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絵を描くのは苦手だと思っていたけれど、という話。

息子と、近くの自治体のイベントに行って来た。
老朽化で取り壊す予定の体育館を解放して、床や壁に好きなようにお絵かきし放題!という感じのやつだ。

そもそもの発端は、夏休み直前に学校から息子が持ち帰ってきたチラシだった。

「これ行きたいぽよ!!」
「え~……エアコンないって書いてあるよ、嫌だなぁ」
「行くぽよ!!絶対行きたいぽよ!!」

という攻防の末、渋々重い腰を上げる羽目に陥ったのだが、「まぁいっかタダだし」と思っていたら、絵を描くためのペンなどを持参しろ、という記載がひっそりとあったのが負け戦の始まりだった。
仕方がないので先週の内に息子を連れて100均に行ったら、これまた攻防の末に7本ものマーカーペンと、ついでに何故かカービィグッズまで買わされてしまったのである。ぐぬぬ。

ならばせめて、息子が絵を描いている時間だけでも有意義に使おう。
そう思った私は、ポケモンスリープのカビゴンの朝食もリサーチの提出も後回しにし、通信講座のテキストと、考え付く全ての熱中症対策グッズを持って、現地へ向かった。
狙う時間は開場直後の午前中。少しでも気温が低いうちにミッションを終えようという魂胆である。

が。いざ到着してみると、現地の駐車場は意外にも空いていた。
警備員らしき人が立って誘導しているが、そんなもん必要ないだろというレベルのガラッガラだ。車の運転がド下手くそな私にとって、好きな所に停め放題なのは良いことではあるのだが、どうも嫌な予感がしてくる。

受付で記名を求められ、入場する。
ここでも受付の用紙は、ほんの数組分しか埋まっていなかった。
嫌な予感が濃くなる。

会場に入る。

嫌な予感がバッチリと当たってしまった。
人はそれなりにいる。絵を描いている子供たちもそこそこいる。のだが、私達のような「客」よりも明らかに、明らかに主催者側の方が人数が多い。
というか大人がほぼ全員、関係者っぽいですよねこれ……!?

めちゃくちゃ笑顔の人々に出迎えられ、一人がペンキを使うかと息子に尋ね、もう一人がビニール手袋を使うかと私に尋ねてくる。懇切丁寧に絵を描きやすい場所を案内してくれる人、差し入れだというアイスを渡してくれる人、熱中症の注意を呼び掛けてくれる人、息子に何を描くのかと尋ねる人、お母さんも是非描いて下さいと応援してくれる人、人、人……!!

「息子が絵を描いている間、黙って待っている」だけのイベントだと思って完全に油断していた私は、大慌てで外交用の猫の皮を引っ張り出し、厳重に装備してオフィシャル用の笑顔を浮かべ、内心恐怖におののいた。
スーパーでも可能な限り有人レジは使わないようにしている精神的引きこもり人間にとって、唐突に対人コミュニケーションを要求される状況は、めちゃくちゃにハードルが高いのである。

とりあえず人の波が過ぎ去ると、息子は持参した新品のペンで、床に早速カービィ……ではなく、何故かウィスピーウッズ(カービィの敵キャラ)を描き始めた。まぁいい、描きたいものを描くがいい。
私は私で勝手にやればいいのである。が、果たしてこの状況で、スマホを弄ったり本を読んだりしていることが可能かどうか。
周囲を油断なく見回して、目立たずにサボれそうな場所を探す。

駄目だ。ない。

見渡す限り大人たちは全員、子供と一緒に絵を描いているか、会場内で何らかの仕事をしているか、複数人で立って立ち話をしている。
壁際でサボってスマホを弄っていたり本を読んでいたりするアナーキーな人が……いない!

