【短編】もう英雄を謳うまい
学校で一番中のよかった男の子のしょうた君は、学校で一番の変わり者だった。
彼はよく、赤いマントを首に巻いて、それをなびかせながら教室に入ってくる。
「やーっ!」と走りながら嬉しそうにそれをはためかせ、そしてクラスの仲良しの友達のところに飛び込んでいく。みんな、変だなぁ、と思っていたが次第にそれが羨ましくなって、あちらこちらで好きな色のマントを首に巻く男の子が現れ始めた。時は大ヒーロー時代である。そんなクラスをまとめ上げるのは、長官こと田中先生だ。コワモテでケツアゴで髭が濃ゆいのが特徴で、40代前半にして三児の父、奥さんは8つも年下で、とても優しいナイスガイな先生である。みんな先生のことが大好きだった。
先生のことを「長官」と呼び始めたのは、もちろん、しょうた君である。ある日のこと、マントを靡かせながら走っているしょうたくんは、学校の嫌われ者、新田先生に注意されてしまった。その時、その間に割って入ったのが田中先生だった。
「どうしましたか、新田先生?」
「いやね、田中先生。こんなものつけて走っていたので。危ないでしょう。何かに引っかかって首吊っちゃうかもしれないし、誰かにぶつかるかもですから。」
その時、田中先生は、新田先生のかくれた優しさを仄めかしながら、しょうた君に「大事なこと」を教えたらしい。しょうた君はそれ以来、新田先生のことも好きになった。けれども、田中先生が何を彼に言ったのかは誰も知らない。「大事なこと」以上に、何も教えてくれないのだ。
「内緒なんだ!俺と長官のね!」
「長官だってぇ!?一体誰のことさ。」
「この俺、ヒーローを導いてくれる上司!長官!田中先生のことだよ!」
この会話は、クラス全員が耳をそばだてて、というかそんなことしなくても夢中になって聴いていたから、その昼休みから田中先生はすぐさま「長官」呼びされるようになった。
ところで、ある噂が立った。「大事なこと」とはじつは“恋バナ”だったのではないか、と言う噂だ。普段無口な女の子、さやかちゃんが、例の会話をしているすぐそばを通った時にチラッと「好きな子はいるか?」と田中先生が言っていたのを聞いてしまったらしい。この噂は一気に広まったが「なんだい!内緒は内緒さ!はーはっはっはっ!」といって走り去るしょうた君からは、誰も何も聞き出せなかった。
ところが、その噂の正体はすぐさま判明した。というのも、私だけがそれを知るところとなった。ある日の放課後、私は美術部の活動の一環で、体育館の倉庫に来て絵を描いていた。すると、後ろからバスケットボールが飛んできて、後頭部に直撃した。
「痛ーっ…。」と言いながら振り返ると、そこには歳上と思しき男の子が立っていた。
「おい!」と男の子は言った。「なんだよ、邪魔なんだよ。ここはバスケ部の場所だぞ!」
私は何か言い返そうとしたけど、怖くてそれができなかった。するとその後ろで田中先生がこちらを見つけてくれた、のが目に入った。先生はこちらに向かって走ってきた、が、横に顔を向けてから、急に足を止めてしまった。次の瞬間、「とおー!」という声とともに赤いマントが倉庫の入り口を一瞬、大きく塞いだ。そして、男の子の影に収まった。決めポーズをとったままのしょうた君が「おい!なにしてんだ!」と叫んだ。
「なんだこいつ。ばかじゃねーの!」と歳上の男の子は言った。
しかし、しょうたくんの後ろに田中先生が見え、こちらに歩いてきているのがわかると「うわっ」と言いながら逃げていった。
「ありがとう、しょうたくん。」と私は言った。
「いいんだ。いいんだ。このための赤いマントだ!長官との約束さ。」と彼。
「そうだな!」とその後ろで長官こと田中先生が言った。
「うわ!いたんですか!」と彼。
「ああ、見えてた。」と長官。
「恥ずかしいなあ。約束は密かに守るもんだって、父ちゃんとヒーローが言ってたんだけどなぁ」と彼は顔を赤らめた。
「まあそう言うな、ヒーロー。それに、まだやること終わってないぞ。大丈夫か?」と田中先生は私に声をかけてくれた。それからしょうたくんは半ば無理やり、先生と私の間に入って「ほら、怖くなかっただろ。」と言いながら手を出してくれた。
「うん、ありがとう」
しょうた君は、私と一番仲のいい男の子だ。だから、彼の気持ちはいつも透けて見えていたし、なんとなく、気がついていないふりをしていた。でも、ずっと見ていたからこの時ばかりは、さすがにもう気がつかないふりはしなかった。小学生だったけど、私も精一杯勇気を出した。
「ねえ、約束ってそういうことなの?」
彼は、いつも通りはぐらかそうと思ったらしいが、なんだかぎこちなかった。そして、赤いマントで顔を隠して、そのまま走り去ってしまった。一応「はーはっはっはっ!」と笑いながら走っていった。
