ドーパミン中毒と右脳域なシアワセ
中毒性のあるような対処方法は、、、
・ 一喜一憂
・ 気分が上がったり下がったり、、、
・ そのような浮き沈みがあって安定しない
(なので、継続的な中毒行動を繰り返さなくてはならない)
というようなイメージがあります。
まっすーさんの記事【誰もがドーパミン中毒になる時代】
というのも、、、
中毒性のある対処方法には
「学び・学習・気づき」がない・少ない。
発散して一時的に「からっぽ」になるけど
→ また溜まってきたら → 発散する →その繰り返し
そのたびに発散するだけで
(内省・気づきが足りてない)ので、
中毒性のある行動パターンを繰り返しつづけるしかない
根本解決(内省・気づき)が足りない
…というようなイメージです。
でも、発散すると
一時的ではあるけどスッキリする。
そのメリット/デメリットとして
良くも悪くも「まぎらわせる」ので、
内省・自分自身を見つめよう
という動機・チャンスも逸してしまう。
そのため、、、
・ おなじ失敗を繰り返す
・ 一時的に気分はよくなりまた落ち込むループ
・ 内省・気づきが少ないので
【 他者のせい・外に原因をみいだしがち 】
↑これ自体が(うさばらし=発散行動)になっていて、
中毒性があります。攻撃性。暴力的な発散。
・【精神的な成長、気づき、成熟】が起きてこない
・【根本解決】も起きてこない→ 問題の長期化。
「まぎらわす・発散する」という行為には、そのような根本解決を延期させてしまうような悪循環=中毒性(繰り返し)が伴うようなイメージです。
高揚感・興奮することだけが
シアワセじゃない…
セロトニン→オキシトシン→ドーパミン
というバランスで積み上げていく
こちらの本でも紹介されていますが、
ドーパミン的幸福だけを追っていると
アンバランス、しんどいよ…と書かれています。
現代の幸福のイメージ
例えば、、、広告やメディアが提案してくるシアワセや成功って「ドーパミン的幸福を求めよ!!!」というものが多いです。
そうやって購買意欲をあげて、
いろいろなモノやサービスを
「欲しがってもらいたい」
「買ってもらいたい」
それが広告の役割なのでしょうがないんですけども、それにそのまま乗っていると、それはそれで不健康・アンバランスな状態を招く要因になったりもする。
図 脳科学で考える「幸せの三段重理論」
こちらの記事にあるものをお借りしています。
https://president.jp/articles/-/44823?page=5
それでいうと、、、
右脳域のおだやかさ・なんでもなさ・いまここ…という感覚は、セロトニンやオキシトシンってかんじがします。
そのような土台があって、そこに人生のスパイスとしてのドーパミン的な喜びが生じると「ありがたいなあ」って感謝の想いが湧いてきて、、、、
そこからまた「ぜんぶ愛」につながっていくという、、、
ワンネスループ
ウェルカムレイン☆サヤカ https://linktr.ee/wrsayaka
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