うぅ。どうしよう。

私は人目を気にしない方だが、それは「何も悪いことはしていない」と、どの角度からも言い切れる場合のみである。
例えば遊園地の観覧車に一人で乗ること、一人で焼き肉に行くこと、男性ばかりがミッチリ詰まっている喫煙所に突撃していって煙草を吸うこと、そういうシーンならいくらでもやれる。
だが「絵を描くイベントに子供を参加させに来ておいて、自分はいかにもやる気なくサボる」のような、悪事とまでは言えなくとも不文律に反するような行為は、「そういう風にしている仲間」がいないと出来ないのだ。特に今回のようにしょっぱなから歓迎されてしまったりすると、「空気を読まない行動を取る、最初の一人」になる勇気までは持てない小心者なのである。

仕方ない。
人口密度が低いことだし、息子の隣にいても他の絵を描く人の邪魔にはなりにくい。このまま出来るだけ目立たないようにサボろう。

私はそう思いつつ、ウィスピーウッズを描いている息子の横で、ひっそりとスマホを取り出した。しれっとポケモンスリープを起動して、後回しにしていた朝ごはんをカビゴンにあげるぐらいは……

って。メンテナンス中か!!

メンテ明けは14時、ということは朝ごはんがあげられない。
食材余ってるのに。バッグがパンパンになっちゃってたはずなのに。

むーーーーーん。どうしよう。

何事も上手く行かない日はあるものである。
息子に「ママも何か描いたら?」と言われたので、どうせ暇だしと、とりあえずFFのモーグリを描いてみる。スマホアプリのアイコンをわざわざ見ながら描いたのに、思ってたんと違う。まぁ私の画力ならこの程度が限界か、仕方ない。「塗り」の工程は昔から割と好きなので、色付きのマッキーで一心に塗った。

ぬりぬり。ぬりぬり。

塗っている内に雑念が消えて、無心になった。
そう言えば大人の塗り絵とかあるんだっけ。確かにこれは良いかもしれないな、と思いつつ、ひたすらに塗る。

ふぅ。出来た。

なんか違うけど、塗りだけは任せろ。
こちらは息子のウィスピーウッズ。


とにかく最低限の仕事は果たした達成感に浸っていると、息子のウィスピーウッズも完成した。今度は壁に絵を描きたいらしい、大歓迎である。

壁に絵を描くということは、息子が壁の近くに立っているということで、そのそばで私が座って本を読んでいても、大して不自然さがないということだ。素晴らしい。
ビバ、壁。ワンダフォー、壁。愛してるぞ、壁。

誰にも背後を取られない、他人の視界に入りにくい場所というのは、それだけで安心するものである。
相変わらず周囲を見回しても本やスマホを見ている人はいないので、そこは諦めることにしつつ、今度はスーパーマリオの土管を描いているらしい息子を眺めて、ぼんやり待つ。

息子は、絵を描くのが結構好きだ。
お世辞にも上手いとまでは言えないのだが、家で大人たちに雑に誉められ続けているせいか自己肯定感はかなり高く、「ぼくは絵が得意ぽよ!」と自分で言っていたりする。

一方で、私は絵が嫌い……とまでは言わないが、非常に苦手意識が強い。
言わずもがな、母のせいである。

母は、私の幼少期には油絵を描いているシーンをちょくちょく見たほど、「絵を描くのが趣味」な人だった。飽きたのか時間が無くなったのか、いつの間にか描かなくなったが、昔は絵描きになりたかったらしい。
ただでさえ何かと講釈を垂れがちな母は、特に絵についての話となると長かった。当然、私が描く絵にもかなりのクオリティを要求していた。

夏休みの宿題のアサガオ観察の絵日記で、アサガオの花一つ一つをもっと丁寧によく見て描け、ここはこうじゃないだろうと延々文句を言われ、描き直しをさせられ、毎朝アサガオが咲いているのが恨めしかった夏休み。あれは小学何年生の夏だったのだろうか。
沢山咲いた日には私が朝起きるなり泣いていた、と笑い話にしている母は、それが自分の毒エピソードだとは一生気付かないのだろう。

そして、とにかく絵となると他より一層厳しく文句を言われ続けた私は、自分は絵は駄目なのだと、センスもないし好きでもないし楽しくもないし、と思っていた。
だが今にして思えば、小4時点での私は、今の息子より断然技術は高かった。にもかかわらず、私にとって絵を描くことは苦痛でしかなかったし、自分は絵が得意などとは思えた試しがなかった。

