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変わること 変わらないこと

10年ぶりに大阪に住むことになって一ヶ月が経った。
20代まで大阪に住み、大阪で学業も仕事もやってきて、30歳になった頃から全国各地を行脚し始め、縁に導かれ2012年に滋賀に移って、そして2017年に東京に移って、2019年からは家族が暮らす新潟と東京の二拠点生活をし、この4月に大阪の大学に勤めることになって、その近所のまちに単身で暮らし始めている。

2022年は大学を卒業して丸20年の節目でもあり、あまり後ろを振り返りたくはないけど、ああ、自分なりにいろいろ無軌道にやってきたなぁとは思う。とりあえず、自分も、家族も、親しい友人や仕事仲間(年齢相応に体調悪い人もちらほらでてきてるけど)もそれなりに健やかで、それなりに「なんとかやってる(大阪的にはぼちぼちでんな)」のは、素直にそのサヴァイブの痕跡を愛でたい気持ちです。

ところで、この5年間ほど、福島県いわき市の復興公営住宅に通ってきて、そこに暮らす団地住民の方々から、(あの原発事故前に)かつて住んでいたまちの思い出を聞き取る活動をしてきた。その語りのひとつのきっかけとして、彼女たち彼ら住民に馴染み深い音楽を聴く。そして会話になり、ちょっと口ずさんで歌詞になり、言葉は歌と語りの間を行き交う。東京でバンドを組んで、住民たちの思い出の曲にバック演奏をつけた。そして、住民さんに歌ってもらった。コロナ禍の団地の一軒一軒でひっそりと、恥ずかしがりながらも、でも逞しく。そうして『福島ソングスケイプ』というCDアルバムをつくって、この3月11日にリリースした。

もともと、CDをつくることはまったくゴールではなかった。それを目標にしていたら、多分、こんな作品にならなかったと思う、という内容にはなっていると思う。音楽を「するため」にするというよりは、その生活現場からただ語り出すように、台所に立つように、洗濯物を干すように、大切な誰かと今日も近所を散歩するように「生まれてしまった」という音楽をつくりたいと思う。でも、それは偶然の産物でもあるから、なかなか狙ってはできない。だからその狙えないがゆえに、それはある土地の、そこの人たちの日常の「ドキュメント(記録)」にもなりえるのだと思う。僕はそこにとても関心がある。

コロナ禍の自宅で、この作品のミックス作業を延々やっていると煮詰まってきて、ラフができたところで、大阪時代の僕の音楽家としての作風をよく知る旧友数名に聞いてもらった。そのなかの一人が、「これまでやってきたことも断片的に知ってるから、それらが重層的に組み合わさってるのもよくわかった。20年分の厚みを感じた。」と言ってくれたのは本当に嬉しかった。

2002年、そう冒頭に書いた20年前に僕はこれまでやってきたドラマーとしてのバンド活動に満足できず、ソロ活動「大和川レコード」を開始した。そこでやってきたのは、「日常と音楽の狭間」をテーマにした「音楽」だった。学生時代に、大家ジョン・ケージや、サウンドスケイプの提唱者マリー・シェーファーの思想、そして、寺山修司の「日常/舞台」のそのボーダーの触り方などなどに影響を受け、「どこからどこまでが音楽になるのか」を試すために、友人との会話や、フィールドレコーディング、自作曲の歌のリハーサル録音から本番録音まですべてを等価にごちゃまぜにミックスし、パフォーマンスやCD作品をつくり、全国のライブハウスやクラブやアートスペースでステージに立った。でも、あれはやはりよくもわるくも音楽を「するため」の行為の延長線上でできた表現であり、“真に”(という言葉は語弊があるが、正確には作り手である僕が納得できるカタチで)「日常」を記録できているものではなかった気がする。そして、ステージでの表現を30代になって一旦離れ、生活現場に赴き、そこにいる人たちと表現を行うアートプロジェクトという形態で主に活動するようになった。

回り回って。そう、戻ってきたのかもしれない。この作品を作りながらそういう自覚もあった。でも、同時にこうも思った。「そもそも自分は20年間、何も変わっていない」と。前述の旧友はこう続けてくれた。

「意外だったのが、とっちらかってた断片が、このフォームで想像以上にきれ(原文ママ)に収まってて、それがきっちり大和川レコード的だったこと。だから、何周もして、形式としては元と同じところに戻ってきた感じはたしかにする。でも、何やってるかっていうスタンスがぜんぜん変わってるのはよく分かるよ。むしろこれを聞いて、大和川聴くと全然違って聴こえるとおもう。「伴走支援」的に聴こえる、というか。たしかに、これが「音楽」かどうかは、ちょっとむずかしいね。「音楽」だとしたら、もうちょっと音楽的に編集する方法もあったかもしれない。でも、これが「音楽」かどうかなんて、正直いまさらどうでもいいような気がする。十分に表現として立体的で豊かさがあるよ。」

「音楽」であるかどうかに、どこかでこだわってきたけど、その問い自体がもはやどうでもいいのかもしれない。これを作ってから、ようやくそう思えるようになった。もちろん僕はこれからも、いろんな生活の出来事、社会で起こっているあれこれと自分なりの方法で絡まり合いながら、「音楽」を続けてゆくと思う。

やることが変わっても、土地が変わっても、人間関係が変わっても。いや、刻一刻と変わっていくことがあるがゆえに、変わらない芯の部分はより明確に、剥き出しになってゆく。その芯を一言でいうにはもったいないし、芸がないし、むしろ一生をかけて態度で表してゆくしかない、のかもしれない。

【イベント情報】
5/13(金)19:30〜トーク&試聴会 アサダワタルと下神白団地のみなさん『福島ソングスケイプ』リリース記念イベント @スタンダードブックストア天王寺
https://www.standardbookstore.net/2022/05/02/0513_asada/

【参考】
レーベルHP:アサダワタルと下神白団地『福島ソングスケイプ』情報(通販や取扱店舗一覧)
https://fukusongcd.base.shop
関連記事:『福島ソングスケイプ』 アーティスト・アサダワタルが 復興公営住宅の住民とつくる作品
https://colocal.jp/topics/art-design-architecture/local-art-report/20220311_147545.html
解説動画:『福島ソングスケイプ』ができるまで(一部試聴できます)
https://www.youtube.com/watch?v=8RAD1eCfRlk
過去作:大和川レコード時代の楽曲を再編成し、2016年にリリースした作品 アサダワタル『歌景、記譜、大和川レコード』(路地と暮らし社)
https://rojikura.thebase.in/items/2313692




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