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自分の体を「借り物」だと感じていた、という話。

私は、あまり鏡を見ない。
一日に何度か、洗面所に行ったタイミングで目にすることはある。が、自分の姿が好きとか嫌いとかではなく、単純に興味を持てない。化粧をする習慣もないので、たまにニキビが出来て痛いとか、外出する前などのタイミングでだけ多少見て、「そういえば、こんな顔だったな」という思考がよぎって、それで終わりだ。

何と言えばいいだろうか、別の肉体で生きた記憶があるとかいう話でもないのだが、どうもこの顔が「自分」だとは思えないのだ。

私が「自分自身だ」と定義している要素の中に、肉体は入っていない。ブックカバーと本の関係性のように、カバーは本そのものではない、という感覚だ。
私の肉体は、表紙のように本と一体化したものではなく、カバーのように取り換え可能なものだと、私はどこかそう考えてしまう。子供の頃からずっとだ。

特段、外見にコンプレックスを持っている訳ではない……と思う。
私の外見は非常に女性的で、かつ「人畜無害」を絵に描いたような形状をしている。
道を歩けば見知らぬ人に道を聞かれ、スーパーではうっかりするとおばあちゃんに「片栗粉ってどこかしら~?」などと聞かれる。かと思えばリサイクルボックスに入れた発泡スチロールトレイの分別を一枚間違えた、という罪を見咎められて、見知らぬおじいさん(店員さんではない)に延々と説教を食らったりもする。
一方で学生時代、ショッピングモールで親子連れをターゲットにしたアンケートを取るという日雇いバイトをした時には、3日連続で30人中1位の成績を叩き出した。

よく言えば初対面の人にも警戒心を抱かせない、悪く言えば舐められやすい外見をしているのだろう。まぁ自分でもそう思う。
といっても、私はかなりの人見知りなのでこの特徴はあまり嬉しくないし、何かが出来そうには全く見えないため、面接やビジネスの場においても微妙だ。が、少なくとも恋愛の場で外見が枷になったと感じたことはないので、そう悪く思うべきでもないのだろう。

……という感じで、私は外見に対する自己評価が低い訳ではない。今の私を美人だと言ってくれるのは息子だけだが、一応子供の頃は母や周囲に「可愛い」と言われて育ってもいる。
だが、気に入っているか?といえば、恐らく気に入ってはいない。
私は親しくない(=私の中身を知らない)人に何かの拍子で外見を誉められると、笑顔でお礼を言いつつも「見た目で判断しやがって、舐めんなよ」と、内心では喧嘩腰になってしまう。自分でも他人を外見から判断してしまう癖に、「私の中身は見た目とは違う」ということに強く執着していて、「見た目通りの中身でたまるか」とさえ思っている。女であることをはじめとして、自分の体に対して、疎外感、異物感――ある種の敵対心のようなものを感じ続けているように思う。自分に都合のいいタイミングでは武器として利用しているのに、だ。

こうした感覚は物心つく前からなので、特に疑問にも思わないままこれまでずっと生きてきたが、最近noteで色んな方の記事やアイコンを目にする内に、他の人はもっと自分の肉体に親近感を持っているのではないか、と気が付いてきた。
noteのアイコンで自分の写真(加工済のものも含めて)を載せている方はとても多い。一方的な偏見なので間違っていたら申し訳ないが、自分の写真をアイコンとして使用できるということは(個人情報を公開できるのが前提ではあるが)「この肉体が自分だ」ということを疑っていない、ということだろうと思った訳である。

世の中の大半の人は、多分きちんと自分の肉体に親近感を持っていて、良い所も悪い所も含めて「この体=自分」という肯定的な感覚があるのだろうと思うのだ。
先程の本の例えで言えば、他の人にとっての肉体は、表紙とか、場合によっては前書き・プロローグ、体に意識を向けている人なら第一章・第二章のように本の中身ともなり得るぐらい、「この体=自分」だと思えているのではないか。むしろ本来その方が自然なのではないか。そう思う。

では私は何故、大したコンプレックスもないはずなのに、その感覚がなく、むしろ反感を持っているのか。
実際にアイコンを自分の写真にするかどうかは別の話として、私が自分の写真を「自分の」ものだとイマイチ思えないのは何故か。
離人症の症状の一つ――かもしれないけれど、そもそもこの概念は、どうやって私に染みついてしまったのか。

と、そんなことを考えていたら、この言葉を見かけて一気に腑に落ちた。

――「自分の命は天からの借り物である」。

確か仏教から来ている思想だった気がする。本来この言葉は、「自分の命を自分のものだと思うな、借り物だと思って大切にしろ」という意味だ。
だが、この「借り物」という言葉こそ、私が自分の肉体に対して、昔から持っているイメージそのものだった。

