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私が小1で初めて万引きをした時の話。

私が初めて万引きをしたのは、小学校1年の冬だった。

近県に住んでいる従兄弟の一家が、帰省を兼ねて遊びに来ていた時のことだ。母と私は、海沿いの観光ホテルに泊まっている彼らと合流し、すぐそばのマリンタワーに出かけた。
マリンタワーに入ってすぐあったお土産品のコーナーには、色鮮やかでキラキラした小物が沢山あった。その中でも、綺麗なラメ入りの塗料で着色された貝殻たちは、私の心を奪った。欲しいものはあるかと母に問われた私は、迷いなくその貝殻を指さした。1個100円の値札が付いていた。

水色のを、2つ欲しい。

母は優しくうなずいた。

良いよ。でも同じ色が2個じゃつまらないでしょ。ピンクと白も買ってあげる。

私は、水色とピンクと白の、3つの貝殻が入った、小さな紙袋を手に入れた。

――違う。
「水色のを、2つ」欲しいのだ。

叔父や叔母と楽しげに談笑する母に、私はそれを言い出せなかった。
仲のいい従兄弟もいる前で母に楯突き、母を怒らせて、この楽しい一日が壊れてしまうことを、恐れた。

母に一度却下されたからには、水色の貝殻をもう一つ手に入れることは叶わない。それは絶対だ。
まして、私は貝殻を「3つ」買ってもらってしまっている。
ピンクと白は要らない、水色がもう一つ欲しかった、そんな主張が通るはずがなかった。

――どうしよう。どうすればいい?

6歳だった私には、「伯父や伯母の目の前でねだれば、彼らの手前、母が折れるか、もしくは伯父や伯母が買ってくれるかもしれない」とは考えられなかった。
親戚の前で、母の意にそぐわない行動を取ることは、固く禁じられていた。仲の良い年下の従兄弟や、優しい伯父や伯母の前で、引っぱたかれて怒鳴られて、彼らに気まずい思いをさせる――そうなるに違いないと、それだけは避けなければいけないと思った。

母に手を引かれるままに展望台へと向かいながら、私は頭をフル回転させていた。
エレベーターで展望台に上り、海沿いの景色を眺め、レストランのような場所でチョコレートパフェを食べている間、私はどうすればもう一つの水色の貝殻を手に入れられるか、真剣に考え続けた。

――盗むしかない。

その日着せられていた服は、母の手編みのセーターと、揃いのスカートだった。ずっしりと重いモスグリーンの毛糸で入念に編まれたスカートには、学校にも着ていけるように、ハンカチやティッシュを入れるためのポケットがついていた。
貝殻は小さく、私の手にも握りこめる大きさだ。貝殻を見ているふりをしながら手の中に握り、そのままポケットに手を突っ込めば、きっと誰にも見咎められずに盗める。
チャンスは一度。帰りがけに、あの土産物コーナーを通るタイミングだ。そこで母や、伯父や伯母の目から離れることができれば。

チョコレートパフェを食べ終わると、私は大人たちに向かって「もう一度あのお店を見たい」と主張した。その提案はあっさり受け入れられ、私は売り場をあれこれ見て回る振りをしながら、さっきの水色の貝殻の側にさりげなく近づいた。
母と伯母は、売り場の少し離れたところにいた。従兄弟も何かのおもちゃを見ている。店員も他の客も周囲にはいない。

私は手を伸ばし、いくつかの貝殻を手に取って眺めては戻す動作をした後に、本命の水色の貝殻を手に取って、グーの形に握りこんで、そのまま手を自然に下ろした。売り場の棚の陰になる場所まで歩き、周りに誰もいないことをもう一度確かめてから、ポケットにグーのままの手を突っ込み、水色の貝殻をポケットの中に残して、そうっと手を開いて抜き出した。

「もう一つ」の水色の貝殻は、あっさりと簡単に、ポケットの中に納まっていた。

ぬるりと滑る手のひらをスカートで拭い、なるべく自然に見えるように母と伯母に近寄りながら、私は凄まじく緊張していた。今にも後ろから店員さんに、あるいは他の誰かに肩を叩かれて、盗んだことを指摘されるような気がした。一刻も早く建物の外に走り出したい衝動を抑え込みながら、私はことさらにゆっくりと歩いて皆と合流し、そのまま大人たちに合わせて駐車場へと向かった。厳しすぎる母の躾の成果で、内心どうあれ「何事もないかのように自然に振舞う」スキルは、十分身についていた。

