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【己を知る】絶縁中の妹への思いが出てきた~!セルフリーディング#1

こんにちは、フミコです。一昨日、セルフリーディングをしていたら、絶縁中の妹への思いが出てきて、自分でもめちゃくちゃ驚いたので記録しておきますね。私と同じような状況で在ったり、何かピンと来るかたへのヒントになれたら幸いです。

最初は母が出てきた

リーディングを始めたら、パートナー、実父に続いて、他界した母が浮かんできました。母があの世から私に何か伝えたいのかな?そんな事を思っていると、逆にこちらが母に伝えたいことが次々と出てきました。
「心配はもうしないで」「お願いだから心配はやめて」「重くなるから。引っ張られるのよね」「心配は愛じゃないから」「私を信頼して見守ってほしい」「もう引っ張らないで」「自由になればフミコは上がるから」「本当のフミコは自由で軽いよ」「何にでもなれる」
自分でも母に対して、ここまでそう思っていたのか!と驚くほど出るわ出るわ状態になってました。

すると、今度は母から「わかったよ、私も今は軽くなったから、あなたももう大丈夫だね」と伝えてきたのです。

生前の母の悩みとは?


生前の母が、いつまで経っても年相応に落ち着けない私に対し、「今、私は生活の悩みもなくて、幸せな毎日なんだけど、悩みの種はただ一つ、あなたの事だけが心配で心配でならないのよ」と面と向かって言われたことがありました。
私は幼少期に大けがをし、父親のお陰で一命を取り留めた経験があります。けれども怪我の後遺症もあって、食が細く、身体も弱かったので、母がやせ細っている私に何とか食べさせよう、強い子になってほしいという思いの中で育ちました。
4歳下に妹が居るのですが、私とは正反対で身体も大きく、好き嫌いなく良く食べるし、頼もしいキャラだったため、余計に私が親の心配の種になっていたのでしょう。

自分を好きになれなかった私

いい大人になってからも、親に「唯一の心配の種」と言われた私は、自分を信じることができず、何をやっても親に心配をかける存在でしかないと思うようになっていました。なんて自分はダメなんだ、妹と比べて自分は家族のお荷物でしかないと。
父親も、私と妹を頻繁に比較しては、私が妹よりも劣っているところを次々とあげてゆきます。そのたびに私は、妹さえいなければこんな思いをしなくていいのにと大泣きでした。
そしてどんどん妹が嫌いになりました。親に可愛がられる妹をいじめるようになりました。一緒に遊んでと言われても、自分は友達と出かけて、妹は連れて行きませんでした。実際4歳も下だと、友達と一緒の時は妹が足でまといになって、自由に遊べないのもありました。すると今度は妹も私を嫌うようになっていました。そんな姉妹が不仲な子供時代を過ごしましたが、双方がある程度成長すると、洋服を交換しながら着てみたり、新幹線で東京に二人で行ってみたりと仲良く過ごした時期もあります。
けれども再び不仲になったのは、妹が結婚してからでした。お婿さんを迎え、家業を継いで子供も産んでと、着実にこの世での成功を手にする妹に対して、私は別居、離婚、バツイチと人生転落の道を歩みます。するとまた両親が私と妹を比べるのです。親でなくとも誰が見ても、姉の私が不出来とわかります。どんなに挽回しようと頑張っても、人生の空回りは加速するばかりでした。
妹と絶縁になった決定的分岐点は、母の癌がわかった時でした。あの時は、家族皆が混乱していました。当然私も、その時の最善を母にしていたつもりが、妹にしたらそれが許せなかった。そんな経緯が私たち家族にはありました。

心配する母への私の本音は?

リーディングに話を戻しますと、母が不出来な私をいつまでも心配の種としていたのは、幼少期の大けがが大元にあったからです。けれども、この世を去って母自体が軽くなったことにより、私への心配という負のエネルギーを解放してくれたようでした。
自分が心配の種と言われた私の母への思いは、「親が子供を心配するのは愛情ではないと思う。私を氣にかけてくれるのは本当に有難いし、嬉しいけれど、心配となった地点で負の感情となり、私の成長の足を引っ張るように思えてならない。なぜ自分の子供を信頼できないのだろう?私が産んだ子なのだから、何があってもあなたは大丈夫。いつも見守ってるからねと、嘘でもそう言ってくれたら、私は自分を信じて本来の力が早い時期から発揮できただろうに。」こんな風に思っていました。

忘れていた自分の本音

次のリーディングでは、2歳の私が、母親に抱っこされて家の前で写真を撮ってもらっているシーンが出てきました。当時の借家で一人立っている私も出てきました。その頃の自分が母に何かを伝えようとしていました。「フミちゃんは妹が欲しいの」
え??これには、めちゃくちゃ驚きました。リーディング中に顎が外れるかと思ったほどでした。
だって、絶縁している大嫌いな妹ですよ?妹がまだこの世に出てくる前の私は、そうか!妹が欲しいとお母さんに頼んでいたんだ!ようやく自分の忘れていた思いが蘇ってきたのです。

すぐにでも動きたかった

お姉ちゃんになりたくて、一人がさみしくて、可愛い妹が欲しかった私。私と妹の間には、流産した多分、弟になるはずだった子がいたようでした。それもあって、尚更妹に生まれてほしかった。なのに、妹と仲良くできなかった自分。
実際、幼稚園時代に生まれた妹に一刻も早く会いたくて、私が毎日幼稚園から走って家に帰ってきたと聞きました。昔は妹が大好きなお姉ちゃんだったと。
私と妹が不仲になったのは、大けがや親の比較が原因であり、妹は何も悪くなかったのです。
それがわかった私は、リーディング直後、すぐにでも妹に電話したいと思いました。絶縁から何年も経っているけれど、こんな氣持ちになったのは初めてでした。
けれども、衝動的に電話をするのはぐっと堪えました。ここで不用意に動くよりは、もっともっとリーディングを深めてからでも遅くないと思ったからです。

まとめ

実家は田舎町なので、町内でも私たち姉妹の不仲は有名でした。友達や知人からも、なぜ姉妹仲良くできないの?とか、仲良くした方がいいよと何度も言われていたほどです。
けれどそうできなかったのは、私の強すぎた自我が邪魔していたのだと今となっては感じます。

今後は、更に自分でも忘れていたり、思ってもみないことがわかるようになるでしょう。今回リーディングをしてみて、まさか2歳の自分の願いを思い出せたのは大きな収穫です。既に他界している母との関係も良くなっているので、いずれ父や妹との関係もリーディングによって修復できると考えられるようになりました。
本日もお読みいただき有難う御座います。

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