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虚構=シンボルの力がホモ・サピエンスを勝者にした ー『サピエンス全史』より

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ユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史』を読む。

この本ハラリ氏の議論がおもしろいのは、私たち人類の”虚構”を作り共有し信じる力に着目して、歴史の大きな展開を記述しようとしたことにある。

認知革命・虚構の力

私たちの祖先が虚構を作り、共有し、信じる力を獲得したこと、つまりある種の言葉を扱えるようになった出来事をハラリ氏は「認知革命」と呼ぶ。

進化の途上で、私たちの祖先が他の類人猿との共通祖先から分かれたばかりのころ、祖先たちはまだ虚構を作ったり共有したりする力を持っていなかったと考えられる。その後の進化を通じて虚構の力を獲得したのであるが、それを認知革命と呼ぶ。

人類の「心」の進化を巡っては、スティーブン・ミズン氏の『心の先史時代』なども興味深い。

ハラリ氏は虚構を作り、共有する力こそがが、ホモサピエンスの進化にとって決定的であったと考える。この虚構の力の最も際立った表現がシンボルを操る力であり、言語である。

人類の進化の過程では、虚構の力以外にも脳のサイズの拡大とか二足歩行の開始とか、打製石器の発明とか、いろいろな画期的な出来事があった。

しかし、ハラリ氏は「大きな脳、道具の使用、学習能力、複雑な社会構造は、人類の強みだと思い込まれているが、間違い」であると指摘する。

何が間違いなのか?

答えはこうである。

200万年に渡ってこれら(大きな脳、道具、学習能力、群れでの生活)の恩恵に浴しながらも、人類はずっと弱く、取るに足らない生き物でしかなかった(=ホモ属は食物連鎖の中程でしかなかった)

人類の祖先は、二本足で歩いたり、大きな脳を獲得したり、道具を使い、複雑な群れを形成するようになったあとも、ひきつづき依然として大型の肉食動物に捕食される獲物でありつづけた。

ホモ・サピエンスが食物連鎖の頂点にある動物と対等の地位にまで上り詰め、さらには、他の動物の圧倒する食物連鎖の頂点に立つことになるのは、認知革命=言語の獲得を経た後である。

人類の古い神話には「ジャガーは人間であり、人間はジャガーである」というような、食物連鎖の頂点に立つ肉食獣とホモ・サピエンスを「異なるが同じ存在」として語るパターンがある。これは人類が食物連鎖の頂点に肉食獣たちとともに並び立ったという現実の経験をふまえた神話的思考なのだろう。

なおハラリ氏は虚構の力と並列して「火を手懐け」ていたことも人類の繁栄の鍵であったとする(pp.25-26)。

「火の力は人体の形状や構造、強さによって制限されてはいない」

火力と、虚構の力を組み合わさることで、サピエンスは頭に思い描いた設計図や手順とおり自然環境を作り変えたり、動物の行動や植物の生育、他の人間の行動や思考を予測し、道具を使って先回りできるようになる。

ちなみに火の利用はホモ・サピエンスに始まるものではなく、ホモ・エレクトスはもちろん、古い人類の祖先たちによってすでに初められていたことである。

とはいえ「火だけ」ではダメだったのである。

火を使って、目の前に転がっている材料を、虚構のイメージに合うように変化変形させようと考える力が重要なのである。

ホモ・サピエンスはなぜ虚構の力を獲得したのか?

認知革命は人類の進化の中で起こったことである。

生命が世代を重ねる中、変化する環境の圧力のもと、ランダムに生じる突然変異のうち特定の特長を強みとして活かすことができた個体が偶然多くの子孫を残すことができる。これによって後からみると「進化」と呼ばれる生命のパターンの変化が残されていく。

虚構の力もまた、そうした進化の過程で獲得されたはずである。

虚構の力につながった突然変異のひとつは、どうやら脳の神経ネットワークを構成するプロセスに効くものであったようだ

様々な感覚器官からの信号を独立して処理するだけでなく相互に結びつけることができること。その接続を幾重にも多重化するループ回路を繋げられること。そのように脳の神経を作り出し、つなげていくメカニズムを獲得したことが人類の祖先がシンボルを作り出すことにつながったのである。

ちなみにここでいうシンボルというのはチャールズ・サンダース・パースの記号学でいうところのシンボルである。パースは記号を、インデックス、イコン、シンボルの三段階に区別してモデル化した。人類の虚構の力、言語の力の鍵になるのはこの三段階のうちシンボルの段階である。

インデックスやイコンを用いる能力であれば、人類以外の哺乳類を始めとする多くの動物や、微生物や植物にもある。外界からの特定の刺激に対応して生命体内部に変化を生じるメカニズムは、すべて記号過程、外部のなにかを内部の別のなにかに置き換える操作として理解できる。

