見出し画像

稼ぐ系情報商材をぶっ壊す!「具体性・再現性」の罠

こんにちは、ふくろうです。
わたしは目下、Brainで販売用の創作やってます。テーマは稼ぐ系情報商材をぶっ壊す的な。

結構頑張って書いていて、ちょっと見せたくなったので、わたしの脳内の妄言をちら見せします♥

とはいえ、下書き段階なので、3000文字程度、全体想定の1割くらいしか書いてませんけどね(笑)暇つぶしにどうぞ👍

以下、本文
ーーーーーーーーー

「具体性」「再現性」


非常に耳に心地よいワードである。特にノウハウ的な文脈においては、上記の2つの言葉があるだけでかなり魅力的に感じてしまう。具体性と再現性があると聞けば、まるで誰でも何でもできるかのように錯覚してしまう。そう、「錯覚してしまう」のである。言葉とは不思議なもので、ここで並べた2つの言葉は、特に情報弱者にとっては甘言になる。

稼ぐ系情報商材のテキスト、サムネイルやLPの至る所にゴキブリのごとく無限に涌いてくるワードである。


そもそも具体性と再現性とは何なのだろうか?黄色いパーカーを着てビールを飲みながらダラダラ生配信する某論破おっさんが言う「それってデータでもあるんすか?」とか、「それってあなたの感想ですよね?」を超越した何かなのだろうか?


ここでいったん辞典(明鏡国語辞典MX)を開いてみる。

____________

ぐたい【具体】

[名]

物事がはっきりとした形態・内容を備えていて、直接知覚できるものであること。

「具体例」

「具体化(=抽象的な事柄を実際に形として表すこと)」


さいげん【再現】

[名・自他サ変]

以前にあった物事がもう一度現れること。また、もう一度現すこと。

_____________


ということらしい。これらに「性」とついている。「性」も引いてみる。

_____________

せい【性】

[接尾]《名詞の下に付いて》

その性質をもっている意、また、そのような状態・傾向にある意を表す。

「アルカリ性」

「安全性・可能性・独創性」

_____________


つまり、


具体性と再現性があるということは、「物事ははっきりした形をとっていて、誰でももう一度現すことができる」ということになる。稼ぐ系ノウハウ的な文脈においては、「確かな稼げる方法」「確かな稼げるテクニック」といったところだろうか。本当に確かなんだろうか?とわたしは首をかしげている。わたし自身もこれまで大量の稼ぐ系コンテンツを読みあさってきた。


なるほど、確かにどのコンテンツも、「SNSではリプやろう!」のように個別具体的な行動が示してある。一見すると超具体的である。けれども、「超具体的」というだけなのである。コンテンツ内には大量の小さな行動が提示してある。その一つ一つは具体性は帯びている。しかし、具体性のあるトピックがごっちゃに羅列しているだけだ。それらの具体的行動がどういう状況で、どういう流れで、どういう判断で、どういう人たちが関わる中で実行されるときに効力を持つものなのか、いまいちわたしには理解できなかった。レゴブロックの1ブロックをごちゃごちゃにして、目の前に示されているのと同質である。


再現性についてはどうだろう?個人的には、「再現性」の扱い方のほうが酷いように思う。誰でもできるかのような表現が散見されるが、それって本当なのだろうか?どうやって証明するつもりなのだろうか?よくある手法としては、購入者からの料金振り込みの画像を貼り付けたり、購入通知の画面を貼ってみたりと各人の非常に涙ぐましい努力が見て取れる。まさに汗と涙の結晶である。しかし、わたしは数百万円を搾取された経験を経て、相当心がひねくれたのだろう。「この嘘つき!泥棒猫!」と思うのである。というか、画像を作成したりGIF画像や証拠っぽい画面収録動画を作成したりするのはたやすい。パソコンとスマホを使う能力があれば割と簡単に作れてしまう。


