見出し画像

自己愛とは決してマイナスなものではなく、むしろ自己愛がない人間の方がヤバい。

臨済宗建長寺派「林香寺」の住職でありながら、精神科医でもある川野泰周さんとの対談記事(前編)がアップされました!

画像1

「FOR2035」連載対談第三回目です(一回目は経済学の安田洋祐先生、二回目は社会学の水無田気流先生でした)。いつも対談し始めると、予定とは違う話で盛り上がるのですが、今回もみっちりお話してきました。

何が興味深いかというと、単なる禅寺のご住職というだけではなく、現役の精神科医としても活躍されているマルチな視点を川野さんがお持ちだからです。

是非ご一読ください。

画像2

FOR2035来るソロ社会の展望を語る – vol.3前編 / ゲスト:僧侶・精神科医 川野泰周さん ソロ社会で求められる「対話」と「セルフコンパッション」

googleなど世界的な企業が取り入れたことで話題となった「マインドフルネス」ですが、禅や坐禅との違いを理解している人は少ないと思います。僕自身もそうでした。
個人化する「超ソロ社会」において、必要となってくる「ひとりひとりの生き方」について、いろいろと深いお話を伺ってきました。

女子会でありがちな「わかる~」っていうのは対話ではない。誰かの悩みや苦しみを聞いた時に、一緒に泣いちゃったり悲しんだりしてしまう女子がいるが、それだと相談した相手の悲しみは深まってしまう。

これ大事です。対話とは何か?について語っています。


ビジネスマンに自己啓発本が流行っている歪み。現代人は心の中の根底にある自我が安定しておらず、自分の心幹が養われていない。だからこそ、定型化されたハウツーを欲したがる。でも生き方って、哲学や思想であって知識ではない。

僕自身はあまりこうした自己啓発本は読まないのですが、大体書店で売れるのはビジネス的な観点の自己啓発本です。よくあるのが「○○するやつは成功する」とか「○○しないやつは二流」とかそんなタイトルのもんですね。

そんなの、ぶっちゃけ「人による」

ハウツー的なものとかテクニック的なものをいくら吸収したところで、それを実践する人と合っているかどうかとは別の話。かつて、HotDogPressとかポパイとかの雑誌で、よく「恋愛ハウツー」的な記事が人気でしたが、あんなもの真に受けてモテた試しないから。

自信のなさを「知識」や「教養」で穴埋めをして安心するという心理です。ですが、実はこれこそがソロ男・ソロ女たちの欠落感を刺激する「エモ消費」の一種でもあるんですが…。その話はまた別で。

画像3

よく悪いものとして扱われますが、“自己愛”は、自分を支えるための自信や自分の存在価値への信頼度であり「あって然るべきもの」。慈悲は他人に向かうものですが、根底に自分への慈悲や思いやりがないといけない。そうじゃないと、無意識に見返りを求めてしまう。

拙著「超ソロ社会」の中でも、「まずは自分を愛するようになること」ということを書きました。自己愛とは決してマイナスなものではなく、むしろ自己愛がない人間の方がヤバいです。

ただし、自己愛が悪い印象を与えているのは「自己愛性パーソナリティ障害」との混同があるからです。自己愛性パーソナリティ障害は後天的な病気でもあるんですが、10人に1人は存在するようです。案外、数が多い。


以下の質問をチェックしてみてください。

1.十分な業績がないにもかかわらず優れていると周りから認められたい。

2.自分の成功した姿や理想的な愛を獲得した空想をよくする。

3.自分が “特別” であるので、他の凡人とは違う特別な人達と親しくなれるべきだ、と思っている。

4.他者からの賛美や称賛を求める。

5.自分がお願いすれば、相手は自分のために動いてくれるものだと信じて疑わない。

6.自分の目的を達成するために他人を利用することが悪いと思っていない。

7.親戚や友人の親などの訃報を聞いても、あまりなんとも思わない。

8.誰かがうまいことやって成功すると嫉妬する。

9.態度が尊大で傲慢になりがちである。

5つ以上であなたは自己愛性パーソナリティ障害だそうですよ。アメリカ精神医学会、DSM-IV-TR 精神疾患の診断・統計マニュアルより。

自己愛性パーソナリティ障害とは、簡単に言えば、自分で自分を愛せていないから、自分の外側に愛されることで満足を得ようとする人。

自己肯定感と自己有能感を混同している人ほど自己肯定感がない。有能でなければ肯定できないとか、有能だったら肯定できるという考え方の人ね。本来そのふたつは全く別物。自己肯定が低いからこそ、その欠落感を他者の承認で埋めようとするし、称賛してこない他者は「自分のことを理解できない敵」であると認知するようになります。

う~ん、なんか、周りそこらじゅうにたくさんいそう。

一時期叩かれた「意識高い系」も同じじゃない?彼らは、有能でもないのに、ハリボテの有能感を身にまとい、ハリボテにかけられる嘘の称賛によって、中身のない自己肯定感を得ようとしている。


自己愛性パーソナリティ障害って、自己愛とはついているけど、ちっとも自己を愛せていないだけのような気がするんだよな。

だって、外から見た(他人から見た)自分の姿しか見てないじゃん。だから称賛を求めるんだろうし、自分の姿を盛るわけですよ。むしろ、自分自身が嫌いなんじゃないかと思うくらい。こうした障害や病気としての自己愛と健全な自己愛は違います。

健全な自己愛とは、「ありのままの自分を客観的に把握する能力があり、その上で、ありのままの自分をそのまま認識できる」ことです。ありのままの自分を肯定しなくていい。そのまま認識すればいい。欠点や自信のないこともちゃんとわかった上で、それを自虐ネタにして茶化したりせず、そのまま認識できること。案外難しいことです。

誰もが承認されたい気持ちは持っているし、否定や批判されたら気分悪いはず。否定や批判をありままに認識するって、実は相当難しいこと。ツイッターとかで叩かれたりすれば、皆嫌な気分になるわけじゃないですか。

まあ、でも、だからこそマインドフルネスが注目されるわけですね。マインドフルネスとは、川野さん曰く、「今この瞬間に感じているこの感覚をそのままに受け止める」ということ。否定も肯定も評価も価値の有無や意味の有無の判断もしないということなんだそうです。


まさに、あるがまま…。

これって、自分を常に俯瞰というか客観的に見るということでもあるんです。


ちなみに、川野さんと対談して早々に書いたこちらの記事「会いたい人がいるなら、会いに行けばいい!」も割といいこと書いてますので、あわせてどうぞ。


長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。