「ねえ!私が今度は助けるからねー!!!」と大声で彼に向かって叫んだ。
あれから—。
—もう、私も二十歳になった。今更ながら、小学生とは思えない恋愛だったなと思う。
実はあの年を最後に、田中先生は違う学校へ異動となってしまった。そして、私としょうた君以外は、結局あの「約束」がなんだったのか知らずじまいとなってしまった。(ただなんとなくみんな、彼と私の関係には気がついていたとは思う。)
最後のホームルーム、長官は泣いていた。私たちは、一人残らず好きな色のスカーフやマントを首に巻いて先生を驚かせた。長官への寄せ書きは、アイデア溢れる乾くんと立花さんの提案で、勲章をかたどった折り紙を作り、メッセージをそれぞれ書いたものを、一つ一つ渡した。しかも裏面に安全ピンをつけて。総勢34個の勲章が先生のスーツ、背中に至るまで、つけられて輝いていた。
長官は泣いていた。そして、最後の言葉を語り始めた。
それは、長官を知らない誰しもに聞いてほしい、最後まで聞いてほしい言葉だった。
「いいかい、君たち!君たちの長官でいられて、俺はとっても幸せだった!きみたちは一人残らず、ヒーローだ。このクラスのヒーローだ。来年は六年生だな。クラスはまた変わるだろうが、ここにいる全員の長官が俺だったことは決して変わらない!来年は学校のヒーローになってくれ!」
私たちは大きな声で返事をした。しばらく先生は黙っていた。やがて口を開いた。
「これが最後だ。だから、すまない。聞きたくないかもしれないが、言わせてほしい。約束だ、みんな、大人になっても、俺と同じ歳になっても、ヒーローであったことを忘れないでくれ。でもないつまでもヒーローじゃなくていい。ヒーローであり続けようとすれば、世の中はそれを冷ややかな目で見るだろう。みんなもやがてマントを羽織るのをやめて、俺や他の先生みたいに、その首にネクタイを締めることになる。それはそれでかっこいいかもしれないが、今の君たちの方が何倍も輝いている。でも、それを誰もが受け入れてはくれない。」
私たちは、耳をそばだてて聴いていた。今度こそ、誰もが心を空っぽにして、耳だけを真っ赤にして。長官こと田中先生は続けた。
「もう、ヒーローは世の中には必要ない!大人たちはそう思っているんだ。一体何をやっつけるんだ?、とそう思っている。マントをはためかせる英雄を、馬鹿馬鹿しいと思っている。そんな世界で、ヒーローであり続けるのは、みんなが思っているより大変だ。けれども、実際にここにいるみんなが、誰かのヒーローになったんだ。先生は全部見てきたんだ。全部だ!今日の放課後にでも、誰かに聞いてみるといい。『君は誰に助けてもらったの?』ってな。そしたら、わかるはずだ、このクラスでは、誰かが誰かの英雄になっている。だから、ヒーローであり続けたいなら、それを捨てないでくれ。そして、辞めたくなったら辞めたっていい。ただし、誰かに助けてもらったことだけは忘れるな!いいか、先生はもう、長官じゃなくなる。だから、これ以上先生とみんなと、いや、このクラスでヒーローについて、英雄について、話すことは無いんだ。もう、ヒーローについて話すのは、そういうことは、しないんだ。もう、ヒーローになろうとしなくたって、既にみんなは立派だ。自分らしく、自分らしく生きてくれ。なんとしても生きてくれ!健やかに。俺のヒーローたち…!さらばだ!!」
あの時、配られた最後の学級日誌。『もう英雄を謳うまい』とタイトルがつけられていた。書かれている内容は、先生の最後の言葉と同じだった。私はそれを家に帰って母親に渡した。後日、それは我が家のコルク版に綺麗にピン留めされていた。父親は、卒業式の日、私に冗談めかしく「マントつける方がいいか?」と、ネクタイを締めながら言った。
そして、卒業式の日の放課後。しょうたは私を呼び出した。けれども、その日はみんなが正装をして式に参加したから、マントをつけて来られなかった。彼はいつもより意気地なしだった。けれども、私はそれで構わなかった。
「しょうた君、助けてあげる。まだ、私、お返しできてないもの。」
あの時以上に、私が勇気を出した瞬間はなかった。初めてのキスは、王子様にしてもらうと思っていたが、それは一生叶わない願いとなった。けれども、そんな願いはちっとも惜しくない。
私はもう二十歳だ。しょうたくんが今どこで何をしているかも知らない。けれども、今でも長官と私のヒーローの唯一無二の約束を、私はたしかに覚えている。だから確信している。今もどこかで、ヒーローが私を助けてくれている。助けようと見てくれている。
だからこそ、もういいのだ。もう英雄を謳うまい。
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