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『義母、襲来』、という話。

2023年8月27日、時刻は12:24。
そろそろお昼にしないとだな、そうめんで良いか、などと考えつつPCの前から立ち上がろうとしたところで、スマホの着信音が鳴った。
電話が苦手な私はその時点でドキッとしつつ、画面を確認する。画面に表示されているのは義母の名前。

咄嗟にシカトしてしまいたい衝動に駆られたが、お盆時期に義母宅を訪問した時に調べ物を頼まれていた件を思い出し、その話かもしれないと思い直して電話に出る。

「もしもしー!ワタリさんー?ごめんねー!今家にいるー!?」

うげ。
上の世代特有の「電話だと何故か無駄に声を張り上げる」話し方はともかくとして、この無闇に機嫌の良さそうな声のトーン。義母の声の後ろに聞こえるエンジン音。つまり……!!

「今ねー!近くに来てるんだけどー!届けたいものがあるのよー!それでー!ワタリさんちの!ほら、近くでしょー!?○○屋って所をー!さっき、通り過ぎたんだけどー!ワタリさんちってどの辺だったっけー!?そこの坂を上がった所に今いるんだけどー!!」

脳内に『義母、襲来』という白い明朝体のテロップが表示され、「特別非常事態宣言が発令されました」というアナウンス音声、続いてデーレッデッデッデッデッ(ちゃりらりらー)、と第三新東京市の激戦のBGMが流れ出す。
「あ、大丈夫です家にいます」と答えつつ、電話に出なきゃよかった、という後悔が早くも押し寄せてきた。
来ただけでも緊急事態な上に、迷子の道案内とか勘弁してくれ。

我が家から車で30分ほどの距離に住む義母は、車を持っていず、というかそもそも運転免許を持っていない。なので義母が我が家の近くに来たという時点で、誰かの運転する車に乗せてもらっている状況は確定である。
そして義母が直近で我が家に来たのは、約4年前の私の父の新盆のタイミング。義母は私とタメを張るレベルの方向音痴で、かつ車を運転する習慣もないために、私の家の具体的な位置までは記憶に残っていなかったのだろう。まぁまぁその割には、運転手である誰かに何とか情報を伝えて、近くまで来られた事そのものが、たぶん快挙なような気がする。

だが。義母の説明はさっぱり要領を得ず、私の方も地図を読めない女であるため、義母の主張する現在位置が見当すらつかないし、我が家の場所を説明しても全く義母に伝わらない。もう頼むから運転してる人と電話代わってくれと言いたくなるような押し問答が続き、何とか近くの目印になる看板の場所を伝えて、そこまで戻ってくれるよう頼み、一旦電話を切る。

「誰から電話だったぽよ?」と聞いてくる息子に、ババが~などというと面倒になりそうなので「後でね!」と言い残し、とにかくスマホを掴んだまま、クロックスをつっかけて外に走る。直射日光がクソ熱い。
届けたいもの、とは一体何だ。義母の「渡したいもの」は、どんなに良いものであっても「貰い物の食料品のごく一部」を上回ったことは過去にない。同行者がいるなら拘束時間も長くはならないだろうが、わざわざ運転手さんと私を巻き込んでおいて、どうせ大したものじゃないだろうと思うとゲンナリする。

目標地点まで到着し、太陽光をこれでもかと浴びながら、目の前のだだっぴろい道路にそれらしき車が来ないかと見回しながら待つ。
少しずつ落ち着いてきた思考回路で、こういう所なんだよなホントに、と深くため息をついた。

義母の事は、別にそこまで嫌いなわけでもない。
が、とにかく相性が悪い。義母の「良かれと思って」が私にとって嬉しい事だった試しがなく、私からすると義母は常に、何らかの面倒事を発生させるだけの相手なのである。
義母の、あらゆる意味で他人を配慮しない(ように見える)性格もあるだろう。義母なりに気を使ってはいるのだと思うし、常に誰か、車を出してくれるお友達を確保できてはいるようなので、それなりに相性がいい相手も居るのだろうけれど。

夫との結婚当初は、私も義母のアッシーにされそうになっていたのだが、当時は私が仕事をしていたため、それを理由に上手く距離を取ることが出来た。無職になってからも、私が実家に同居しているというのが何らかのブレーキとして効いているらしく、そこまで面倒な要求はない。
特に、夫に「死ね」と叫んだ事件以降は、夫が義母との連絡を積極的に受け持つようになってくれたこともあり、義母から直接接触があること自体が、年に1,2回のレベルである。