では私は肉体を「誰から」借りているのか――と考えて、連鎖的に思い出した。
「可愛い」という形容詞で、あるいは私の体格や性質を別の言葉で、母や親戚が誉めるときに、前提としてしばしば出てきていた言葉。

「本当に、ヒサコ(仮名)さんによく似てるわぁ」

可愛いと誉められているのは私のはずなのに、その賛辞が向けられているのは私ではない、という感覚。
私のものであるはずなのに、母の意志で飾られ、あるいは叩かれ、怪我をすれば叱られ、私のものとして扱うことが許されない、この肉体。

物心つく前から、「亡くなった祖母にそっくり」だと言われ続けてきた私にとって、この肉体は祖母:ヒサコさんからの借り物だった。
そんな借り物の肉体に向けられた「可愛い」は、私への賛辞ではなく、私の「個」を否定する呪いであるように感じていたのだ――と。


私の母方の祖母:ヒサコさんは、私が生まれる一年ちょっと前に亡くなっている。享年52歳、昭和の時代だったことを考えても少々早い死だった。
子宮癌からの転移が広がって亡くなるまでの半年間の入院期間中、当時の病院ではつきっきりで面倒を見る家族が必要だったと聞いている。そしてそれを担ったのは、当時20代半ばだった母だった。

3人姉弟の真ん中次女で、優秀な姉と、跡取り長男として甘やかされた弟に挟まれ、両親の関心を引けなかった――という母にとって、恐らく「ヒサコさんの看病」というのは、人生で初めて家族からの感謝を十分に得られる体験だったのではないか、と思う。
他の患者の家族や看護師さんたちなどの他者から「若いのによくやってるわね」という評価も得つつ、病床のヒサコさんを独占できた当時の時間を、母は「大変だった、辛かった」よりも「楽しかった、お母ちゃんと一緒に居られたから嫌ではなかった、評価された」という文脈で語っていた。「実家を離れていた姉や弟は顔を出さなかった、薄情だ」とも言ってはいたが、手伝って欲しかったのではなく、自分をもっと誉めて欲しかったのかもしれない。

高校時代から不良化し、いわゆるスケバンとして過ごしたために高校を中退して、その後県外で働いていた母は、恐らくそれまで家族からの評価は低かったのだろうと思う。

ヒサコさんが亡くなる少し前に、「お前にこんな風に世話になるとは思わなかった」と言っていた――というエピソードもあったが、末期がんの闘病中の母親が、今付きっ切りで看病をしてくれている娘にそうしみじみと言っていたというのは、今の私から見ると引っかかる。側についてくれている娘=母への配慮が欠けている感じがする点もだし、「小さい頃から、弟が拾ってきた動物の面倒は大体自分が見ていた」とか「弟の面倒をずっと見させられていた」「祖母の面倒も見させられていた」という母の話と、どうも一致しないのだ。
母の記憶が歪んでいるのか、ヒサコさんの目線が歪んでいたのか。あるいは、母の気性の激しさや、母が非行に走ったことなどを理由に、ヒサコさんは母に対して諦めてしまっていたのか。
いずれにせよ、ヒサコさんから受けた愛や関心が、母にとって十分でなかったのは確かだろう。

ヒサコさんの看病によって、母は評価を回復したと感じた。
母は二十代の貴重な時間をヒサコさんに捧げ、その見返りに、家族から労われ、感謝され、「お前にばかりやらせて、すまない」という種類の謝罪を受けた。
それは恐らく母にとって成功体験となり、「献身的に誰かを看病すれば評価される」という刷り込みになったのだと思う。

ヒサコさんが亡くなり、喪失感から燃え尽き症候群のようになった母は、その後数か月経ってから自分の妊娠を――私が母のお腹に出来たことを知った。「お母ちゃんが死んで、どう生きていったらいいか分からなかった。でもこれで、自分の生きる意味が見つかったと思った」らしい。
ヒサコさんの入院前から交際中だった私の実父との結婚、そして翌年の出産。生まれた私は女児で、新たな介護対象を見つけた母は、再び生き生きと暮らすことが出来るようになった。

「ヒサコさんの生まれ変わり」だとまでは、流石に言われたことはない。
だが、そう言われていると小学生の私が解釈できるぐらいには、母は「ヒサコさんの死と、自分の妊娠・出産」を連続した一つのエピソードとして語り続けた。
母にとって、恐らく私は生まれる前から「ヒサコさんの代理」だったのだろう。

私がお腹に出来たことや、私を産んだことで、ヒサコさんを喪った悲しみから立ち直ったという話自体は、心境的には理解できる。ある程度自然な話でもあると思う。
だが、母のヒサコさんへの執着は、自然な親子関係の範囲を超えていたのだろう。そして「ヒサコさんの代理」であることを補強するかのように、私はヒサコさんに似ていた。少なくとも母はそう解釈し、私を従順な着せ替え人形にしつつも、同時にヒサコさんの代わりを務めさせることを正当化してしまったのだろう。

