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モントリオールのパフォーミングアートフェスティバル"FTA"鑑賞記録


Festival TransAmeriques


モントリオールで1985年から実施されているパフォーミングアートフェスティバル”Festival Trans Ameriques”(通称:FTA)に参加。
今年は、テーマとして先住民やその文化にフォーカスし、演目以外にもトークイベントなどもそれに沿ったトピックが見られました。

今回は鑑賞作品の感想を記録。
次回は、渡航目的でもあるフェスティバルマネージャーのトレーニングプログラムについて記録予定。
(あと、コロナ陽性になり帰国困難民になった記録も、、、w)

鑑賞記録を残すことにした理由

フェスと連携して行われた、European Festival Academy主催のマネージャートレーニングプログラム参加の傍ら、舞台作品12作を鑑賞。(よく観ました。)コロナになり、こんなに長期間海外渡航しなかったのは人生で初めてだった。この刺激的な日々の記録をきちんと残しておきたく、全作品の感想を記載しておこうと思う。
どの作品も特徴的で、フェスティバルとし相対的に非常に面白かった!!

私の中で好きだった作品No.1とNo.2が、どちらも男性デュオで瑞々しく人間模様を描いた作品だったのは、もしかしたら、私がこういったコアで純粋な人間関係を渇望していたからかもしれない。
作品鑑賞以外にも、人の温かさ=Heartwarmingを強く感じる旅だった。そして、日本でもこんな作品が上演され、人々がもっと純粋に愛情を大事にし表現できるようになるといいのに、と強く願う。


■日本では上演しにくいが、世界はこういう視点を持っているのだと感じた作品

NADIA BEAUGRÉ
“L’homme rare”(日本語訳:珍しい男)
https://fta.ca/en/event/lhomme-rare/
黒人3名と白人2名の計5人の男性出演者が、軽快なアフリカン調の音楽にのって、ノリノリで客席後方から登場。服装は派手目だが様々でバイセクシャルな服装の人も。観客のテンション無視して、盛り上がりマックスなお兄さんたち。観客、ついていけずw
盛り上がりを保ったまま舞台に上がりきると、徐々に服を脱いで全員全裸に。うまいこと陰部が見えないように、基本的には後ろ向きで動くか、脱いだ洋服などで下半身を隠す。(たまにチラ見絵しちゃうのはご愛嬌w)
軽快な音楽がやんだ後も、体をたたいて音を出したり、コミカルな動きをしたり、歌ったり、しゃべったりしながら、ユーモラスな印象の時間が経過する。終盤にかけて、白い布を体にまといながら、アフリカンダンスの動きのような腰の動きで、魅せる。よく動くな~~。
なんで、黒人と白人のミックスなんだろうと思っていたら、作品解説によると、歴史上の奴隷時代のことを描いているらしい。なるほど、それで全裸+白い布で、体を叩いたりしていたのか。シリアスな題材をコミカルな要素で突きつけるのも一つ芸術の力だ。
全員の動きが止まるラスト5分、このタイミングで全裸の女性がハーモニカを拭きながら客席後方から登場。そのまま舞台に上がると、とても豊かなおっぱいを揺さぶって、肌がぶつかる音を出す。日本人には絶対できない技だww セクシャルについても作品に盛り込んでいた。
一見、見やすいタッチに仕上げている作品だが、題材などを踏まえると、終演後も色々と考えを巡らせた、思考性の高い作品だった。

★鑑賞中No.1の作品 20分の間に広がる二人の物語

ALESSANDRO SCIARRONI
“Save the last dance for me”

男性デュオ作品。上演時間20分。
劇場ではなく、旧病院の集会場か何かの部屋に、フロアを囲むように客席が並ぶ。フェスティバル期間中、ここ以外の会場もあったようで、柔軟にに上演場所を変えられるようだ。
開演すると、シャツとスラックススタイルの2人男性出演者が部屋の中へ入ってくる。フロアには四角い外周のように貼られた白いテープがある。どうやら、イタリアの伝統的なペアダンスのステップを繰り出すガイドラインとなっているようだ。単調なビート音が始まり、腕を組んだ二人がペアダンスのステップを踏み始める。ステップは社交ダンスのようで、流れるようにフロアを動いていく。ルーティーンを何度か続ける中で、徐々に音がメロディアスになっていく。すると、至極単調に見えたふたりの動きがまるで物語を奏でているように見えてくる。ステップはおそらくフォークダンスオリジナルをそのまま使っていると思うが、二人の表情が徐々に緩み、微笑み見つめ合う様子や、ときどきかすかに見える声のかけあいによって、二人をまとう空気に彩りが生まれ、ダンスに感情が浮き上がるのがとても瑞々しい。そして最後は、不意にステップをやめ、手を繋いで部屋の外へ出ていく。
たった20分の作品なのに、濃密な2人の関係と、表情や感情の変化がにじみ出し物語が展開されていたのが素晴らしかった。見ているこちらも自然と笑顔になり、少し泣いてしまいそうになった。心揺さぶられた。