何事もなくマリンタワーを後にして、私たちを乗せた車が走り出す。そこでようやく少し安心した私は、「持っている貝殻が、買ってもらった3個よりも一つ多いという事実を、どう母に説明するか」という次の課題に気付いて、ハッとした。

――どうしよう。

家の中に、隠しておける場所などない。
ポケットに入れたままにしておけば、洗濯のタイミングで確実にバレる。学習机の引き出しに隠したところで、母は必ず開けるだろう。
私は学習机の下を「秘密基地」としてお菓子などを隠し持ち、こっそり食べたり、そこに潜り込んで本を読んだりする習慣があったが、母はそれを黙認しつつも、私の行動を完全に把握していた。父の本棚から持ち出した官能小説を読んでいた時にも、翌日には取り上げられてこっぴどく叱られたし、隠しておいた92点のテストも発掘されて、取れなかった8点の分、みっちり説教と共にしごかれた。
そんな母から、この貝殻のような目立つものを隠しきることが出来るとは、到底私には思えなかった。

――どうしよう。どうすればいい?

家に帰る前にどこかで、捨ててしまうしかないのだろうか。
万引きをしたことがバレて叱られるよりは、捨ててなかったことにした方がマシなのは間違いなかった。きっとそんなことがバレたら、母は正規に購入した貝殻も怒りに任せて捨ててしまうだろう。貝殻はきっと、一つも手元に残らなくなってしまう。

でも、折角手に入れたこの水色の貝殻を、私は失いたくなかった。買ってもらったものも合わせて「二つ」になった水色の貝殻は、私にとって初めてと言っていい、自分で選んだ宝物だった。

私が必死に考えている間に、車はすぐに駐車場に止まった。さっきまでいたマリンタワーがすぐ近くに見える観光ホテル、そこに従兄弟たちの一家は部屋を取っているらしく、その部屋で少し時間を潰そうという事になったらしかった。

捨てるチャンスなら、できた。
でも、そうしたら私の貝殻はどうなるだろう。

捨てなくちゃいけない、と渋々ながら諦めようとして、駐車場の植え込みを眺めながら歩いていた私は、宝物の「その後」に思いを馳せた。
私がこの植え込みに捨てたとして、この綺麗な貝殻は、誰かに拾ってもらえるだろうか。出来れば同じぐらいの年頃の女の子に見つけてもらって、大事に宝物にしてもらいたいな。そうすれば、きっと貝殻だって幸せだろう――と、そこまで考えて、ひらめいた。

――そうだ。拾ったことにすればいい。
そうすれば、堂々と「水色の貝殻を、2つ」持っていられる。

そう心に決めれば話は早かった。こういうお土産物が落ちていても不自然でない場所、そして私が見つけてもおかしくない場所を探して、「拾った!」と大人たちに宣言すればいい。
心配があるとすれば、二つになった水色の貝殻の片方を従兄弟にあげるようにと言われることだったが、これには勝算があった。従兄弟はさっきの売店でも、キラキラした貝殻には全く興味を示していなかった。それに日ごろから私と結婚すると言い続けている従兄弟なら、私が欲しいと言い張れば喜んで譲ってくれるだろう。どうしてもダメだと母に言われた時も、従兄弟にプレゼントすると思えば、捨てるよりは大分マシだ。

ホテルのエントランス、ロビー、エレベーター、そして廊下。あまりに清潔過ぎて隙のない風景を、私は嘗め回すように見ながら、大人たちの後について目的の部屋へと向かった。いい場所やタイミングが見つからなかったら、帰りに再び通る時に観葉植物の植木鉢の石に紛れていたことにしよう、あの植木鉢なら近寄りやすいだろうか――と、そんな風に目星を付けながら。

そして従兄弟たち家族の泊まる部屋に到着した私は、はしゃぐ振りをして部屋の中をあちこち見て回った。
ホテルの部屋は完璧に清潔で、生活感がなかった。ごみ一つない室内に、「前の人の忘れ物」が落ちていても不自然でない場所を探すのは難しそうで、私は焦りを感じた。が、従兄弟がソファに座り、持って来ていたらしいおもちゃで遊び始めたのを見て「これだ」と思った。