小学生でも絵がめちゃくちゃに上手い子は確かにいる。だが、そうでもない大多数にとっての絵は、上手い下手より楽しいことの方が大事だ。
嫌いなことは少ない方が良いし、好きな事や楽しいことは多い方が良いはずである。
私に絵の才能はないと分かった時点で、母がもっと諦めてくれれば良かったものを。そうすれば私も、絵を描くのがそこまで苦手だとは思わずに済んだかもしれないのに。

そんなことを考えている内に、息子は土管の絵を描き終わった。

緑の土管とパックンフラワー、銀色の土管とコイン、青い土管とPスイッチ、らしい。


時刻は11時過ぎ。そろそろ良いかなと思って息子に聞くと、まだ描くという。暑いのに元気である。
持って来ていた飲み物を飲ませ、近くにあった青いオブジェのようなものに描いてみることを提案すると、「ママも一緒に描いてぽよ!」と言い張られた。
内弁慶な息子は、他の人が描いていない場所で自分一人で描くのは無理らしい。変な所が私に似たというか、私を通り越しているというか。

まぁ、仕方ない。何か描こう。
どうせ描くなら、さっきのモーグリよりはマシな出来にしたい。バランスが悪くなったのは大きく描きすぎたためだろうから、さっきより小さめに描けば行ける気がする。
問題は何を描くかだが、同じくモーグリというのも芸がないな。ここは一つポケモンスリープのカビゴン……いや、カビゴンは描きにくいし、背景の青と同化して分かりにくそうだ。ピカチュウにでもするか。

というわけで、真面目にスマホでピカチュウの画像を検索して、それを凝視しつつ描いてみる。
お。今回はなかなか良い感じでは?モーグリもどきよりは断然上手く描けた。

塗るのに時間がかかったが、通りすがりのオバサマ方やちびっ子にお褒めの言葉を頂いて悦に浸る。何故か息子が「ママって絵が上手かったぽよね!さっきも誉められてたぽよ!」と大喜びし、だがその直後に「一つだけ残念な所があるぽよ。頭がちょっと凹んでるぽよ」とダメ出しして、「でも全然良いぽよよ、可愛いぽよ!」ともう一度上げて来た。
誉めてからけなし、もう一度誉める――なんかコーチングか何かでそういうテクニックがあったような気がする。
まさか知ってる訳はないので天然だろうが、逆にナチュラルにそれがやれるって何かこわい。と思いつつ、意見を取り入れて微調整をして、私の(当社比)傑作ピカチュウが完成した。
息子も描き終わって満足したらしいので、ここで撤退することにする。

息子の「まんぷくカービィ」と剣とブロック。
ピンクの発色が良くないけれど、よく見るとカービィがなかなか可愛い(親馬鹿)。
新原わたり、史上最高傑作。題:「ピカチュウ~100均ポスカの不安定インクとの戦い~」
なお頬のあたりの線は「電気袋からでるビリビリ」ということで息子が追加したもの。


結局本も読めなかったし、カビゴンにご飯も食べさせられなかったし、当初の想定とかなり違う過ごし方になったのだが、意外と楽しく2時間近くも過ごせてしまった。
昔から塗り絵は好きだったんだよな。母は「塗り絵は絵じゃない」と言って、私の塗り絵には特に何も言わなかったから、そのお陰で好きな事として残ったのかもしれない。

イラスト全般を見下す母は、今回私が描いたような「スマホ検索した画像を見てトレスしたピカチュウ」など、毛ほどの価値も認めないだろう。
でも、自分は絵が苦手だと思っていた私からすれば、今回のピカチュウは十分に快挙だし、何より息子と並んで絵を描いて、しかも楽しめたという、それ自体に価値がある。

楽しかった。上手く描けたと自分で思った。息子が喜んでくれた。オバサマ方はお世辞もあるだろうけれど、ちびっこ達にも誉めて貰えた。
私にとってはそれで十分だし、それ以上のものなんて、きっと存在しない。

だから私はもう、絵は苦手じゃない。
そう思うことにしよう、と思う。

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