☆鑑賞中No.2の作品 人間関係の瑞々しさを描いたコンテンポラリーダンス作品

NAISHI WANG
“Face to Face”

中国出身でカナダ・トロントで活動する若手振付家のデュオ作品。とてもとてもクオリティの高い、コンテンポラリーダンス作品。おそらくかなり長い時間、綿密に身体の探求がなされていて、作り込まれていることが見えて、アーティストとしての力をとても感じた。
開場中、舞台上のスクリーンには、空っぽの客席に座る男性出演者二人の映像が映されている。時折動いたり、目を合わせたりするだけで大きな動きはない。まるで本当にそこにいるみたいだ。開演すると、スクリーンには、街中の色々な場所の様子が映し出され、そこを手を広げた男性が歩いて通り過ぎる。不意に映像が消えると、映像と同じように手を広げながら出演者2名が二人が舞台上に歩いて登場しハグをするところから始まる。会話をするようにスローに動きを繰り出しながら、徐々に表情も動かしていき、二人の関係性が語られるような緻密で繊細なムーブメントが繰り出される。時折入るユニゾンも全く違和感なくフェードで移行されていき、動きにつまりが全く見られない。
中盤、NAISHIが舞台を去ると、スクリーンに映像が映し出され、彼は映像の中で踊り出すがまるでその中にいるようだ。それに呼応するように舞台上のダンサーも動きを繰り出し、バーチャルの関係性がまるでリアルかのように見えてくる。
終盤でNAISHIが舞台上に戻り、しばし二人で動いた後、動きを止め冒頭と同じようにハグをしようとする瞬間に暗転。特に突飛な表現もなく、既視感のあるコンテンポラリーダンス作品ともとれるが、照明や映像含め全ての要素がとても緻密に練られ計算されている上質な作品だった。コロナ禍で見直された人間関係を描いた情緒豊かな、ニューマンドラマを見た気がした。

◻︎日本でも応用した作品ができそうだと思った実験的作品

Aurélie Pedron | Lilith & Cie
“Invisible”

OFFTA(FTAと同時期に行なっているフリンジフェスティバル)の演目。
72時間連続パフォーマンスらしい。そんなこと、誰が考えたんだろうw
大きな部屋に、オブジェクトや照明がランダムに配置されている。
出演者のダンサー10名程度と1匹の犬(1)は、空間の各所に自由に滞在し、フロアに出ず座ってる人や寝てる人もいる。観客も、ダンサーと同じ空間の思い思いの場所で見る。奥には、ダンサーが仮眠や食事をとる控え室があるらしい。本当に72時間、ここで過ごしているんだな~、、、。
数カ所、スピーカーにつながったジャックがあり、観客含め好きな音楽を流せるようになっている。ランダムに流れる色々な音に体をのせるダンサー。
入場前に入り口でトランプのように何枚ものカードが入ったケースが配られた。それぞれのカードには、「ダンサーを海のように眺めて」「目を閉じて動きの音を聞こう」「ひとりのダンサーの動きから生まれるインスピレーションをノートに書いてみよう」など、色々なメッセージが書かれていて、観客にどのようにその場にいるかの選択肢を渡している。
最初はどんな風に見るのかわからなかったけど、長時間いるうちに、眺めるようにダンスと共存する心地よさが生まれる。カードの助けも非常に有効で、流れる時間や目の前で起きている事象を自然に受け入れ、傍観するようになる。ダンスを”見よう”とせずに受け入れることに慣れてくると、ダンサーたちの身体がまるで空間に溶け込んだかのようにも見えてくる。
ダンスと共存することを心地よく提示している、とても良い作品だった。舞台作品ではないけど、日本語でも対応できるし、いろんな国のフェスティバルとかで応用クリエイションなんかしたら面白そうだな~と思った。72時間やるかどうかは置いておいて、、、w

◻︎誰でも鑑賞できる屋外パフォーマンス

LARS JAN
“Holoscenes”

