見出し画像

石切職人の話と人格

わたしの仕事が何であるかは事業と顧客を定義することで決まる
人格もまた等しく、わたしが何者であるかはわたしによって定義される

有名な石切職人の話。
あなたは何をしているのですか?その問いに答えるということは、すなわち自分を何者と定義するかに撥ね返る。
別に何と答えようと不正解はない。石切職人だから石を切るのは当然だし、高い視座をもってして教会を造っていると言い張るのも正解である。その時大切なのは、自らをきちんと定めているかどうかだけ。

崇高である必要はない。
地道な毎日を腐らず続けることは立派な素質である。道を踏み外さず、一定の倫理観とルールの中で折り合いをつけながら生きるというだけでも難しい。美しい営みの体現であると言える。忌むべきことは揺らぐことだ。続けてみようとしたり、徒に止めてみたり。
その都度決めて動くならともかく、目的を定めないままあやふやに実行してみても振り返ることができない。結果を問うことができない。良かったのか悪かったのか、判断することができない。だから過ちを繰り返す。何度も同じ結論の間を行き来する。個人ならそれも構わない。
しかしおのずとそれは、わたしに関わるあらゆる人を振り回す。

ダス・マンは日々の雑多な心配事に追われ、本質を忘れ去ってしまう

人格が変化しないことは不可能だ。感情には一定の揺らぎが存在し、また生活の中では日々新たな情報がインプットされるので、初心が変わるということはむしろ成長ととらえ、歓迎すべきことだ。
重要なのはその成長のたびに思考をアップデートして、わたしの仕事が何者であるのかを定めなおすことだろう。成長のスピードに思考が追い付いてこないとダス・マンとなってしまい、受け身となり、後手に回る。誰かの変化に身を任せるだけになり、わたしの仕事はわたしの手から離れていく。

わたしが何者であるのか?わたしの仕事は何であるのか?
こう問われたときに、二人の石工は即答している。
わたしは即答できるか?わたしはわたしの仕事が何者であるかを明確に言葉にして答えることができるか?
問うてくれる旅人は現れないかもしれないが、今一度自らを振り返り問うてみたいものである。

あなたは、何をしているのですか?

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?