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うさぎのミミ


<まえがき>

私にとって、とても大切な作文があります。それは、私が小2の時に書いていて、「なおちゃん、これは大作だよ」と、当時の担任の先生が30年以上も大事に持っていてくれたものです。

飼っていたウサギの話を書いています。引っ込み思案で友達と馴染めなかった少女時代。作文や本だけが私の心を開かせていたのだと思います。給食の時に全校放送で作品が読まれました。照れくさいけれど、どこか嬉しかった記憶があります。

勉強も運動も、給食を食べることも、人と話すことも苦手だった私が唯一できたこと。それが作文を書くことでした。

うさぎのミミとの暮らしを思い出しながら、ミミが見ていたであろう私の変化に想いを巡らせて物語を綴ります。一歩踏み出す勇気のない方、一緒に扉を開けましょう!


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 『うさぎのミミ』


わたしは、うさぎのミミ。町の小さな床屋さんで暮らしているんだ。耳が長いから「ミミ」っていう名前になったんだって。

お店が開いている時はいつも決まって、赤・白・青のサインポールがまわる隣でお客さんや家族の様子を見ているよ。


『きれい好きだねぇ。このうさぎは』
なんてお客さんに声を掛けられることもある。
手をなめて顔にこすりつけて、きれいにしているからね。


床屋さんは丸顔で優しいお父さんと、よく笑うお母さんが働いている。ちいさな姉妹や、おばあさんもいる。大人しくて引っ込み思案なお姉ちゃんは六歳。歌ったり踊ったりが好きな妹は三歳。この二人がいつも私に食べ物をくれるんだよ。キャベツが大好物なんだ。


わたしは家族が大好きなんだけど・・ひとつ不満がある。

それはオリに入れられていること。

時々外に出してもらえるんだけど、この時はもう最高!ぴょんぴょん高く飛べるし、どこまでもどんどん走っていける気持ちになる。外の世界をもっと知りたいな!


ある日、お姉ちゃんが私を外に連れ出してくれたんだ。やったぁ、と思ったけど、道路は車がたくさん通るから怖かった・・

車を見たくないし音も聞きたくないから、ドブに顔を突っ込んでじっとしていたよ。ブルブル震えて小さくなって・・動けなくなっちゃった。

家族やお客さんは優しいけど、何だか強そうなものは苦手。私は小さいうさぎだし、体もフワフワ。ぶつかっちゃったら大変だよ。


そうしたらお姉ちゃんは、それをわかってくれたみたいで野原に連れていってくれたんだ!お姉ちゃんと二人なら知らないところでも大丈夫!どんどん走ったよ!

オリの中が嫌だと思っていたけど、外には怖いものがたくさんあるかもしれない。このままがいいのかな?



夏休みに入ると家族が増えたんだ!ヤドカリくんがやってきたよ。
ヤドカリくんもケースに入れられているけれど、よく見たら大きな貝殻が何個か入っている。

『いつお引越しするんだろうね?』って、お姉ちゃんと妹は毎日毎日、ヤドカリくんをしょっちゅう観察していたよ。


『ミミ!君は自分の殻からでないの?』
わっ!!! ヤドカリくんが話しかけてきたよ!!

『だって、外の世界は怖いもの。ヤドカリくんは平気なの?』

ヤドカリくんは答えました。

『ボクは体が大きくなったら、体に合う殻に引っ越さないと死んじゃうんだよ。だから勇気を持って今いる貝殻を出て、次にいくの。何度もやってるよ。ボクもはじめは怖かった。でもね、新しい世界に行けば新しいボクになれるから、古いボクとは違うんだよ。怖かった気持ちもなくなっちゃうの!!君も出来るよ!!』



『君も出来るよ!』
ヤドカリくんの言葉がぐるぐる巡ります。

ミミは考えました。
『そっか!わたしも出来るんだ!』



変わりたい気持ちがどんどん膨らみ、穴を掘って掘って、ある日、オリから脱走しました!な~んだ!自分の力でいつでも外に出られるのに、これまでしていないだけだったんだ。

わたしは出来る!そう思えたら、いつものオリにいても何だか気持ちが違う。ちょっとした自信を持てたのかな?これが新しいわたし?