ダウンタウンの文化複合施設などがある大きなモールの屋外広場に特設された水槽でのパフォーマンス。客席はありつつも、無料鑑賞できるようにオープンになっている。
5時間ほどの上演時間で、何人かのパフォーマーが順番に演技をしているようだ。普段着の1名のパフォーマーが、空の水槽に入ると、徐々に水かさが増して満杯になる。布や洋服を水に泳がせたりしながら、水の中で縦横無尽に動く。途中、水かさが上がったり下がったりするのも、視覚としておもしろい。
私が見た2名は、私服が野暮ったく見えて、もう少し体のラインが美しく見える衣裳の方が綺麗だよなー、と思ってしまった。そして、動きも対して斬新さがなく、正直すぐ飽きてしまった。他のパフォーマーはどうだったのかな、、、。
といいつつも、公共の場でこういうサイトスペシフィックなパフォーマンスが上演されるのは、一般の人がたくさん見れて、とても良いと思った!
モントリオールは、毎週何かしらのフェスティバルをやっているらしく、街がアートやイベントを自然に享受していて、人々の能動的な鑑賞姿勢が素晴らしい。たくさんの人が見ていた。

■いかにもコンテンポラリーダンスっぽく実験した作品

CATHERINE GAUDET
“Les jolies choses”(日本語訳:可愛らしいものたち)

大きな劇場での上演。400人以上入れるサイズだった気がする。
オーソドックスな素舞台、白リノリウム。
女性2人、男性3人のダンサーが、エアロビクスのような形のグレーの衣装を着て立っている。
メトロノーム的な一定の音に合わせて、1人の女性が腕を動かし始める。他の出演者も一人ずつ、一定のリズムに合わせて至極単調に動き始める。
徐々に場所を変える動きが出たり、大きな動き、声を出すなど動きの幅が広がる。隊列を組むようになり、より一層動きは大きくなり楽器を協奏するような展開を続ける。音も徐々に盛り上がりつつも、全員が一定のリズムから外れる気配が一向になく、これはこのままラストまでいくかな、と思ったら、案の定その方向性だった。こういう作品、何回か見たことある。既視感のある作品性に気づき、ここで私の中のハードルがグッと下がる。
一定のリズムに合わせてひたすら全力で動き続けるという、ランナーズハイのような効果を狙った演出。終盤、その効果を助長するかのようにダンサーたちは声を出して自らを鼓舞する。1時間の上演時間が経過し、ダンサーたちが動きを止め、暗転。観客はスタンディングオベーションでダンサーを賞賛。
え!?そんなに!?というのが正直な感想。1時間動き続けるのはもちろん大変だけど、作品を上演するためにトレーニングを積むダンサーの身体に対して、圧倒的に負荷が足りていないと感じた、、、。カーテンコールも余裕綽々だったし、みんなまだ全然動けそうだった。あの程度の負荷ではダンサーズハイに達するのは無理だし、それを狙ったんだとしたら、演出家として甘すぎないか、、というのが率直な感想です。
当該振付家を知っている人曰く、以前の方が作品が面白かった、という残念な評価も耳にした。

◻︎大人も子供も楽しめるブラックファンタジー作品

EURIPIDES LASKARIDIS
“Elenit”

オーストラリアのカンパニーによる、子供も大人も楽しめるブラックファンタジーの、ノンバーバル演劇。
お姫様?のような主人公が暗闇に登場、よくわからない言葉を喋る。黒子?に扮した出演者が色々な小道具を繰り出していく。
途中から、ずっと泣いてる大女や、人間の足を愛でるおばあさん、小さいおじさん、持っている大きな枕にすぐ倒れこみ寝てしまう少女など、ブラックな印象のキャラクターがどんどん登場。普通の人間のキャラも一人いるが、溶け込んでいる。
ストーリーは特になく、恋模様を描いたりパーティーしたり、クラブになったり、その世界観で色々なシーンが展開されていく。
セットも、スタッフワークも、衣裳も、何もかもが非常に作り込まれた作品。お金かかってるなー!という印象。
アフタートークで聞いたところによると、衣裳の発想から始まり、約2ヶ月間、スタッフもつきっきりで構想、稽古したらしい。贅沢。
親子で観れる作品だしノンバーバルなので、フェスティバルなどの演目としてはとても良いと思うのだが、上演時間が2時間あったのが玉に瑕。後半は飽きてしまったので、1時間くらいで治ればツアーなどでガンガン世界を回れそう。

■石鹸を使った実験的なフィジカルパフォーマンス作品

ALICE RIPOLL
“Lavagem”

ブラジルのフィジカルシアターカンパニー。
囲み客席のブラックボックススタイル。
男性3名、女性2名の出演者が、大きな1枚のビニールシートの中に入って、もぞもぞと登場。ビニールシートを開いたり閉じたりをしばし繰り返した後、フロアに広げる。フロアに置かれたバケツに入った石鹸水を頭から掛け合ったり、ビニールシート上に巻いたりする。なるほど、滑るようにするのね!!
複数人で体を組み合わせて滑り台のようなものを作ったりして、互いに滑り合ったりして、まるで魚のように見えてくる。
作品後半では、石鹸水をあわ立ててふわふわの泡を大量に作り、横たわる男性出演者に盛っていく。
フィジカルを前面に押した作品ではあるし、スリップする動きや泡の使い方は面白かったけど、ストーリー的なものがなかったので、ただただ傍観して終わってしまった。もっと多彩な動きのエッセンスや展開が出ればもっと魅力的なのに!と思ってしまった。