私の成長に従って増えていく、私とヒサコさんの共通点を、母は実に嬉しそうに数え続けた。

母よりも温和な顔立ち。
量が多く、一本一本が太く、癖の少ない髪質。
小柄で骨が細く、撫で肩の体格。
感情の起伏が激しくなく、機嫌が安定していること。
運動が苦手で、体力がないこと。
方向音痴なこと。
勉強に抜きん出ていて、学校での評価が高いこと。
本を読むのがとても好きなこと。
体が弱く、よく風邪を引くこと。
車酔いをしやすいこと。

実際のヒサコさんの写真を見る限り、ヒサコさんの顔が私とそこまで似ているようには、私には思えない。このレベルで「そっくり」「生き写し」と呼べるなら、私は街を歩くたびに堀北真希や前田敦子と間違われてサインをねだられたり、そっくりさんとしてスカウトされていなくてはいけないはずだ。……すみません、ちょっと盛りました。

どうあれ、母方の親戚や近所のご老人など、生前のヒサコさんを知る人には、初対面ではほぼ間違いなく「ヒサコさんにそっくりねぇ」と言われるので、多分本当に、ある程度以上は似ているのだろう。恐らく背格好や雰囲気、声なども含めて。

私が息子の妊娠・出産で体重が激増した時期、母は非常に喜んだ。
晩年のヒサコさんは太っていたらしく、同じように太った私はより一層、ヒサコさんに近く見えたようだ。
「立派に見えるようになった」「おっかさんらしくなった」という表現で、繰り返し私の体重増加を誉め続ける母を、私は何年も受け流しつつ辟易していた。昨年からダイエットをして元の体形に戻したことを、母は隙を見ては「やせ過ぎは健康に良くない」という論調で咎めて来ているが、その本音としては、「私がヒサコさんと同じ」でなくなったことが嫌なのだろうと踏んでいる。

そう考えると、子供時代の私に完全服従を要求しつつ、同時に母の一番の理解者であることを求めていた母の言動は、「もっとヒサコさんを愛し、愛されたかった」という一貫した感情から来ていたのかもしれない。

闘病中のヒサコさんにそうしていたように、私の物理的な面倒を完璧に見た上で、それを他者から高く評価されること。
そしてヒサコさんにそうして欲しかったように、私が常に母に注目し、母の話をいくらでも聞き、母の全てを肯定し続けること。

ヒサコさんの代理として私を愛し、私からの愛を要求する事で、母は自分の満たされなかった部分を埋めようとしていたのだろう。
母は昔から、私の肉体に関してはあまりネガティブな事を言わない。体が弱い・体力がないことなども含めて、「ヒサコさんもそうだったからねぇ」という理由がつく範囲においては、私の肉体の欠点も、精神的な欠点も、母は許容し続けてきた。

それを子供時代の私は、言語化できていなくてもどこかで理解できていたのだろう。
だから私は自分の体を「借り物」だと――母に愛され、必要とされているのは自分の「器」であって私自身ではないのだと、つまり「器」と「私の個」は別のものだと、そういう概念で納得してしまったのだろうと思う。

ヒサコさんの悪口を、母は言ったことがない。
母にとってのヒサコさんは「時々天然な所があったり、たまに他人事のようなトボけた発言をしたりする、愛すべき母親」としてのみ語られる。
自分たち子供のことを十分に構えなかった、愛情を表現できていなかったことは、「父親の給料が安いせいで働きに出る必要があって、ヒサコさんは忙しかった。父親が悪い」と正当化され、母の中でヒサコさんは神格化されていると言ってもいい。

以前の私が、母を神格化していたように。
ヒサコさんの発言は全て、絶対的な預言や信託であるかのように語られ、ヒサコさんの至らなかった点や、人格的な欠点は、母の口からは全く語られないのだ。
――つまり、やはりヒサコさんも母にとっての毒親だったのだろう。母とは異なる種類の、無関心・放置系だったのだろうけれど。

ヒサコさんの遺影は、今も私の家の仏間に、曾祖父・祖父の遺影と並んで飾られている。
私や母と似ているような似ていないようなその写真を、外すのは私の仕事になるはずだ。恐らく母が死んだ後に。

直系の血族である以上、私とヒサコさんがある程度似ているのはどうしようもないことだと思う。
ただ、私のできることは――ダイエットに成功してヒサコさんから遠くなった今の自分の体形を、自分の健康のために維持することと、ヒサコさんとして振舞う必要はもうないのだと、自分の奥底から納得すること。
そして、ヒサコさんと同じ過ちを繰り返さないように全力を尽くすこと、だと思う。

その先に、私が自分の肉体を、自分という本のブックカバーではなく、表紙だと思えるようになる日が来る――ことを願って、自分の肉体へも少しずつ、愛情を向けられるように努力していこうと思う。

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