シンボルの能力にとって重要なのは、この置き換えをパターン化し、そのパターン同士の高次の置き換え関係を無限に増殖させ多重化していく力なのである。

以上のパースの記号学についてのテレンス・ディーコンによる解釈を、こちらのnoteで詳しく紹介している。

一方、進化の方向に影響を与える環境の変化といえば、それはどうやら二足歩行を始めた人類の子どもが他の動物に比べると「未熟な状態で生まれてくる」ようになったことが大きいと考えられる。

ハラリ氏は「人間は未熟な状態で生まれてくるので、他のどんな動物もかなわないほど、教育し、社会生活に順応させることができる」とする。

複雑に張り巡らされた脳の神経のネットワークをもって生まれる私たちの子どもは、親との長期間の接触を通じて、その神経ネットワークを刈り込まれることで、生まれ落ちた社会の文化に対応した能力を学習していく。母語言語の獲得はその好例である。

この言葉こそが虚構を考え他の人と共有するために不可欠な媒体である。

社会的絆を結べる者が進化において優遇された?

さらにハラリ氏は「進化は強い社会的絆を結べる者を優遇した(p.23)」とする。

生まれたばかりのベビーを言葉でコミュニケーションが取れるくらいにまで育てる数年間を、人類の祖先たちは「群れ」の仲間で協力しあうことで乗り越えてきたらしい。

そうなると当然、仲間の協力を取り付けるのうまい個体ほど、より高い確率で子どもを大人になるまで、つまり次の子孫を生み出せるようになるまで、育てることができるようになる。

長い養育期間を仲間の力で乗り切らざるを得ない人類の祖先のあいだで、「強い社会的絆を結べる者」が、よりその遺伝子を残しやすくなる、というのである。

ちなみにこの「群れ」での子育ての話。数年前にちょうど我が家でベビーを迎えた頃にNHKの番組で取り上げられており、興味深く観たものである。

虚構に導かれて旅に出る

さて、虚構の力を獲得した祖先たちが最初に行ったこと、それはアフリカを出て、オーストラリアから南米の最南端までの移住を成功させたことである。

アフリカで進化した人類の祖先は虚構の力を獲得する以前にも、アフリカを出ようと試みたらしい。レヴァント地方(シナイ半島から現在のイスラエル、ヨルダン、レバノン、シリアあたり)には10万年前に私たちの祖先が移住した痕跡があるという。しかしその移住生活は長続きしなかったらしい。

そして約7万年前、改めてサピエンスの祖先たちはアフリカを出るのであるが、そこからサピエンスは急速に地表の全体へと生活の領域を広げていったのである(p.34-35)。

そしてその過程で、私たちの祖先はマンモスその他大型の草食動物を食べ尽くしたらしい。ハラリ氏は「舟、ランプ、弓矢、針の発明。航海術、宗教、交易、社会の階層化の始まり[…]この前例のない偉業は、サピエンスの認知的能力に起こった革命の産物(p.35)」であるとする。

ちなみに、アフリカを出るという点では、実はホモ・サピエンスだけでなく、それに先立つホモ・エレクトスなどもおなじことをやっている。ことによると集団で船を作って海を渡るということをホモ・エレクトスもまた行っていた可能性がある。

もしかするとホモ・エレクトスもまた、ホモ・サピエンスほどではないものの、目の前に存在しないことについてのイメージを共有する、シンボルの能力を持っていた可能性がある。そしてその原初的なシンボルの力が、ホモ・サピエンスにおいて大きく進化したという可能性もあるという。このあたりの話は、ダニエル・L・エヴェレット氏の『言語の起源』に詳しく紹介されている。

エヴェレット氏の『言語の起源』については、こちらのnoteに少し紹介を書いている。

サピエンスの言語と他の動物の言語の違い

7万年前にサピエンスがアフリカを出た頃、地球上にはまだ他の人類たちが暮らしていた。ところがその後の数万年を経て、彼らは絶滅し、サピエンスだけが子孫を増やした。

なぜだろうか?

ハラリ氏は「生き延びた「われわれ」と、滅びた「他の人類」との違い」は、ホモサピエンスの「言語」がもつ、他の動物の言語(鳴き声などによる)との違いにある(p.33)。

ホモ・サピエンスが登場する遥かに以前から、たとえば「気をつけろ!ライオンだ!」というメッセージを、鳴き声や叫び声で仲間に伝えることができる動物は数多くいた。それに対して、ホモ・サピエンスの虚構の力は、例えば「ライオンはわが部族の守護霊だ」というようなことを言えることに特長がある。ハラリ氏は次のように指摘する。

「私たちの言語が持つ真に比類なき特徴は、人間やライオンについての情報を伝達する能力ではない。むしろそれは、まったく存在しないものについての情報を伝達する能力だ。見たことも、触れたことも、匂いを嗅いだこともない、ありとあらゆる種類の存在について話能力があるのは…サピエンスだけだ。」p.39