■現代美術館とかで上演してほしいアート色強目の作品

ANDREW TAY + STEPHEN THOMPSON
“Make Banana Cry”

ファッションショーのランウェイを模して、観客席もそれに沿って設置されている。
「イメージや印象派一辺倒じゃない」というようなコンセプトで、アジアをモチーフにしたフィジカルシアター作品。
6名の出演者が、ものすごく厚着をしてほぼ顔が見えない状態でゆっくりランウェイを歩く冒頭。不気味な印象から始まり、それが15分以上続く。バックヤードを通過して戻ってくる出演者が徐々に服を脱いで、テンポも上がりどんどん弾けていく。テンションはどんどん上がっていき、最終的にもはやよくわからないエキセントリックで奇妙な格好や小道具を使って、もはやカオス。
個人的に、感想は特に持てなかったけれど、「アジア人のイメージが、なんか思ってたのと違うな、、、あ、でもこれは作品だから、本当にイメージとはまた違うか。」など、頭をミックスさせられるような感覚になるかもしれない、と思ったので、これも一つのアートの形かもしれない!
印象的だったのは、この作品に限らず、高校生と思われる若い層が一定数観客席にいることで、フェスティバルの観客育成思考の高さが伺える。本作品においては、高校生たちは馬鹿馬鹿しい出演者の格好や動きに終始大爆笑して、ある意味作品の一部になっていたww

■アフリカの原点的アイデンティティを描いたモノローグ

FELWINE SARR + ÉTIENNE MINOUNGOU
Traces – Discours aux Nations Africaines”

黒人男性が、アフリカのアイデンティティを語る、モノローグ一人芝居。アフリカの弦楽器演奏者が、要所で美しい音楽を奏でる。
フランス語上演だったため、英語字幕がついていたが、内容的に追うのがなかなか難しく理解し切らなかったのがとても残念。
客席の明かりは消え切らず、彼は観客との会話をリアルタイムで作り出していた。(実際、字幕がない会話も垣間見えたので、本当にその場で話していた)とても柔らかい語り口で、会場はとてもリラックスした雰囲気で終始時間が過ぎた。
アフリカ出身の友達曰く、「アフリカ出身の人たちはみんな家族で、心の中では同じ故郷を持っている」というような趣旨だったということで、こういった民族的な作品を日本で見る機会もあまりないので、とても良い時間を過ごせたと感じた。

■女性の内面をあぶり出すフィジカルシアター

MÉLANIE DEMERS
“Confession publique

黒人女性のソロ作品。(アシスタント的な出演者はいる)
開場中から、女性がドラムの前に座っている。開演と同時に、突如彼女がドラムを規則性なく盛大に叩き始める。とても耳に付くうるさい音。そこから徐々にドラムセットや洋服を、アシスタントが取り除いていき、全裸になる。何かを回顧するように語ったり、時に叫んだり、自分のバストをねじり上げたり、バイオレンスに近い表現も見られた。
人間の内面を暴き出し滲ませるような作品だったが、個人的には女性の叫び声やバイオレンス的な表現がとても苦手で、鑑賞するのに不快な作品だった。

■これぞコンテンポラリーダンス!という感じの作品

DANIÈLE DESNOYERS
“UNFOLD I 7 perspectives”

OFFTA(FTAと同時期に行なっているフリンジフェスティバル)の演目。
2019年にFTAで上演された演目の再演。振付家のDanieleは10年ほど前に日本での上演経験があるらしい。(私がこの業界に入る前。)
膝くらいの高さの台が2列に中央縦に置かれていて、男女8名?のダンサーはその上を歩いたり、フロアワークで移動したり、台と台の間を通ったりして、後方から客席側への移動を繰り返す。途中、衣装をどんどん変えていく。機械的な動きや、軟体動物のような動きなど様々なムーブメントが繰り出され、ダンサーの身体力の強さが見える。ダンサーが台を動かすと、空間がグッと広がり、ダンサーが縦横無尽に動き出す。ここまでは、世界観もシャープでソリッドな動きが際立ち、とても良かった。
後半、空間が広がるとユニゾンが始まるのだが、振付が単一的で面白くない。そして、スピード感がない。終盤、男女のペアシーンで終わるのだが、ここでも既視感のある動きの連発で、特に大きな展開もなく、終演。前半のあのソリッド感はどこへ!?という感じ。
前半と後半の差がすごすぎて、、、作品って難しい、、、と思ってしまった。

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