書き続けることの、意味。

有益な情報を発信したい。
なにかキッカケになれば嬉しい。
自分の思いの丈を、この一文ずつに込める!

そう思って、言葉を紡ぎだした去年の10月。

読書生活と並行して、読書を通じて考えたことなどを発信してきましたが、最近とあることに気付きます。


発信の質、内容が最初と変わってきたのです。

始めた頃に決めたことがブレなかったら、それは美しいことです。
しかし、人は普段見聞きしたもの、読むもので、
考えや感情さえも変わっていきます。

そうした中で、
何かを書き続けることの意味。


それは、
とことん自分と向き合うことにある
と思うのです。

書くことも話すこともアウトプットにあたります。

インプットをし続けたとしても、
アウトプットをしなければいけない。
アウトプットをしたくても、
インプットをしないと生まれない。

インプットとアウトプットは補完関係にあると思うのです。
どちらかに偏っていても、バランスが崩れる。

そして、自分の中にせっせと貯め続けた知識があったとしても、
それを自分の手によって編集をすることがアウトプットの肝。

書き続けていく中で、そのような考えに落とし込むと、
ふと、腑に落ちていく。

この記事でも、インプットとアウトプットを繰り返し使いましたが、
これらの表現も違う言葉に変換できたなら。
それはきっと、自分の個性という名のセンスなのだと思います。

世の中に決められた、これが文章のセンスだ!というものは、文章術を学べばある程度は身につきます。
しかし、その人固有の個性をセンスと呼ぶのなら、
それは人によって変わるということです。

最近、下記のこの本を読んで、
書くことって自由でいいんだ!
センスと信じていたものも、実際はその人の個性なんだ、という考えに共鳴しました。


この本を読むまでは、書くことによって、
どれだけ人生を彩っているのかについてあまり考えもしませんでした。


書くことは好きだけれども、どこか苦しい。
もっと、正しい形式に沿わなければいけないのかなと、
悩んでいました。

しかし、
もっとフリーダムに、楽しくてもいい。

書くことは自分の内側にあるものを出すことだから、
自分の考えが変わっているのなら、
発信内容が変わっていても、自然なこと。

そう思うだけで、筆を執るのも軽くなってきている気がします。


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