見出し画像

【日記】自分の機嫌を取らないと、という話。

どうも、自分の機嫌が悪い。

理由は恐らく、カレンダーのせいである。
平日休みの夫が月火水と3連休だった上に、今週は祝日があるので金土日は息子が休み。となると今週、私にとっての「休日」は木曜の一日しかない。どうにもぐぬぬぬぬ、という感じだ。

いや別に毎日常にゲームやってるだろお前、十分休日だろ、と言われるとぐうの音も出ないのだが、そこは「何をもって休みと認識するか」という話である。
私にとって家事労働は大した仕事ではないのだが、「家人が家に存在する状況」そのものが業務時間のような感じで、まぁまぁ夏休みの時期にぼやいていたのと同じ理屈だ。夏休み期間中は「週に一日でも良いから出かけていて欲しい」と思っていた癖に、夏休みが終わった途端に「最低週5は出かけていて欲しい」となる訳で、我ながら贅沢に慣れるのが早すぎるような気もするし、夫や息子にしてみれば理不尽極まりない主張だとも思う。

だが、「これは仕方がない、諦めろ」と自分に言い聞かせても、機嫌が悪いものは悪い。こればかりはどうにも御し難い。
というかそもそも、私は自分の機嫌への対処スキルが未熟すぎるのである。

機嫌の上下幅がジェットコースターな母に比較して、私は子供の頃からずっと、機嫌の起伏が殆どない人間である……と、自分を認識してきた。その一点だけにおいては母に誉められ続けていたことも一因だろう。感情そのものが感じにくかったせいもあって、機嫌が良い日もない代わり、悪い日も長年なかったのである。

明確に「自分の機嫌が悪い」と最初に認識できたのは社会人になってからのことだ。これは機嫌というよりも、恋愛や仕事のストレスに加え、睡眠不足と過労による情緒不安定だったせいだと思うが、とにかく爆発的な怒りがしょっちゅう発生し、しかも全く制御できない時期があった。
当時は自分の機嫌に頓着していられる状況でなかった(と思い込んでいた)ため、何かあるとすぐ瞬間湯沸かし器のように沸騰するイライラを、少なくとも仕事上のストレス源だという理由で上司やクライアントにぶつけまくって発散するという非常に攻撃的な仕事のやり方をしていたのだが、それがどういう訳か謎に高く評価され、仕事量がどんどん増えてストレスもプレッシャーも増え続け、更に四方八方に噛みつき続けなければならない……という悪循環に陥った。
最終的には不安障害で休職・退職することになった訳だが、仕事に行かなくなってからは憑き物が落ちたように元に戻り、さっぱり何にも怒らなくなったので、やはりステータスのせいだったと思う。

で、ここ4,5年、育児うつから立ち直って以降の私は、別に過労という訳でもなく、取り立てて大きな事件が起こっていないにも関わらず「機嫌の悪い日」が年に1,2度ほど発生するようになった。
そしてその頻度がnoteを始めてから、月に数日レベルに激増している。逆に「機嫌が良い日」も同じかそれ以上に出てきていて、特にここ1か月はほぼ毎日ずっと機嫌が良かったので、ある意味反動と言えば反動のような感じかもしれない。

良い方に取れば、色々な抑圧が減ったが故に感情の上下幅が出てきて、それを自分でも感じ取れるようになったということだろう。
だが私にはどうも、この不機嫌なときに自分の機嫌を取るスキルが不足している。「機嫌が悪い時のある人間歴」が浅すぎるから仕方ないとも言えるが、どうすれば自分の機嫌が良くなるのか、さっぱり見当がつかないのである。

一体どうすりゃ良いんだろうか、これ。
っていうか、よく考えたらPMSの時期でもあった。機嫌が悪いそのものの仕方なさ加減には納得がいったが、原因はともかく対処方法が分からない。「自分の機嫌を取る」でググると映画を見るとか、好きな香りを嗅ぐとか色々出てくるが、今一つどれもピンと来ないし、ゲームは既にやっている。やっている最中は機嫌の悪さを忘れられるが、止めるとやはり機嫌が悪く、解決策としては微妙な感じだ。うーむ、参った。

