占領下の抵抗(注xxi)

三島由紀夫志賀直哉と結ぶ線で理解しようとする時、その補助となるのは坂口安吾ではないかと思います。

三島は戦後の無頼派と呼ばれた作家達の中で、太宰治よりも坂口安吾を高く評価していました。

坂口安吾全集の推薦文で三島は

何たる悪い世相だ。太宰治がもてはやされて、坂口安吾が忘れられるとは、石が浮かんで、木の葉が沈むようなものだ。

無題(「坂口安吾全集」推薦文)

と述べた後、

坂口安吾は、何もかも洞察してゐた。底の底まで見透かしてゐた

無題(「坂口安吾全集」推薦文)

と述べています。

坂口安吾は何をどのように洞察し見透かしたのだろうか?

有名な「堕落論」の中で坂口安吾は述べています。

元来日本人は最も憎悪心の少い又永続しない国民であり、昨日の敵は今日の友という楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。昨日の敵と妥協否肝胆相照すのは日常茶飯事であり、仇敵なるが故に一そう肝胆相照らし、忽ち二君に仕えたがるし、昨日の敵にも仕えたがる。生きて捕虜の恥を受けるべからず、というが、こういう規定がないと日本人を戦闘にかりたてるのは不可能なので、我々は規約に従順であるが、我々の偽らぬ心情は規約と逆なものである。

「堕落論」

だからこそ

いにしえの武人は武士道によって自らの又部下達の弱点を抑える必要があった。

「堕落論」

のであり、その必要によって生まれた武士道は

人性や本能に対する禁止条項である為に非人間的反人性的なものであるが、その人性や本能に対する洞察の結果である点に於ては全く人間的なものである。

「堕落論」

これが三島由紀夫がこだわった武士道に関する坂口安吾の既定だとすると、

もう一つの三島の思想の鍵である天皇については
どうだろうか?

天皇陛下にさゝぐる言葉」の中で坂口安吾は述べています。

天皇が我々と同じ混雑の電車で出勤する、それをふと国民が気がついて、サアサア、天皇、どうぞおかけ下さい、と席をすゝめる。これだけの自然の尊敬が持続すればそれでよい。

「天皇陛下にさゝぐる言葉」

私とても、銀座の散歩の人波の中に、もし天皇とすれ違う時があるなら、私はオジギなどはしないであろうけれども、道はゆずってあげるであろう。天皇家というものが、人間として、日本人から受ける尊敬は、それが限度であり、又、この尊敬の限度が、元来、尊敬というものゝ全ての限度ではないか。

「天皇陛下にさゝぐる言葉」

このような武士道と天皇に関する坂口安吾の洞察を三島由紀夫は受け入れていたのだろうか?

受け入れていたと考えると、三島の武士道と天皇に関する発言と思想も、だいぶ違って響いて来ます。

それは本文中で取り上げた志賀直哉の

「天子様のご意志を無視し、少数の馬鹿者がこんな戦争を起す事のできる天皇制」には反対でも「天子様と国民との古い関係をこの際捨て去つて了う事は淋しい」

「 」内『天皇制』より[12]

と云う朴訥ぼくとつな認識とも更に近づいて感じられて来ます。

引用文献:  

① 決定版三島由紀夫全集34
著者 三島由紀夫
発行 2003.9.10. 2刷2012.10.5.
発行所 株式会社新潮社
所収 無題(「坂口安吾全集」推薦文)
〈初出〉坂口安吾全集 内容見本・冬樹社・昭和42年11月 
〈初刊〉三島由紀夫全集33・新潮社・昭和51年1月


②「堕落論」青空文庫 
2006年1月11日作成 2012年5月19日修正
底本:「坂口安吾全集14」ちくま文庫、筑摩書房1990(平成2)年6月26日第1刷発行
底本の親本:「堕落論」銀座出版社 1947(昭和22)年6月25日発行
初出:「新潮 第四十三巻第四号」1946(昭和21)年4月1日発行

③「天皇陛下にさゝぐる言葉
青空文庫 2007年2月18日作成
底本:「坂口安吾全集 06」筑摩書房   1998(平成10)年7月20日初版第1刷発行
底本の親本:「風報 第二巻第一号」
1948(昭和23)年1月5日発行
初出:「風報 第二巻第一号」1948(昭和23)年1月5日発行


この記事は↓の論考に付した注です。本文中の(xxi)より、ここへ繋がるようになっています。

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