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中沢新一著『レンマ学』『精神の考古学』『構造の奥』などを読む

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中沢新一氏の著作『レンマ学』『精神の考古学』『構造の奥』などを読み解きます。
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2021年1月の記事一覧

「異なるが、同じ」と置く等価性の原理が意味分節システムを発生させる -中沢新一著『レンマ学』を精読する(11)

中沢新一氏の『レンマ学』を精読する連続note、前回に引き続き、第十一章「レンマ派言語学」の後半「詩的言語とレンマ学」(p.293)から読んでみる。 キーワードは「アーラヤ織」と「喩」である。 アーラヤ識アーラヤ織というのは「レンマ学」の中でも重要な概念の一つである。 アーラヤ織は人間の神経系-脳に生じる二つの動きが絡み合うことよってその姿を現す。 アーラヤ識の第一の動きは「区別をする(分別する、分節する)」ことである。アーラヤ識もあくまでも「識」である。 それと同

ソシュールからチョムスキーまで「相即相入」で、ことばの不思議を解明する -中沢新一著『レンマ学』を精読する(10)

中沢新一氏の『レンマ学』を読む連続note、今回は276ページからの第十一章「レンマ派言語学」を読んでみる。 言語、ことば個人的に、この第十一章は『レンマ学』の中でも一番盛り上がるところである。 何がおもしろいかと言えば、言語ということ、それも「言葉が意味する」ということを、ソシュールからチョムスキーまでの一見相反することを主張しているかのように見える理論を華厳的に相即相入させて、レンマ学の”論理”で統一してしまうところである。 ※ 言葉はことば、「こと」の「は」であ

人類とAIを区別する統合化・抽象化能力の有無とレンマ的知性 -郝景芳著『人之彼岸』 冒頭エッセイを読む

現代中国を代表する作家の一人である郝景芳氏の『人之彼岸』の日本語訳が早川書房から刊行されている。 この本には6つの短編と、2つのエッセイが収められている。今回はこの二つのエッセイ、「スーパー人工知能まであとどのくらい」と「人工知能の時代にいかに学ぶか」を読んでみる。 ここで問われるのはコンピュータのアルゴリズムである人工知能と私たち人間・ホモサピエンスの知能(あるいは知性と言った方がしっくりくるかもしれない)とのちがいである。 郝氏は人間の知性の特長として情報を統合する

分別から相即相入へ ー吉本隆明『最後の親鸞』p120より

しばらく前から中沢新一氏の『レンマ学』を読んでいる。 『レンマ学』では、ロゴス的知性に対して、それを支える土台としてのレンマ的知性ということを考える。私たちの言葉や、言葉による意識的な思考はロゴス的な知性の働きである。それに対するレンマ的知性とはロゴス的知性の土台ともいうべきもので、ロゴス的知性はレンマ的知性の「変異体」である。 このレンマ的知性は、ロゴス的知性とは大きく異なった動き方をする。 ロゴス的知性の動き方が区別をすること、対立関係を樹立することに向かうのに対し