また、再現性には、「手法の再現性」と「結果の再現性」の2つがあると思う。


手法の再現性というのは、その方法自体を実行できるかどうか?ということ。成功するかどうかは関係がない。

結果の再現性というのは、その方法を実行した場合に目標とする成果をあげられるかどうか?ということである。


例えば、メジャーリーグで投打の二刀流で大活躍する某日本人選手がいるが、彼を例にするとわかりやすい。二刀流は成功できるかどうかは別として、二刀流自体をやることは子どもから大人まで誰でもできる。しかし、二刀流で同じように成功できるか?ということを考えるとどうだろう?地球上に70億人近い人類がいる中で二刀流で成功できたのは彼一人である。そんな彼に「二刀流で誰でもサクッと稼げますよ★」と言われてもわたしには信じがたい。


ここまででも充分、許しがたい悪行ではあるが世の中上には上(下には下というべきか?)がいるものである。たいていどのプラットフォームにおいても、購入者レビュー&評価というものがある。詐欺師どもはあれを徹底的に利用する。社会的証明の悪用である。つまり、サクラである。


恥ずかしながらわたし自身も稼ぐ系コンテンツビジネス界隈のコミュニティに属していた時代があった。これは一生背負うべき十字架である。コミュニティ内では、「何が何でも稼ぐ」というスタンスが充満している。稼ぐこと自体は悪ではない。人を騙してまでも稼ごうとする奴等がいるのが問題である。コミュニティ内のメンバーに購入してもらい、後から相手の口座に送金するということが日常的に行われていた。


コミュニティの元締めは実際そこそこ稼いでいる者も多い(まあ、その稼ぎ方には「道徳的にどうなのよ?」という疑問符が付くのだが)。その元締めがメンバーの高額商品を買い上げ、その高額商品が売れた画面を収録して、いかにも「稼げました!」的な演出をするのである。実際、わたしが居たコミュニティでもそのような手法が容認されていた。


演出家としては面白いかもしれない。しかし、虚構であることを明示しない上に、それが誰でもできるかのように豪語するのはいただけない。小説にしろアニメにしろドラマにしろ、冒頭部分もしくはエンディング部分には「この作品はフィクションです」と書いている。フィクションならフィクションと書いてほしい。それならば、ある種のエンタメとして楽しむ人もいるだろう(残念ながらわたしは楽しめなかった。そんなお金があるならばスシローorくら寿司に行く)。


ここで少しだけ統計学的な話をさせてほしい。「難しい話はいやーん♥」という人は無視して構わない。再現性を語る上でどうしても外せない論だし、稼ぐ系詐欺師たちの主張を解剖するのに必要なメスになるので。


先ほど手法の再現性と結果の再現性の話をしたが、結果の再現性のほうが重要なのは言うまでもない。しかし、個人の能力や環境次第で結果は変わるため、結果のいかんを一般化することは困難である。某日本人メジャーリーガーの彼のように、誰でも二刀流で億り人になれるわけではないように。


稼ぐ系商材の売り文句中で示される「稼げた」という証拠(仮に本当に稼げたと仮定して)は、母集団から無作為に抽出されたサンプルではない。いわゆる「選択バイアス」になっている。


選択バイアスとは何か?サンプルの選び方に偏りがあり、そのサンプルの示す結果が母集団の結果すべてを示すわけではないということである。稼ぐ系商材の場合でいえば、稼げた一部の者からの証言やデータしか示されていない。一方で実際に稼げなかった悲痛な犠牲者たちの声は一切無視されているのである。


そもそも稼げた人数のそのものも不明確で、全体人数に対する割合がわからない。商材を購入した総数から見れば本当に稼げた者は一人しかいないかもしれない。きわめて一部の例外的なデータを持ってきて、一般化できる再現性があるかのように「見せかけている」のに過ぎない。


百歩譲って本当に確実に稼げるのであれば世の中から貧困は消滅するはずである。しかし、現にそうなっていないというのが、この上ない証拠になるのではなかろうか?


話が冗長になってきたので、ここでまとめよう。


「具体性と再現性はフィクションかも」


楽そうな儲け話は高値で販売されている都市伝説かもしれない。


この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?