ソファの座面と背もたれの間には、必ず多少の隙間がある。そこに、この貝殻が入り込んでいたことにしよう。

大人たちが窓の外の海を眺めながら喋っているのを確認しつつ、私は何食わぬ顔でソファに近付き、従兄弟の隣に座った。従兄弟のウルトラマンのビニール人形を一つ手に取り、従兄弟の持っている人形と戦わせる。攻撃を食らって吹き飛ばされた人形を、「やられたー!」と言いながら、狙っていた「ソファの座面と背もたれの隙間」にめり込ませると、従兄弟がケタケタと声を上げて笑った。ぐりぐりと人形の足を隙間に押し込み、次に人形を取り出す振りをしながら、大げさな動作で手をソファーの隙間に突っ込む。

「あれ?何かあるかも」

自分の声がひどくわざとらしく聞こえたが、大人たちに直接聞かれなければ問題はないはずだ。自分の大根役者ぶりに内心慌てながら、私は従兄弟から見えないようにポケットの貝殻を取り出した。「今ここから見つけた」という風に見えるよう、手に乗せた水色の貝殻を従兄弟に見せる。

「ほんとに!?わぁ、凄い!!」

従兄弟は目を丸くして驚いてから屈託なく笑い、大人たちに向かって「ワタリが、キレイなの見つけたよー!ここにあったんだってー!!」と叫んだ。私の想像を1ミリもはみ出さない、実に有難いリアクションだった。

まるで自分が見つけたかのように、得意げに「ワタリがソファの隙間から貝殻を見つけた」ことを説明してくれた従兄弟のお陰で、全ては想定通りに進んだ。母と叔父と伯母は「あら良かったわねぇ」という反応を示し、以前この部屋に泊まった誰かが、私と同じようにマリンタワーで購入した貝殻で遊んでいて、その内の一つがソファーの隙間に潜り込んでしまったのだろう、というストーリーを作り上げてくれた。
私は「幸運で」もう一つの貝殻を手に入れたことになった。その共通認識が全員の中に出来上がった。

――良かった。上手くいった。

安心と興奮から、何度でもその話を繰り返したくなる衝動を、私は抑えた。犯罪を犯した犯人が饒舌になりすぎて口を滑らせ、あるいは怪しまれて、そこから犯罪を暴かれることがあるのを、私は本で読んで知っていた。寡黙で大人しい「普段の私」の言動の範囲を超えてはならない。2つになった水色の貝殻を手のひらに乗せては眺めるという幸せだけを享受して、私はその日一日を無事に乗り越え、帰宅した。

罪悪感が出始めたのは、1週間を過ぎてから後だった。

学習机の上、良く見える所に飾っていた貝殻を毎日眺める内に、私はこのまま「盗んだ」という罪が完璧に見過ごされてしまうことに、後ろめたさと、何か途方もない恐ろしさを感じた。
地獄の閻魔大王が怖かったわけではない。神でも仏でも神話でもない――もっと身近で、でも逃れられない、とてつもなく大きな何かに押しつぶされそうな恐怖に、私は囚われ始めていた。

だが、母に打ち明ける選択肢はなかった。「帰宅した時、片方の靴下が下がっていた」という理由で1時間を超える説教を受け、「本を読んでいて、母に呼ばれたことに気付かなかった」という理由で平手打ちを食らう日常の中で、「実は万引きしていた」ことが判明したら、どんな罰を受けることになるか。いつものように殴られたり怒鳴られたり、玄関から閉め出されたりするだけでは済まない事だけは間違いなく、それがどのレベルに達するのか、その罰を受けて自分が耐え切れるのか、到底想像がつかなかった。

隠し通す以外にどうしようもない罪を、その罪の証である綺麗な宝物の貝殻を、毎日見つめ続けることに耐えられなくなった私は、その貝殻を目に触れない所に隠しておこうと考えた。

ちょうど私の部屋の戸棚には、しばらく前に母が思いつきで作ろうと言い出した「タイムカプセル」の箱があった。
『17さいのたんじょう日になったらあけること』と私の字で書かれたその箱は、私自身の目にも触れない、安全な隠し場所として、うってつけに思えた。