まったく存在しないものについての情報を伝達する。これが鍵である。

言語=虚構の力は、見ることも、触れることも、匂いをかぐこともできないものについて考え、仲間に伝え、聞くことを可能にする。

そうした「客観的現実」に投錨されていない虚構は、私たちがリアルに体験する様々な事象を「それ」に置き換えることを可能にする「シンボル」となる。

シンボルを共有することで、私たちは他の人間を「自分と同じ仲間」とみなして協力したり、あるいはシンボルを異にすることを理由に、ある人間を「敵」とみなしたりする。

人間の言語の柔軟性−新しいコトバを作り、新しい意味を与えることができる

「事実」に紐付かない「架空」の事柄について語り、仲間でそれを吟味し共有する能力こそ、サピエンスの言語の特長なのである。

ハラリ氏はミツバチ、アリ、クジラ、サル、ゾウなど「どんな動物も何かしらの「言語」を持っている」とした上で、サピエンスの言語には、他の動物の言語には無い特異な特長をもつという。

それは「柔軟性」である。

ハラリ氏によれば言語の柔軟性とは「噂話」ができることであるとする。噂話は虚構、つまり「想像の内容を複数の個体で交換し合う」営みである。

柔軟性を持った言語は、客観的な事実によって根拠付けられない「真実かどうか」わからない事や、未決定の未来の事を、ああでもないこうでもないと色々予測してはお喋りすることを可能にする。

現代の社会通念では、事実に基づかない噂話など、取るに足らないもの、それどころか社会にとって害悪となる「フェイク」であると評価される。しかし、太古の人類が生きた環境では、そもそも事実がどうなっているのか、どうなるのか、正確なことがよく分からない段階で、瞬時に「確からしさ」を推測し、「信じるに値するかどうか」を推し量りながら、判断し、選択することが必要であった。

例えば狩猟採集の最中に、背後の藪がガサガサと動いたとする。

それがジャガーのような人間を食べる動物か、それとも比較的無害な草食動物か?

「どれ、ひとつ客観的事実を確認しましょうか。誰か、ヤブに手を突っ込んでみて下さい。

などとやっている暇はない。

振り返り、藪に手をかけ、ヌッと飛び出した顔を見て「ほらジャガーでしたよ!」などと事実を報告したところで、次の瞬間にはそれを言った口は捕食者の胃の中である。

それよりもなによりも「ジャガーかもしれない」という推測に基づいて逃げ出すほうが、よほどうまくいくのである。

あるいは森の中には悪意を持って人間を食べようとしている精霊たちがたくさんおり、ジャガーもまたそのひとつの姿である、というくらいに考えておいて行動したほうが、生き延びやすくなる。

通過儀礼を終えたばかりの若者が狩猟の現場で実際のジャガーに襲われる「前」に、予め虚構でもって「森には悪意ある捕食者がいて…」という具合に話を伝えておくこと、捕食者という虚構を念頭において行動するよう教える事もできる。

まとめと読書の案内

虚構によって、目に見え手に触れることが出来るリアルな世界とはに、シンボルの体系を作り共有することができる。

そしてシンボルの体系と目に見える世界を重ね合わせること。そこでは現実とシンボルは識別できない一体の事柄と成る。そうしてホモサピエンスは、言語的なシンボルの体系に合致する範囲で現実を見るようになる

華厳哲学にいう阿頼耶識とはこの虚構の力の動きのことを、言語の力それ自体によって観察し、観測し、記録しようとした思想の足跡であろう。

『サピエンス全史』を書いた後のハラリ氏が「仏教」に関心をもたれていることも、このあたりでつながるのだろう。

あるいは南方熊楠の「南方マンダラ」なども、そのあたりのことに触れようとしている。

人類は虚構の力で以て、自らのシンボルを生み出す力、心の働きのプロセス自体を、ある種のシンボルの体系に置き換えて理解し、シンボルがもたらす光と影を「見る」ための知性を進化させようとしてきたのである。

翻って、双方向でリアルタイムのシンボル交換ができる情報通信メディアによって結び付けられた今日の私たちは、コトバを、ワードを、シンボルを介して至る所に繋がりを作り出したり、分断を作り出したりと忙しい。

自らの虚構の力、シンボルの力を駆使しているともいえるし、また持て余し翻弄されているとも言えるような状況である。

シンボルが生まれ、増殖し、そしてシンボル同士の秩序が自在に変容しつつコスモスを形成し、信じるに足る「意味」の世界が織りなされていくプロセスを自覚的に生きることができるかどうか。人類の虚構の力、シンボルの力が試されるところである。

あるいはこれが新たな進化への圧力になるのかもしれない。

つづく

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