれなかったのもその原因だったと思います。

しかしこどもくらぶのような活動だと皆同じ境遇の親子ばかりで、障がいも皆同じです。だからいつものように気を使って話さなくてもいいし、外では話せないような事も平気で親同士と話せます。スタッフの方々も障がいの特徴を理解してくださっているプロの方々なので安心感があって、子供をほったらかしにして遊ばせられる気楽さがあります。これは日常生活ではあり得ないシチュエーションです。スタッフの方達は大変かもしれませんが、自閉症など発達障がいの子を抱える多くのご家族に是非とも参加してもらって、この場を利用して肩の力を抜いてもらいたいです。

こどもくらぶに来てるお友達を見ると、息子より早い時期に参加されてます。中には入園する前に参加する子もいます。うちの息子も早く気付いてあげれていたら、入園前に参加して楽しい思いをさせてあげられたのにと悔やまれます。そしたら少し世の中の様子やルールを見せてあげてから入園させられたのにと思います。

こどもくらぶでは私達素人が気付かない所で、それぞれの専門の方達が色々考えてやってくださっているのだと思います。普段の生活でもパニックになられると困るから抱きかかえてその場を離れてとりあえずやり過ごそうでは、子供はなかなか成長しないと思います。時々、親の気力と体力がある時ならば子供と正面からじっくり向かい合い、とことん付き合う日があってもいいかなと思います。

とにかくこどもくらぶをはじめ、いろいろな経験をさせる事は、じわじわとゆっくり効果を表してくれるはずです。マイナスには絶対にならないと思います。いろいろ経験させて、1年単位で振り返ってみるぐらいがちょうどいいんです。そうすると必ず何らかの成長が見られるはずです。

================
================

第二章 共同研究

洞察について(私、記)

息子とコミュニケーションをとったり、危険を回避するためには洞察がいかに大切かという事をこの機会に改めて痛感しました。最近の息子の様子では特に以下の3つの事があります。

①こどもくらぶで席をすぐに立ってしまう・・・

(前半)新しい環境のせいか若干落ち着きはないが慣れるのを待つ。

(中盤)診察があったのでその時に教えてもらった通りにやってみる。それは、今注目すべき人や物に本人の目線を誘導する事。息子の耳元でずっと私がしゃべるので「うるさい」と言われたが、長時間なんとか座れたので効果あり。

(後半)私の顔をチラッと見て顔色を伺いつつ、また席を立つようになってしまった。もともと息子は、走ったり鬼ごっこが好きなので、私と遊びたくてからかう為に席を立つようになったのかと思いがっかりした。後に診察でこの事を聞いてみると、本人としては本当はちゃんとしたかったのではと言われてハッとした。確かに息子は周りに影響されやすい。例えば歌や踊りが始まるとすぐ真似するので一見ノリがいいように見える。
しかし、怒っている人を見ると息子も怒り出して、マイナスの事でもすぐ真似をする。結局はよくも悪くも単に影響されやすいのだと常々思っていた。実際、幼稚園では周りのみんなが座っているから息子もちゃんと座れている。

仕方ないことだが「こどもくらぶ」では周りがザワザワしていたから息子も席を立ったわけだ。言葉で「みんな座ろうよ」とは言えず、影響されて席を立っていたと考えると全ての事がつじつまが合うので、私はすごくスッキリした。と同時に、ちゃんとしたいと思えるレベルにいつのまにか達していた息子の事をエライなぁと少し思った。

======

②5歳になってまた少し言葉の数が増えたと同時に、その中の本人の感情や意思も込められるようになったと思う。しかしまだ喃語(なんご)は多く、所々に知っている単語をちりばめて延々とひとり言をいうこともある。そういう時は周りで何を言っても無駄で、待てる時はそれが終わるまで待ってから声をかける。

先日、幼稚園バスに一緒に乗るお友達が自分の母親に向かって「Rちゃんはバスの中でいっつもうるさいよ」とボヤくのが聞こえてきた。きっといつものひとり言をバスの中でもやってるんだなと思った。しかしそれは息子にとってリラックスしたいい状態のはず。何かさしさわりがあれば、バスに同乗している先生が注意するだろうから、その子のボヤキはとりあえず聞こえないことにした。

診断されたばかりの頃、コミュニケーションがうまく取れないRの父親に向かって、本で情報を得ていた私は「耳の遠い外国人に話しかけるようにやるといいよ」と言ったことがある。息子は周りの人の言葉の中から、単語を頼りに一生懸命理解しようとしていると実際思う。だから細かいニュアンスは分かりづらい。でもそれは一回経験してしまえば、次回以降は何とかクリアできることもある。

それはそのまま私にも当てはまると思う。息子から聞き取れる単語、動作、最近の遊び、生活の中での出来事等の情報源をフルに活用して、息子は今何を伝えようとしているのかを割り出して返事をする。

私が的外れなことを言うと息子は消化不良の表情を浮かべる。逆に当たると、目線は外れてるけどニヤッとうれしそうにする。でもこれは息子が社会に出るほど私の知らない場面が多くなり、情報が減って分かりづらい時も増える。社会に出るのはうれしいが私が知らないことを伝えようとしてくれるのに分かってやれないのは残念でさみしい。

======

③自分の思い通りにならなかったり、人にきつく当たられて悔しい時。以前は物を「なげるよ」とか人を「たたくよ」と言って、その寸前の腕を上げた状態で止めて親の反応を待っていた。私は決まって「壊れるでしょ」や「痛いからダメだよ」と言っていた。そのせいか最近の息子は「走るよ」になったので、行ってしまう前に捕まえるようにしていた。

この事も診察の時に先生に聞いてみると「走るよ」はポジティブな気持ちの整理の仕方と言われた。走る事によって自分の気持ちを落ち着けようとしているのだということだ。これもなるほどと思い、出来る限り走らせてやろうと決めたが残念ながら危険が多いので、公園か家の中ぐらいしか走らせてやれないのが難点だ。

もう一つ、息子が泣きそうな時は抱きしめて「泣いていいよ」と言うと、我慢していたのかワッと泣き出す。これもストレスをため込まない方法になると思う。これから先、またいろんなパターンに変化していくと思われるが、やはり何でも答えをズバリ出してくれる先生に頼りつつ、この先、長い人生親子で頑張らずに肩の力を抜いて乗り切ろうと思う。

================
================

2023.12 現在。

改めまして、私がいま現在働いているグループホームは、神経発達症(発達障がい)、精神障がい、知的障がい、ダウン症等、他もろもろとにかく身体以外は受け入れている施設です。

そういえば先ほどの、幼稚園バスの中の出来事で思い出しました。当時人気だった「デカレンジャー」のテーマソングをうちの3歳の息子ちゃんはバスの中で歌い上げた事があり、お友達みんなから拍手されたそうです。先生から教えてもらい、ほっこりしました。そんな楽しいこともあったんだなと、安心した記憶があります。

そういえばこの当時に主治医のT先生から「R君に対して否定の言葉は使わずに肯定する言葉だけを使ってください」と診察のカウンセリングで言われました。「それがR君の成長につながるから」と。それからずっと20年以上に渡り私はポジティブな言葉だけを使うように心がけました。

もちろん後に産まれる次男・三男に対しても続けました。おかげで反抗期もなく(親バカですが)いい子に育ってくれていると思います。
その証拠に息子たちは友達から慕われ、リーダーに推薦される事が続きました。

さらに今の弟達の芯の強さを作ってくれたと感じています。
そして私の職業だったり、奇跡的なご縁に巡り合えた事だったり、今の私を形作ってくれたのはRのおかげだと心から感謝しています。
ありがとうね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?