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世界の片隅の、ほんのひとときの、ちょっとしたヒトリゴト。

このnoteは《ソーシャルな隠居》という生き方をつづったもの。

なんだかんだ4年間くらい書き続けていますね。

ちなみに、ソーシャルな隠居という生き方は今度の5月で5周年。

そんな5年のあいだ、自宅に「ギルドハウス十日町」という名前を付けて、住み開きなどのコンセプトといっしょに発信したら、全国・海外から延べ8,200人以上がやってきて、そのうちの70名と共同生活を営んできました。

ほぼ5年が経った今も相変わらずで、この春にはなんと計10名を迎え入れて一緒に住むことが決まっています。


以前わたしが3年以上かけて全国を旅したとき、いろんな場に滞在させてもらいながら多くの体験と学びを得てきました。

そんな場のなかには1~2年も経たずに終わったり、そもそも始まらなかったという所もありました。

シェアハウス、ゲストハウス、コワーキングスペース...その他いろんな場の良いところ。そしてじぶんにとって違和感のあったところ。

たくさんの事柄のなかから「じぶんが死ぬまで楽しく暮らすため」には最低限必要な要素ってドレだろうと、そぎ落としながら出た答え。


それが住まいを開放するというもの。

自らの家をデザインするという考え方。

事業ではなく、あくまで住まいとしてやっていく、という基本姿勢。

5年経とうとしている今でも相変わらずでいられるのは、これが功を奏したおかげなのか。

それは死ぬまでわからないのかもしれないけど。


とりあえず、先の事ばかり考えても仕方ない。

未来を正確に予測できるわけでもないから。

むしろ想定外だから楽しい。

想定外のことが起きるように人生を設計していこう。


少なくとも今こうしてのんびりnoteを書いていられることに、ひとまず成功だと、つまりは良かったのだとしましょう。


今回は、まあ、そんなふうに、とりとめもない内容ですが。

noteを書いて4周年。
生き方を変えて5周年。

そんな節目を迎えようとしている今の、ヒトリゴト。


世界の片隅の、ほんのひとときの、ちょっとしたヒトリゴト。


もうすぐ妻と生後2か月弱の息子が、里帰り先から戻ってきます。

部屋はもうすっかり片づけおわり、ふたりを迎える準備は万端。

わが家にキッズスペースを作る計画も進行中です。


それにしても、この春やってくる10名は、果たしてどんなひとたちなんでしょう。

アコースティックなBGMを聴きながら、このnoteを書きながら、ちょっとひとくちコーヒーを飲みながら、さてさてどうなるのやら、なんて物思いにふけったりしています。


楽しい毎日。
もちろん楽しいことや良いことばかりではないけれど。

働くという意識がなくとも、山奥でのんびりしながらも、いろんなひとたちとのつながりで刺激的な毎日を送れていることに感謝を。


まだ見ぬ出会い。

そして訪れる別れは...終わりは始まり。


またやってくる、再会の時。

お互いに、久しぶりに近況を伝えあって。

最近はどう?

いまは何しているの?

わあ、おみやげをありがとう。

もちろん、いいよ。
泊まっていきなよ。


じゃあ、また来ますね。

うん、いってらっしゃい。

気をつけてね。ありがとう。


んー。


いい感じ。


さて。

noteを書きおわったし、これから何しようかな。

よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。