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好いものはやっぱり好かった。

先日富山県氷見市という、日本海に面した冬のブリが有名な街に行ってきた。それも1週間ほど。今回はその時に感じた”好いものはやっぱり好い”についてなぜそう思ったのか振り返る。

エピソード1
そもそも別に氷見市には縁もゆかりもなかった。ただインスタのストーリーに流れてきた、総務省のふるさとワーホリという国内型のワーホリで、記事を書きながら旅ができる仕事を探していて見つけた。それが氷見だった。

セリの声が氷見に朝を告げる

エピソード2
そして実は今回が2度目の氷見滞在である。前回はコロナ前の2020年2月に行った。当時は街の人を切り口に、どんな人がいるのか紹介するのを軸に記事を書き進めた。そして今回は大学4年間の締めとして、そこで学んだ考え方をもとに記事を書いてみた。

遠くには立山連峰

エピソード3
大学4年間で得た考え方。それは価値明示ということ。メディア系の学部にいた私は、何かを伝えたいという思いはあったが何を伝えるかわからないままでいた。その答えの一つとして、地域の人が大切にしているもの(自ら価値を明示しているもの/時にローカルルールにも現れる)を発信するということがある。
従来の大衆向け観光雑誌などでは、その多くが従来想定されていた観光客向けの情報である。しかし、時代は変わり観光のあり方もより地域を深く体験したいという芽が芽生えている。そこにちょうどよく刺さるのが、”地域の人が大切にしていることを伝える”ということ。そうすれば地域の価値観が理解される。それは時には旅を取りやめる理由にもなるかもしれないが、一方で旅を決定づける要因ともなる。そしてその先にはミスマッチの防止及びより良いマッチングが生まれることが期待される。ひいては移住政策にも活用できちゃったりもするので、氷見みたいな仕事がある。

氷見の豊かな里山

エピソード4
だから何かって?前回はよそ者から見た氷見の街とそこにいる人を私目線で描いた。しかし、それは外から見て面白いものを描くという点で、外の価値基準で街を評価するようなものに近い。またそうした外基準で、地域を捉えるとついつい無いものねだりになりやすい。
だからそうではなく、地域にあるものをそのままに取り上げ、そこで何が大切にされているかが自然と浮かび上がってくるような記事を書きたかったのである。それはある意味で川喜田二郎のKJ法的なものであり、主観をなるべく取り除いた参与観察などにも近いものがあるように思う。

一尾10円?!圧倒的鮮度のお魚

エピソード5
その先に目論むもの。それは変わらず埋もれた魅了を見つけることだ。地域の人が大事にするものを知ることで、今見つけられているものを知る事ができる。だからこそ自分が好きなものも同時に追い続ければ、地域の人にとっては価値をまだ持たないものが価値を持つようにすることだってできるだろう。ただ無理には見つけず、既存の魅力に対してやっぱり好いねってなることもまた大切だと思う。
もしくは私には難しいかもしれないが、佐賀県嬉野市でお茶農家と宿泊業者がつながったような”つなぐ/編集”という形もありうる。もちろん全て企図するものではなく、”結果的にそうなるもの”であるという点は肝心だ。

氷見の人が街のお店を発信

エピソード6
そして、やっぱ好い。これが今回の結論である。まだ見ぬ魅力は見つからなかったが、もちろんその萌芽は見られる。それはこれから上がる氷見の記事の温泉版で見られるだろう。しかし、やはり滞在中見えてくるのは氷見の食の豊かさである。地域にあるものを食べるだけで、海の幸も山の幸も四季に溢れているため、その時そこにあるもので生きていける。いやただ生きるのではなく、健康で、日々に充足感を持ちながら生きていける。あの街の食には、記事にも書いたが、地域にあるものを食べて、暮らすだけでずっと長いこと無休でお店を続けられるほどの力もある。(決してブラックではない。40数年間地域で開き続ける伝説の喫茶店があり、その女将が証明している)
他にも氷見の土地の豊穣さに目をつけた料理人が地域のレストランを継承したり、土地が豊かだからこそできた自然農法や有機農業が盛んで、さらには漁業も世界から注目されている持続的な定置網漁法がある。
そうした収穫の段階から、調理され提供される飲食店の段階にまで魅力で溢れている。あと、ほんとにうまくて、無い物ねだりをしないから良心価格なのだ。
富山の食は魅力と言われるが、本当にすごいとわかった旅だった。
やっぱり好いものは好いのだ。

いわずもがな。

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