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Jimi Hendrix - Purple Haze / 紫のけむり - 1967

不世出の天才ギタリストであるジミヘンのこと、取り上げ、語るには遅すぎですよね。
エディやクラプトンやペイジについては既に取り上げましたが(ジェフ・ベッグも出してないけどもっっ)、それは私がジミヘンをあんまし聞かなかった人だからっっ

もちろん、彼の人間離れした異能プレイについては周知しているし評価はしているけど、好きと言われるかというと違うし…嫌いではないけど、聴きたいミュージシャンではなくてっっ

まあ、私は趣味が偏ってますからね。フランク・ザッパとかも聞いてないし~ 自分が楽器弾かない人だから、技術的なことはピンと来ない人です。

そうですね、サンタナやムーア、リッチーやマイケル・シェンカーはラブだし、ロック好きならジミヘンは抑えておけよ!って感じでもあるんですけど。

何ていうか、プレイが凄いのは本当に解る。めちゃテクニシャンだし、天才だし、人間離れしているし、奇跡だって思うわけで…映像として彼のテクを見ていると、すごい神業だ!と感動するものの、音だけで聞いた時に印象に残らないって言うのがあるっっ

「Hey Joe」1967

「Foxey Lady」1967

単純に私のソウル、琴線には響かないって言うだけなんだけども。はい。私の耳にはジミヘンの音って、とても荒い印象なんです。粗削りすぎるって言うのかー なんてかー 音が太すぎるっていうのかー 耳が忙しくなっちゃって、そうですね~ 声で言うと声明的な音なんですよね。一人で複数の声を出しているようなボリューミーな音。

そして、ジミ独特の音の歪みね。あれがいいという人もいるんだけど、私は苦手かも知れないなあ…

ギターを弾く人の場合は、着眼点とか聞き方とか違うと思うのですけど。なので、アルバムを2枚位聞いてみたけど、これって響く、好きな曲っていうのを見つけることが出来なかったのですね。それが彼を聞いてこなかった理由かなん。

「Fire」1967

「Voodoo Child」1968

「Machine Gun」1970

ジミヘンの活躍した時期はわずか4年。
嵐のように現れて、突風とともに去っていった感じですね。生き急いだ天才だったなあと…一時期恋人同士であったジャニスもそうですが、

とにかくギタリストとして、No.1のレジェンドであることは間違いなく、ストラトの魔術師として、永遠に語り継がれる神話のような存在です。ギターの神様と言って間違いないし。

さて、ジミヘンの本名はジェームズ・マーシャル・ヘンドリックス。アフリカ系の父とチェロキー族の母の間に生まれたブラック・インディアン。色々ありまして、主に母方の里であるインディアン居留地で育ちます。

「I Don't Live Today / 今日を生きられない」1967

インディアン居留地で過ごしたことで、希望のないインディアンたちの暮らしを垣間見て生まれた曲。

「Angel」1971

この曲は、亡くなったお母さんが夢に出てきたことで作ったという話。

そうですね、私の知り合いに数十年前、日本に亡命してきたネイティブアメリカンの女性がいるのですけど(すごく誇り高い人です。ものすごい頑固だし)、アメリカ政府のネイティブアメリカンに対する政策の犠牲者とも言えて、強制的に避妊手術を受けさせられた過去があったりして。何ていうか、この現代においても彼らに対する扱いは酷いです。

黒人に対する差別問題は問題になるし、よく取り上げられますが、ネイティブアメリカンを土地に縛り付けて、人口を抑制し、飼い殺しにしているのは今もなので、人権侵害問題なんですよね。ただ、拷問とか虐殺とかが今はもう無いだけであって…彼らは声を上げずに堪えている。あきらめているというのかなあ…

そして黒人でもあり、インディアンでもあるというのは、アメリカ人として不安定なアイデンティの問題も抱えることになりますね。

「Purple Haze / 紫のけむり」1967

ジミヘンと言えばコレな代表曲。ドラッグソングとして有名ですが、ジミ曰く「海底の底を歩いている夢を曲にしたもの」と反論しています。

どちらかというと「ヘイ・ジョー」の方が好きな曲だけど、こっちをタイトルにしてみました。

で、ジミーがギターを弾き始めたのは意外と遅くて、15歳の時なんですよね。アコースティックギターを父親からギフトされて、レコードなどを聴き、独学で学んでマスターしたという。して、アマチュアバンドで経験を積んだものの、窃盗で捕まって逮捕されそうになったのを避けるため、陸軍に入隊。

