見出し画像

『ザリ子の旅』のこと 〜夏休みのおもいで〜

夏休みの出来事で最も思い出深いのは『ザリ子の旅』のことだ。小1の夏休み、クラスで飼っていたザリガニのザリ子を預かったことから全ては始まった。

当時の私は大変に気の良い子供だったらしい。誰もやりたがらない空気の中、なぜか率先して夏休みのザリガニの世話を引き受けることにした。1学期の最終日にザリ子入りの水槽を自宅まで持ち帰り、庭のど真ん中に置くと、快適な住まいづくりのために水槽に砂利を入れてみたり水で濡らしてみたりと、ザリ子のお世話に精を出した。

私はすぐにザリ子のことが好きになった。ザリ子はザリガニ臭かったけど、おしとやかでかわいい良い子だった。私はザリ子を普通のザリガニ以上に可愛がり、「ザリ子」という名前を付けた。ザリガニの女の子だからザリ子。安直ながら良い名前だった。私とザリ子は小1の夏を共に過ごし、親交を深め、そしてはじめての夏が終わった。2学期が始まり、私はザリ子を学校に連れて行き、飼い主とザリガニの関係性からまたいつものクラスメイトの関係に戻った。

小学2年の夏、その年もまたクラスの誰かがザリガニを預かることになった。ザリガニは人気がないのだろうか、やはり誰も申し出なかったため私が申し出ることとなった。今回はザリ子に加えもう1匹、ザリガニのオスも増えていた。私は「この子はザリ太に決定!」とザリガニのオスにも名前を付けた。そしてこの2匹を夫婦として我が家に迎えることにした。新婚夫婦の新たな門出に心を弾ませながら、自宅へと水槽を抱えて走った。

私の想いとは裏腹に、2匹の新婚生活はあまり上手くいかなかった。しとやかなザリ子に対して、ザリ太は乱暴で粗野な男だったのだ。私は小さな水槽の間に砂利で壁を作った。これならザリ太が暴れても大丈夫だろう。とはいえ夫婦を完全に引き離すのも心苦しいこで、折衷案として砂利の壁に通用口を作った。ヤクルトの空き容器の底に穴を開けたものでトンネルを設置し、ここからザリガニ通しが行き来できる設計だった(今思えばサイズ的に本当に通れたのかどうか疑問だが)。

いくら乱暴なザリ太とてザリ子には会いたいに違いない。織姫と彦星のようなロマンチックな逢瀬を期待したが、飼い主の理想も虚しく、ザリ太の夜這いは私の想像力を越える形で行われた。我が家に来てまだ数日しか経っていないというのに、ザリ太は砂利の壁を壊してザリ子の居室に侵入するようになったのだ。私はザリ太をどうしようもないやつだと思いながら、せっせと壁の再建に専念した。

そしてとある朝、悲劇は起きた。

ザリ太がザリ子を襲ったのである。夫が妻を襲うなど想定外の出来事だった。2匹の暮らす小さな水槽には、ザリ子の無残な死骸と、崩れた砂利の上に佇むザリ太の姿があった。ザリ太はザリ子を喰ってしまった。

こんな愛の形があるだなんて、小2の私はショックを受けた。そもそも私はザリ子がかわいくてこの2匹を預かることにしたのだ。去年の夏の思い出があったからザリ太のことも受け入れたのに、それなのにこのザリ太という男は、ザリ子との思い出ごと壁を打ち壊したのである。私は悲しくて泣いた。そしてザリ太のことが恐ろしかった。

とはいえザリ太をどうするわけにもいかず、私は若干引きながらも引き続き彼の面倒を見ることにした。ザリ子は手厚く庭に埋葬し、ザリ子亡き水槽をザリ太の独居用に整え直した。砂利を整え、エサをやった。ザリ太はザリ太でお世話しなくては。

しかしその翌日、ザリ太も死んでしまった。何があったのかはわからない。水槽を覗くと動かなくなっていたのだ。ザリ太はザリ子の後を追ったのだろうか。これは果たして愛なのだろうか。私はよく分からないながらにこの2匹のことをずっと忘れられずに生きている。こうしてクラスから預かったザリガニは2匹ともいなくなってしまった。

夏休み明け、ザリガニ夫婦の訃報をクラスに伝えたが、それを悼む者は誰もいなかった。預かった者として責任も感じていたが、全力を尽くしたという思いもあった。私は2匹のザリガニの呆気ない死になんとも言えない夏の終わりを感じた。さらばザリ太、さらばザリ子よ。そしてさよなら、小2の夏よ。

その後、私はザリ子を主人公にした絵本を書くことにした。タイトルは『ザリ子の旅』という。死後の世界でザリ子がお遍路をして回る物語で、小2にしてはなかなか渋いセンスである。板紙に表紙の絵を描くところまでは進んだが、なんとなく飽きてしまい制作はそこで停止したまま今に至る。今となっては物語の展開もオチも具体的には思い出せず永遠のお蔵入りが決定しているのだが、せめてもの供養にと、このエッセイを未完の『ザリ子の旅』に捧げる。




HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