ミミは嬉しくなりました。

見た目でわからなくても、新しいわたしになっていることってあるんだね。



家族を観察すると、大人しかったお姉ちゃんにも変化の時が来たようでした。

お姉ちゃん、笑顔が出せるようになったんだ!
「笑うときは歯を見せるんだよ」って、おじさんに教わったんだって。口を開けて笑うことが出来なかったお姉ちゃんだけど、素敵な笑顔になったよ。良かったね!

わたしも、笑ってみよう!!楽しくなってきた!
変わるって楽しいことだね!人から教えてもらったことは素直にやってみるものだね!


そして、笑えるようになったお姉ちゃんは、作文をどんどん書き始めたんだ。


「うさぎのミミのこと」っていう題で、わたしのことを書いてくれたことがあって、その作文が給食の時に全校放送で読まれたんだ。

お姉ちゃんはすごく恥ずかしかったらしいけど、そう言いながらもちょっと嬉しそうにしてた。引っ込み思案なお姉ちゃんは自分の思っていることを人に伝えるなんてできないから、代わりに放送委員のお友達が読んでくれて良かったね。


作文でお姉ちゃんの書く字はマス目いっぱいに大きくて、担任の先生は、「話せなくても、思いがいっぱいあること知ってたよ」って、伝えてくれたんだって。「これは大作だよ」って、言ってくれたんだって。

勉強も運動も、給食を食べることも、人と話すことも、全~部苦手だったお姉ちゃんが、初めて出来たこと。それは作文を書くことだったんだ。

それからお姉ちゃんは、本を読んだり、日記を書いたり、たくさんの言葉に触れていくようになったんだ。


そんなお姉ちゃんは、大学を卒業すると実家を出たんだ。九州っていう遠いところで、アナウンサーになったんだって。

お姉ちゃんが九州に就職するのが決まった日、お父さんは、わーん、わーんって、子どもみたいに泣いちゃってね。普段は感情を表に出さないお父さんだったからびっくりしちゃったけど、それだけお姉ちゃんのことが大切で、愛していたんだね。

一緒に暮らさなくなっても、お姉ちゃんは心に中にはずっといる。野原での安心感。あの気持ちはお姉ちゃんが教えてくれたんだ。愛された記憶があれば強くなれるね。


お姉ちゃんは大学時代に、野球場でアナウンスのボランティアをしていて、その時に球場の人たちから、『あなたはアナウンサーになれるよ』って、言われたんだって。

それで、『なれるんだ!』って、素直に思っちゃったんだって。
面白いね。お姉ちゃん、純粋だからね。


アナウンサーになったお姉ちゃんが、今度は誰かの気持ちを伝えてあげる番になったね。どんどん届けて欲しいなぁ。

人って変われるんだね。


そうだ!わたしもヤドカリくんの言葉に勇気が出たんだった。今度はわたしが伝える番。

『君なら出来るよ!君ならなれるよ!応援してるよ!やってみて!』

そう言って、ミミはピョンと、高くジャンプしました。


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<あとがき>


この物語は、熊本市国際交流会館であった作品を生み出す講座で書いたものです。南阿蘇村の葉祥明阿蘇高原絵本美術館の葉山祥鼎館長を講師に迎えて、作品作りを学びました。

ナビゲーターを務めた私も参加者の熱意に触れていく中で、書きたい気持ちがムクムクと沸き起こり・・・私の人生で大事な作文をモチーフに作品作りに取り組みました。

そして、子どもの頃に自分が書いた作文から、こんな物語ができたことに驚きです。気持ちが外に出せない分、内に内にと蓄えたものを作文に吐き出していたのでしょう。いい先生に巡り合っていたなぁと思います。

アナウンサー業30年になりますが、私の根幹にあるものは、「誰かの想いを届けたい」ということなのでしょう。上手く伝えられない人に替わって、取材して届ける。作文が全校放送で流れた日の気持ちを鮮明に覚えています。

『うさぎのミミ』を書いたことで、私の人生もこれからまた動き出すかもしれません。葉山館長が、作品を書き終えると人生が動き出す!と、お話されていました。

小2の私に伝えたいです!あなたはそのままで大丈夫と。どうしようもない不安も自信のなさも、人生を豊かにする要素になっているかもしれませんね。

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