なのでまぁ、義母からの電話や訪問があったからと言って、そこまでビビる必要はない。ないのだが、私はそもそも電話や急な来客が非常に苦手で、自分でポチったamazon商品を届けてくれたクロネコヤマトにまでイラついたり、居留守を使ったりしがちなほどだ(コロナ禍で置き配をしてくれるようになって本当に助かっている)。そのため、こういう「不測の事態」の塊のような出来事は非常にビビるし、めちゃくちゃストレスを感じてしまう。

対人コミュニケーションに関して非常に面倒くさいタイプの私と、自分の都合だけでこういうことを平然とやらかす義母。人間的な好き嫌い以前の問題として、行動原理の時点で非常に相性が悪いのである。

もう少し日陰のある場所を指定すればよかった、と私が後悔し始めた頃、黒い軽自動車が目の前に止まった。助手席から義母が降り立つと同時に「ワタリさん急にごめんねー!あれ、こっちの方だったの!?」と、微塵も悪いと思っていなさそうな声が発せられる。

――15日ぶりだな。
――ああ、間違いない。……義母だ。

私の脳内でゲンドウさんが呟く一方で、義母はいつものマシンガントークをぶっぱなし始めた。
道を間違えるに至った経緯に始まり、運転手を務めてくれた推定70代のふくよかな女性の紹介、義弟宅の家にはよくこうした届け物をしているのにも関わらず、我が家には来たことがなかった事についての言い訳、そして先日夫が旨いと誉めたキムチを買って届けに来たのだという本日の襲来の理由までが、怒涛のように語られる。

そこまで聞いてようやく合点がいった。
そういえば、お盆イベントで義母は、義弟宅に何か物資を届けに行った時にちょうど下校してきた義弟の子に会った、という話をしていた。私は特に何とも思わずいい加減な相槌を打ったのだが、なるほど。義母は末っ子の義弟の家にはちょくちょくモノを届けに行っているのに、次男である夫の家には全く来ていないことに思い当たって、夫の心情と公平性を鑑みて、我が家にも物資を届けに来た、という話なのだろう、きっと。

義母が夫よりも義弟の方を可愛がっている状態は今更の話で、夫の方も義母を苦手と公言しているぐらいなので、大して気にする必要がある事柄でもない。が、流石に義母の方はそうは思っていないのだろう。
三人兄弟を育て上げた母親の心情として、それ自体はまぁまぁ悪くない発想だと思う。惜しむらくは、そこそこデカい2パック分のキムチを、傷んでしまうよりも前に夫が一人で食べ切れるかどうか怪しいあたりだろうか。
なお私は辛いものが全部アウトで、キムチなど一口でも食べたら確実に火を噴くし、息子も同様である。

「それで、そこのが美味しいって聞いたからわざわざ買いに行ったの!これ、だから食べさせてやってちょうだいね!!」

分かりましたー、ありがとうございますー。と営業用スマイルで答えると、義母は更になんだかんだと喋りながら車に乗り込み、お友達(?)の運転でさっさと走り去っていった。私の手には、香り高いキムチが大パック2つ、残された。

――こういう所なぁ、多分悪くはないんだけど、残念なんだよなぁ。

まぁ、ついこの間会ったばかりと言えばそうなのだが、例えば孫である息子の様子を聞くとか、自分の子である夫の話に限定するにしても、体調や仕事の様子を少しは気に掛けるとか、何かないのか。
私に関して何か聞いて欲しい訳でもないし、答えるのも面倒だから聞かれないのは全然構わないし、むしろ助かるまであるのだが、なんかこう……である。
夫についてアスペルガー症候群ではないかと疑惑を持っている私としては、義母もかなり強烈にそっちの傾向があるのでは?と思わざるを得ない。

そんなことを考えながらキムチを持って家に戻ると、息子が「何だったぽよー?」と聞いてきた。事情をざっくり説明する。

「それでババが届け物って、何を届けてくれたぽよ?」
「キムチだよ、ほら」
「えー!?そんなのいらないぽよーーーーー!!」

デスヨネー。
キムチだけでなく、せめて飴玉の一つでもつけてくれれば、息子の好感度も稼げただろうに。実に残念なおばあちゃんである。

まぁ、どうあれ義母は無事に去った。しばらくは夫の夕飯のおかず量を少なめにして、キムチの消費に勤しんでもらおう。
ここでキムチ炒めやキムチ鍋などの選択肢があれば消費が捗るのは分かっているが、私も息子も食べられない食料をわざわざ作る気にはなれない。

――実は、つい先日スーパーでキムチ買っちゃったばかりなんだよねぇ。

パックの7割ほど残っている「ご飯がススム」を一番上に重ねた、3段のキムチの山(総重量:推定1kg)を作り、私は冷蔵庫を閉じた。
果たして、これらのキムチを全て消費しきれるのか。夫の頑張りに期待したい所である。

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