小説 『キラー・フレーズン・ヨーグルト』(11)
【前の話】
スマホのアラームを止めて、そのまま通知を見る。
都内のオフィスビルが爆破されたというニュースが表示されてないか、あいつが急死したと訃報メールでも届いてないか、そう考えるのが平日朝の定番になっている。
当然そんな奇跡は起こるはずもなく、朝のルーティンを重い気持ちのまま進めて、いつも通りの時間に家を出た。
オフィスに着くと、まずあいつの気配を察知する癖がついてしまっていた。
今日はまだ来てないようだ。たかだか五分程度のこととはいえ、同じ空間で過ごす時間がわずかでも少なくて済むことは最近のわたしにとっては大切なことだった。
隣席の同僚が、週末に観た映画はどれほどつまらなかったか話しかけてきた。遠回しで彼氏自慢をちょいちょい挟み込んでくるのを愛想笑いで対応する。聞き流しながら、最近は笑いだけじゃなく、感情の起伏さえも抑え込むようになってきているな、と思った。
あいつが来た当初こそ、怒りが渦巻いていて、それを同僚や先輩、友だちにぶつけたりしていた。 でも、「上司に悩んでるのはあなただけじゃない」という言外の押しつけに無力感だけが積み重なって、感情はどんどん薄くなっていた。
「おはようございまーす」
外面のいい挨拶の声と共に、あの男の気配が入ってきた。ぞわっと体温が上がる一方で足先が急速に冷えるのを感じる。
姿勢は一切動かさず、挨拶をしてないとケチをつけられない程度の必要最低限の声を吐き出す。
背後を通り過ぎていくとき、吐き気がこみ上げてきた。席を立って、トイレに駆け込む。個室で、ため息か深呼吸かわからないような大きな息を出した。本日のいやな時間、残り八時間だ。それだけ乗り切ればいい。頑張れ、自分。
デスクに戻ると、キーボードを叩く音があちこちから聴こえていた。急いでパソコンを立ち上げる。画面が起動していく様子をぼんやりと見つめる。
消してもらえるかもしれないという希望はもうなくなってしまった。心も体もフリーズしたままだ。
「北原さーん、動いてないけど大丈夫? 息してる?」
あいつの声が飛んできて、周りから乾いた笑いが起こる。わたしは無言でキーボードを打ち始める。ただただ感情をオフにして。
その時、カバンの中でスマホが震えている音がした。横目で見ると、名前が通知されていた。
ハル、という文字。
途切れていた電波が一本だけ立ったような、そんな気持ちになった。
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