とは言うものの、ベトナムには行かず、陸軍にて軍隊内のクラブで演奏することになり、後にバンド・オブ・ジプシーズを組むベーシストのビリー・コックスと出会うわけです。

で、除隊後に音楽活動を再開し、バックミュージシャンとしてアイク & ティナ・ターナー、アイズレー・ブラザーズなど、数々の有名ミュージシャンのバックでプレイし、ツアーにも同行。

Ike & Tina Turner「Proud Mary」1970

The Isley Brothers 「That Lady」

リトル・リチャードのツアーにバックメンバーで参加した時には、演奏中の音が大きく衣装やアクションが派手だったため、リチャードから「俺より目立つな!」と怒られたそうw

1966年 ジミは自らのバンドである、ジミー・ジェームズ・アンド・ザ・ブルー・フレイムズを率いていたのですが、ストーンズはキース(リチャーズ)の恋人リンダが、ザ・アニマルズのベーシストだった、チェス・チャンドラーにジミヘンを紹介したことで彼に見いだされ、渡英。

オーディションを行って、ノエル・レディング(ベース)、ミッチ・ミッチェル(ドラムス)と共に、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを結成します。

そして彼の斬新で天才的なギター奏法の前に、クラプトンもジェフ・ベックも驚嘆します。ベックに至っては、絶望して廃業を考えるほどっっ

ジェフ・ベック

1967年に本国で開催された、モントレー・ポップ・フェスティバルに出演し(ポール・マッカートニーが推挙)、このフェスでの演奏で観客を圧倒的にノックダウンし、爆発的に彼の知名度と人気が上がって一気にスターダムにのし上がります。

ブラック・エルビスとかワイルドマンと呼ばれた、ステージでの扇情的でセクシャルなパフォーマンスとは裏腹に、私生活では、とってもシャイな人見知りで、とても礼儀正しい人物だったというのですから驚きです。

でもって、黒人なのに白人向けの音楽を演奏していたということで、当時の世相(公民権運動)からして「裏切りもの」と罵られ、黒人専用のラジオ局から無視されることも多々で、そのことをジミはとても悩んでいたそうな。

同じ黒人のハウリン・ウルフからは、共演した際に面と向かって「白人と組んで金儲けをしている裏切り者」となじられたそうで、なんか酷いなーって思ってしまう。たまたま彼の音楽を受け入れたのが白人社会が先だったってだけなのに。

ハウリン・ウルフ

で、色々すったもんだあったあげく、ノエル・レディングが脱退し、軍隊時代の友人ビリー・コックスを新たに迎えて、ジプシー・サンズ&レインボウズとして活動を再開。1969年にはウッドストックに出演しました。

「The Star Spangled Banne」1969

この演奏は有名ですよね。伝説的なライブの伝説となった演奏。間奏の演奏はベトナムで逃げ惑う人々、爆撃や乱射の音を表現しているのだそうです。ジミはテレビやアニメの効果音をギターで演奏することが特技でした。

でもって、前述のバンドはまたしても色々あって挫折し、三人編成のバンド・オブ・ジプシーズを結成するも翌年解散。

その後またなんだかんだあるうちに、ミュージシャンにとっての魔の27歳という若さで逝去することに。死に関してはあれこれ言われましたが自殺でも他殺でもなく、事故死ということで落ち着いています<嘔吐物を喉に詰まらせての窒息死

ジミというと左利きでありながら、右利きのギターを左利きで弾くということでこれまた有名です(ポールとかは左利き用のベースやギターを使う人だけども)。

文字を書くときは右利きだったし、本当は右利きだったんじゃないの?と言われてますけど、たぶん両利きだったんじゃないかなあ。

というのは、私自身両利きで鉛筆お箸は右利きなんですけど、お金を扱うときは左利きでラケットも左、カードを扱う時も左、サービスの仕事をするときにトレイは右で左で配膳するのです。ギターは右利きで扱ってましたけど、弾きにくかったから、もしかしたら左利き用を使えば楽だったのかも知れないなと思ったり

「Little Wing」1967

何はともあれ、偉大なギタリストに乾杯!

本編映像+予告編「JIMI:栄光への軌跡」2015

ジミ・ヘンドリックス伝説の2年間を描いた伝記映画デス。


他blogに書いてあるものを、訂正・加筆・リンク修正の上、こちらに再度マガジンとしてまとめてUPしています。

「My Favorites〜音楽のある風景」
 2021/07/06 掲載記事より転載


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