10年以上の時間が経ち、私が「盗んだ」記憶を忘れられれば、この綺麗な貝殻を、何の後ろめたさもなく持っていられるようになる。そのはずだ。

『たからものの かいがらを 入れます。
水色の かいがらの かたほうを すててね。』

メモ帳を一枚破ってそう書いた私は、厳重に封をした「タイムカプセル」を丁寧に開き、箱の底の方に隠すように、4つ全ての貝殻とメモ帳を入れて、再び蓋を閉め、セロハンテープでぐるぐる巻きにした。
手紙が言葉足らずだとは思ったが、具体的な説明は避けた。10年後の母に見られて事態が発覚し、17歳の私が叱られるのは気の毒だし、たとえ何もかも忘れていたとしても、17歳の私ならばきっと、6歳の私の言いたいことを分かってくれて、何とかしてくれるだろう。

そんな風に無責任に未来の自分に丸投げして、私はタイムカプセルの中に万引きの罪を封印した。未来の自分が何とかしてくれる、と思うとそれだけで心が安らいだ。綺麗な宝物を取り出して眺められないのは残念だったけれど、それも未来の自分に託したと思えば、そこまで惜しくも感じなかった。


そして、10年後。
17歳の私はタイムカプセルを開いたが、後から隠した貝殻と手紙については何の感慨も覚えなかった。盗んだことを忘れてもいず、手紙に書いた一字一句まで、正確に記憶に残ったままだったからだ。

時間が経って記憶から薄れていたのは、貝殻そのものの色や形と、自分の字の汚さ加減ぐらいだった。記憶にあるよりずっと安っぽい貝殻――本物の貝殻ですらなく、パールブルーの塗料が塗られたその軽くて小さな物体は、一部が経年劣化で塗料が浮き上がっていて、爪で軽く引っ掻くだけで、下に透明のプラスチック素材が見えた。

――100円、だもんなぁ。

今のアラフォーの私なら、そのチープな物体を――6歳の私が犯した罪と、一人では抱えきれなかった罪悪感を、丸ごと引き受けて愛することも出来たかもしれない。
だが、17歳の私はあまりにも6歳の私と連続し過ぎていた。下らない罪を犯した自分も、その下らない罪の罪悪感に押し潰されそうだった自分の弱さも、それを文字通り棚上げして未来の自分に擦り付けた姑息な卑怯さも、ただひたすらに不快だった。

――まぁ。持っててもしょうがないし、捨てるか。

パールピンク、パールホワイト、そしてパールブルーが二つ。
合計4つの貝殻を、17歳の私は母の目に触れないようにティッシュにくるんでコンビニ袋に入れ、それをきっちりと縛った上で、ごみの日の可燃ごみの袋の隙間に押し込んだ。
ほれ、捨ててやったぞ。感謝しろよ。と、6歳の私に吐き捨てて。
その程度の知恵も勇気も持たなかった6歳の私を、17歳の私は、単に馬鹿だとしか思わなかった。

私は、覚えていた。
この手紙を書いて、貝殻をタイムカプセルに封印した6歳の私が、その後2年以上にわたって、何十回と万引きを繰り返していたことを。

罪悪感を正しく感じたのはこの「最初の一回」だけで、2回目以降の万引きには、私は何の後悔も、良心の呵責も感じなかった。そして私には一定の才能があったのだろう。初めて万引きをした小学校1年生から、自発的に「そろそろ止めよう」と思って万引きを止めることにした小学校4年生まで、私の犯罪は一度も発覚せず、疑われた事すらもなかった。

ただ、本当に「これが欲しい」と思って盗んだのは、水色の貝殻だけだった。
欲しくて欲しくてどうしようもなくて、苦しい気持ちで盗んだ「最初の一回」を、私はあまりに完璧にやり遂げ過ぎた。そしてその後の常習化した万引きも。
誰かが正しく発見し、適切に叱られ、必要なフォローを受けることが出来ていれば、何かが変わっていたかもしれない。大人としての目線で見るなら、そうあるべきだっただろうと思う。
もっとも、母にそれが可能だったとは思わないけれど。


地元のマリンタワーは、それから更に20年以上が経過した今も、同じ場所にある。
土産物を扱う店が今も一階にあるのか、そこに貝殻を模した飾り物が売られているのかどうか、あの日以来行っていない私には分からないけれど、その内、息子を連れて行ってみようか、と思う。

欲しいものを欲しいと騒ぎ、ダメと言われればぶーぶー文句を垂れ流す私の息子は、6歳の私のような過ちを犯すことはないだろうが、念のため――土産物を買う場合には、息子の意思をきちんと確認することと、帰りに息子が余分なものを持っていないか、慎重に確かめることにして。


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