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何を残して何を残さぬべきか

カッコつけずにすべて残せ
成果物、活動記録、デザイン、思想、あらゆるものが未来を救う

あまりに多くのものが人に紐づいて切り離すことができない。
基礎を構成できるのはほんの一握りの功績。時代は移り変わり、新しい仕事の道具が開発され、記録媒体は石板から羊皮紙になり紙になり、電気信号に変わったがそこで働く人間の本質は変わらない。
ただ目の前の課題に喜び、怒り、哀しみ、楽しもうとする。同じような課題に迷い、同じような選択を誤る。何度も何度も意思を持って間違い続ける。
富めるものと虐げられるものが存在し、まじめに働く二割と楽をする八割に常に分かれる。

あえて残さないことで後進に譲るという考え方もある。そのように心配する必要はない。基本的に何も残らないし、また後進も勝手に育つ。その人の成功はあくまでその人だけのものである。人一人が生きた功績など、その程度でしかない。

だから残すべきだ。あらゆる手段を使って痕跡を残す。その痕跡こそがわたしの仕事の成果である。それらは単純な仕事のやり方の話ではない。その時どう考え、どのように判断し、どんな結果を招いたか。そのデータとしての客観的事実を積み重ねる。
所所の派手な功績など勇気を与える程度の役にしかたたない。本当に後世の人たちが困ったときに腹を満たせない。本当に必要なのは詳細な日々の積み重ねであって、具体的なシミュレーションに足るデータである。そしてそこから導かれる再現可能な事実である。
それが仕事。多くの人から尊敬されることはなくとも、実に多くの人を助ける。わたしの生きた証である。

ペン一本でも十分に線を描き続けられる

形ないものは未来に残らない。記録できなければ伝わることはない。
有形の成果物があるならなおのこと、無形の商材を扱う仕事だとしても、それらを表現として文字や図として形に落とすことはできる。未来に持ち込むことができる。形にするすべがないものでも、音や記録媒体や記憶などを使って語り継ぐことができれば、それは形として残る。それらは多くの時間の中で変形し、色あせ、元の形が判らなくなってしまうことも失われてしまうこともある。しかし何も残せないこととは明確な違いがある。失われてしまったとしても、そこにあったという事実は失われることはない。

わたしの残した仕事にどのような価値を与えるかは、未来のわたしが考えてくれる。10年後や100年後にはまるで意味のないものでも、1000年後には誰もが知っているものになることもある。10000年後なら、さらにその先なら。残さなければ何のチャンスも訪れない。生き残るためにはまず残さなければその土俵に上がることはできない。汗を垂らしただけの年月は、いずれ忘れられる。伝わるためには形に残さなければならない。そして残らなければ、誰に使われることもない。

どんなに不格好でも、どんな形であっても、それが決して当時褒められたものではなくても。
この時代に生きたという証を残せるという機会を、わたしは仕事を通じて得ている。頼まれなくても残し続ける。わたしが多くの先人たちからしてもらったように、わたしもまた未来に向けて轍を残す。

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