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○○しないように出来るならそもそもやってる

反省と改善のサイクルは仕事の基本中の基本だけれども
改善のアクションはあくまで「○○する」の形であること

何かをしないことは、することよりはるかに簡単だ。
出しゃばらない、しゃべらない、出さない、やらない。いくらでも理由をつけて手を引っ込めることはできる。だがそれは狙いがあってそうするというよりかは、結果としてそうなっているに過ぎない。
何かを「しない」ことで成し遂げられる仕事などない。

そも待っているだけで成し遂げられるなら最初からわたしの仕事ではないのだ。目標の設定が甘いか、運が良かったかのどちらか。恒常的に成果を出し続けていく観点からは外れているし、長い人生のたった一時期いい思いができるだけで、そのいい思いも翌週には忘れ去られているだろう。ラッキーでわたしの人生が豊かになることはないのだ。

改善のアクションとはこれまでにしてこなかった動きを新たに自分の行動に組み込むものでなくてはならない。改善が必要な時点で、求める結果は現状の延長線上にないからだ。
もし自分の余計な行動や間違った行動が失敗の原因になっていたのだとしたら、アクションはそれら言動を「しない」ことではなく、しないために「どうする」かを決めなくてはならない。

気を付けてできることなのであれば最初からできていたはずだ。気を付けてもできなかった原因が必ずあるのだから、それをつぶすための行動を「する」ことでしか次の成功はあり得ない。

立ち入らせ「ない」、ではなく、規制線を「張る」

自分にそれまでない動きをするのだから、それには当然相応の努力が必要になる。わたしが器用な人間ならある程度それらしくやることもできるだろうが、練習なしでできる方が珍しいほうだ。
最初は不器用であることを許容しよう。ぎこちなくても不格好でもやってみないことには永遠にうまくいくことはない。もしそれを嗤うような奴がいても気にする必要はない。道に落ちているゴミが自分のことをどう思っているかなど、もとより気にしたことなどないだろう。

地道に練習し、改善の「する」を組み込めたものだけが成長することができる。人よりもずっと早く、先へ先へ進むことができる。
それは、自分だけの境地の追求だ。修行のようなものかもしれない。だが、大賢は市井に遁すとは言ったものだが、毎日の仕事の中で修業ができてしまえばそれは最強である。

仕事にはあらゆる環境が揃っている。闘うべき相手も死力を尽くす戦場も、功績が上がれば報酬すらもきちんと用意されている。
その仕事のなかで、まだやらないなどと甘えているのだとしたらたいそう贅沢なものだと思うが、わたしもそのように生きられれば楽なのにな、とも。

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