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お盆というか「親戚」が苦手、という話。

昨日は散々義母への愚痴を書いたが、私は元々お盆が苦手である。昔からこの時期になると気が滅入る。

亡くなった友人知人、親族や先祖に想いを馳せ、仏壇やお墓に色々やるという行事自体は全然良いのだ。
だが現実問題として、そんな静かな行事だけでは終わらないのがお盆である。お盆という言葉は、「親戚宅に行く」という、私にとってはこの上なく不得手なイベントを、端的に表す単語でもある。

子供の頃からこのお盆イベントは苦手、いや正確に言うと「嫌い」だった。

体面を非常に気にする私の母は、親戚宅に行くとなるとやたらと気合を入れて出かける。だが母自身も気疲れするし、母は喫煙者なのだがこれまた体面を気にして外では吸わないこともあり、なるべく短時間で帰ろうとする。

そこで訪問先の親戚たちは、完全なる善意から「まぁまぁ、もうちょっとゆっくりしていきなよ」と引き留めに入るのだが、その際に私や父をターゲットに定めた引き留め工作を行う確率が高いのだ。
ビールを注がれて酔っぱらってしまう父はもう仕方がない。だが、そこで私までもが、追加されるお菓子や果物、けしかけられた親戚の子供たちなどによる引き留め工作に引っかかれば、帰りの車に乗った途端に母は大噴火する。かといって、全ての誘いを最初からすべて断って、母にへばりついたままでいるのも「失礼にあたる」と叱られる。

なので子供時代の私は、親戚宅でそれなりに楽しく過ごしているように振舞いながら、大人たちの会話の流れを把握し続け、母が帰りたそうな素振りを見せた瞬間、即座に母の近くに戻って、母の「じゃあそろそろ」を決して妨げないようにする、という挙動をせねばならなかった。中学生あたりからは、大人としてのポジションで常時母の隣で頷いていれば良かったので難易度が下がったが、この「”子供らしく”振舞いながら、母にとって都合のいい挙動をする」必要があった時期は本当に神経を使った。

私は今も「親戚」が、血の繋がりの有無に関わらず全体的に苦手だ。
親戚に嫌な事を言われた記憶があるとか、何か意地悪をされたことがあるわけではない。ただただひたすらに「親戚宅」というアウェイ環境で、母の機嫌を損ねないように振舞うのが大変すぎて、親戚全体に対して「厄介な環境」というイメージがついてしまっているだけである。
私の親戚には、少なくとも義母のような強烈なキャラをしている人間はいない。まぁ個々にバラせば色々あるはずだが、私との関係だけを切り取れば、本来なら漠然と「良い人達」という評価をしていいはずだ。だが、私は母を介さずに「親戚」と交流したことが殆どなく、父方も母方も、ほぼ全ての「親戚」が「母の向こう側」にいる人たちだった。

ごくわずかな例外が母の姉にあたる伯母一家で、一歳年下の従兄弟とは随分長い期間、長期休暇のたびに互いの家に泊まったりしていた。
以前書いた万引き事件の時に、一緒だった家族だ。

母と伯母は性格は違うが、非常に仲が良く密度の濃い関係だ。現在に至るまで週3~5日は長電話をし合う仲で、こと育児に関しては共通した価値観を持っていた。そして互いに一人っ子だった私と従兄弟は、かなり似た性質の子供だったこともあり、非常に気が合ったまま中高生時代まで交流していた。互いの情報を頻繁に聞いていたこともあって、意識としては殆ど兄弟のようにすら思っていたし、従兄弟の方はどこまで本気だったのか、中学校いっぱいぐらいまで「大人になったら結婚する」と公言してさえいた。
私が大学進学したタイミングで実家と物理的に距離が離れたのと、従兄弟が結婚した時に伯母とかなり揉め、その後は実家と割とドライに距離を保つようになったこともあって、今は滅多に従兄弟の顔を見る機会もなくなっているが。

