孤独がアイデアを育てる
はじめに
インターネットとSNSの普及により、いつでも、どこでも、誰かと繋がることができる時代になりました。
人との交流は、良い刺激になり、大切な気づきを与えてくれることもあります。
しかし、孤独感を紛らわせる手段が充実した現代においても、あえて孤独の時間を設けることが必要なのではないかと思っています。
今回は、物事を考えるにあたっての孤独の必要性と意義について考えていきます。
デジタルデトックスの副産物?
7月中はなにかと忙しくて、特に意図することもなくデジタルデトックスを実践していました。
(関連記事:日常に溶け込む非日常 — デジタルデトックスを通して考えたこと)
結果、SNSとの関わり方を考え直すよい機会となったのですが、それに加えてひとつの変化に気づきました。
それは、アイデアを思いつきやすく、思考が深まりやすくなったということです。
もちろん、あくまで個人的な感覚であり、デジタルデトックスとの因果関係を確かめることはできませんが、考えてみるとそれなりの理由づけはできそうです。
いろいろと考えてみたところ、SNSから離れたことで孤独である時間が増えたことが良い方向に作用しているのではないかという仮説に至りました。
着想は対話のなかで、熟成は孤独に。
「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何物でもない」と言われます。
発想法に関する書籍を読んでいると、よく引用されている言葉ですが、これはアメリカの実業家ジェームズ・W・ヤング氏が著書『アイデアのつくり方』で述べていることだそうです。
この考え方に基づけば、より多くの「既存の要素」にふれることには意義があり、読書をしたり、人と交流することはアイデアをつくる上で大切なことといえるでしょう。
アウトプットの質や量を高めるために、インプットを意識するという考え方も理に適っていると思います。
それならば、「孤独」は発想を鈍らせることになるのではないか?とも思えてきますが、私はこの疑問を次のように整理しました。
「着想は対話のなかで、熟成は孤独に。」です。
アイデアを思いつくまでは対話の恩恵を受けながらも、その思いついたアイデアを深めていく過程では孤独の時間を設けることが大切なのではないかと考えています。
(ここでは、本やインターネット上の投稿など、なにかを読むことも一種の「対話」として捉えています)
アイデアの熟成
イメージするのはお酒の醸造。
光や振動や温度の変化を避けた環境で、じっくりと時間をかけてお酒ができていくように、アイデアにもまた醸造所のような静かな環境に寝かせる時間が必要なのかもしれません。
それが「孤独」の時間なのだと思っています。
私は、SNSを閲覧するタイミングを何らかの「ノルマ」を達成した後にすることを心がけています。
(関連記事:SNSとの付き合い方を考え直してみた — 「タイミング」に着目)
SNSの多種多様な投稿を見ていると、だんだんと自分の考え方に自信がなくなってきたり、他の投稿に引っ張られたりしてしまう可能性があるからです。
いろいろな考え方にふれることは、良い刺激にもなりますが、タイミングによってはその種類に関わらず、刺激の少ない環境に身を置くことも必要なのではないかと思っています。
熟成か腐敗か
以上のように孤独の時間の必要性を感じつつも、一方で不安も感じています。
それは、「熟成していると思っていたアイデアが実は腐敗しているのではないか」ということです。
熟成の前段階である「発酵」と「腐敗」の違いは、「人間にとって有益であるかどうか」が基準なのだそうです。
アイデアが発酵したものなのか、腐敗したものなのかは、受け手にとって有益であるかどうかと読み替えることができるでしょう。
孤独のなかで育ったアイデアは、果たして本当に発酵・熟成したものといえるのだろうか。
腐敗して、閉鎖的な環境で過激化した思想になってはいないだろうか。
相容れない思想を排除した独裁者となってはいないだろうか。
(関連記事:「独裁スイッチ」とインターネット)
記事を書くときには、頭のどこかにこの不安は残っています。
おわりに
この記事もまた、孤独の時間のなかで育った産物です。
お口に合いましたら幸いです。
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