とりあえず昼食はお好み焼きにした。まずは基本として、食い物から攻めるべきだろうと思ってのことだったが、夫が休みだったために、作ったお好み焼きが一食で全て消えてしまい、「夫が仕事の日だったら夕飯にもお好み焼きが食べられたのに」という八つ当たりな怒りが湧き上がってしまった。お好み焼き自体は美味しかったのに、実に残念である。もっと大量に作らねばならなかったようだ。なかなか上手くいかない。

そして午後に昼寝しようと思ったら、隣の家の庭で人の話し声が聞こえてなかなか寝付けず、更には隣の家の犬までワンワン吠え出して、イライラ倍増だった。もうこれは完全に私の敗北である。間が悪いとしか言えない。

更に夜になって、いつもと大差ない量で用意したはずの夕飯が、想定外に多く残ってしまった。
敗因は恐らく2つだ。一つ目は、日曜に来た伯母の置き土産であるデカいどら焼きを、夫も息子もおやつに食べていた点。二つ目は、焼肉という夕飯メニューが、歯の治療中で咀嚼に苦労している夫には荷が重かったと思われる点である。
この辺り、普段の私なら「いつもと大差ない量を用意する」という見積もり自体が甘かったと考える所なのだが、何しろ機嫌が悪いので「ンなもん知るか!!」としか思えない。キレ散らかしたりはしないものの、ガッツリ残ってしまった肉を前に、明日の夕飯をどのぐらい、何を用意すれば上手く捌けるか――と考えていたら、どうにもすっかり嫌になってしまった。

いや、でも「すっかり嫌になってしまった」と書いたら、なんかこれでも良い気がしてきたぞ。
よく考えてみると、「すっかり嫌になってしまった」が分かるようになったというのは、それ自体が私としては成長している。人間に近付けていると言えよう。

そうだそうだ。人間、機嫌が悪い日があっても良いはずだ。
とりあえず、明日はおさつスナックを食べよう。
なんなら髪でも切りに行っちゃおうかな。昼食はマックでもミスドでもドトールでも、またラーメンを食べに行くのも良いかもしれない。残り物が出たからと言って、昼食にそれを食べねばならないとか、私が一人で全て処理せねばならないとかいう理屈はないはずだ。夕飯のタイミングでは残り物をそのまま出して、足りなさそうなら納豆とか冷奴あたりを添えることにしよう。それで更に残るなら、極論、捨てたって良いのだ。フードロスの観点から見れば誉められたものではないけれど、何しろ私は機嫌が悪いのだから、それ以上の努力が出来なくても仕方がないだろう。うんうん、そうだそうしよう。

書いて初めて気が付いたが、私にとって、今日の夕飯が大量に残ったのが嫌だった理由は、「私の失敗」だと認識し、しかもその責任を私が取らねばならない――つまり残り物を全て私が自分で食べねばならないと思っていたから、だったらしい。
責任を取らなくてもいいと思ったら急に機嫌が良くなった。また明日の私の機嫌がどうなっているかは分からないが、とりあえず今日の分の機嫌は一旦大丈夫そうである。良かった良かった、スッキリした。

「自分の機嫌を自分で取る」、フレーズをよく聞いてはいても、今一つ縁のない言葉なような気がしていたが、私にも機嫌の良し悪しが存在するようになった以上、今後の人生では必須スキルのはずである。
何とか「これをすれば私は機嫌が良くなる!」的な行動なり食べ物なりを探し出して、上手いこと処理できるようになりたいものだ。

だが。「機嫌の良い日も悪い日もある私」になれたことを、まずは喜んでおこう。「機嫌の良い日も悪い日も存在できなかった私」よりは、きっと自然なはずである。

人間だもの、だよなぁ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?