今となって考えれば、「私と同じような育児方針で育てられ、幼少期から私とよく似た性質で、中高生まで気が合っていた」この従兄弟もまた、毒親育ちだった可能性が高いように思う。もしかすると従兄弟は私より早く、結婚したあたりで伯母の毒に気付き、そこで揉めて、以後は実家と距離を取ることにしたのかもしれない。
現在この従兄弟は大手企業でバリバリやっていて、子供は二人、昨年家を買ったとも聞くので、人生的には私よりも順調に聞こえる――が、本当に大丈夫だろうか。性差もあるし、伯母は毒親ではなかったかもしれず、毒だったとしても既に解毒が済んでいるかもしれないが。
どうあれ思春期以降の彼は、どこか飄々とした、したたかさのようなものを身に着けていたようにも思うし、彼の事だから多分、大丈夫だろう。きっとそうだと信じたい。

閑話休題。

そんな従兄弟や伯母たちも含めて、例えば母が亡くなった場合の1年忌ぐらいまではともかくとして、それより先に、私が個人として連絡を取る親戚は、恐らくほとんどゼロだろうと思う。
そう自然に思ってしまうほど、私と「親戚」の関係は希薄だ。母が何故、あんなに躍起になって「親戚の家に挨拶に行く」をやり続けたのか、あんなに愛想を振りまく必要があったのか、私は恐らく心情的には一生分からないような気がする。

私は「祖母」という存在を知らない。
母方の祖母も、養父方の祖母も、私が生まれる前に亡くなっており、しかも
祖父はどちらもその後に後妻さんと再婚している状態だった。

母からすればお盆というのは、「娘に戻れる時間」では全くなく、「義母を含めた親戚達と、友好的な外交を行う最前線」だったのだろう、と想像はつく。
なるべく多くの人に愛されたかった母は、最大効率で自分の味方を増やそうとして、お盆にあちこち回り続け、外交を頑張っていたのだろう。
そして無理をした分のストレスを、全部私と父にぶつけていたのだ。

私の息子は、「ばーば」である義母の事を、単純に好きである。
義弟一家の事も大好きで、今年はレアキャラ過ぎて会った記憶がないはずの義兄と会うことすらも楽しみにしていて、お盆イベントの3日も前から「いつ行くの?あと3日?わーい!!」と喜んでいた。私はげんなりしていたが。
内弁慶な息子は、実際に出かけた先ではいつも、借りてきた猫のように非常に大人しく振舞う。しかし、それでも当日は持参したカービィのぬいぐるみを全員に見せて回り、義弟家のお兄さんたちにくすぐられてキャーキャー笑い転げ、実に楽しそうだった。帰宅してからも「楽しかったね!!」と無邪気にニコニコしていた。

ブルドーザー系義母の無神経マシンガントークによる疲労で、その日の夜は殆ど口を開く気力すらなくなりかけていた私ではあるが、それでも息子の「お盆にばーばの家で皆に会えて楽しかった」記憶を壊さない努力だけは出来たことを、誇りに思おうと思う。
少なくとも母が出来なかった、しなかったことを、一つ達成できているのだ。

例えばこの、私の持ち得なかった「お盆に、親戚の皆に会えて楽しかった」という記憶が、息子にとっていつか何かの役に立つかもしれないし、全くならないかもしれないが、少なくとも子供時代の楽しい思い出は、多い方が良いだろう。

私が実は義母や、義弟嫁さんのことを苦手だと思っている、ということに息子はいつ気が付くようになるのだろうか、と少し思うけれど。気付かないでいられるなら、きっとそれに越したことはない。

もしも息子がずっと気づかないままで、息子が結婚してから「姑となった私に会いたがらない嫁さん」のようなシーンが発生して、息子が困惑する、なんてことになったら、ちょっと面白いかもしれない。
「お姑さんに会うなんて、嫌いじゃなくたって気疲れするでしょ。私も苦手だったよ?」とか言って、「えー!?」などと言わせてみたいものである。

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