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笑いと恐怖は紙一重、と言う事について

こんにちは。俗に笑いと恐怖は紙一重、と申しますが、皆さんの中にもゾンビ映画で爆笑してしまう、とか楳図かずお先生のまことちゃんが怖い、とかそんな経験をした方がいるかも知れません。今回は私の紙一重経験について、お話したいと思います。

 今を遡ること遥か昔、暗い受験期を潜り抜け、私も無事に志望大学に合格することが出来ました。ずいぶん田舎にある大学で、田舎というよりは山、山の中に校舎が点在していると言った方が良い様な大変自然に恵まれた場所でした。

 しばらく自宅から通ってましたが、やはり下宿に切り替えたいと言う事で大学近辺の下宿先を物色していると月二万五千円という当時としても破格な下宿がありました。近辺では一番大学に近い所で、近いと言うよりはもはや大学の一部、つまり山の中にある物件でした。

 アパート、とかマンション、とか言わないのは、その下宿は木材の柱にトタン板を巻き付けた様な掘建て小屋で、風呂なし、便所は共同のボロ小屋が外に建っている、というかその下宿自体がほぼ便所の様な建物だったからです。あまり難しいことを考えない性格だったせいで、これでいいじゃん、二万五千円は安い、と即決しましたが、決して安くないと言うことを後で思い知りました。

 さっさと荷物を入れて暮らし始めた最初の夜はなかなかのものでした。周りは山、壁は極薄で野宿しているのと大した差がないために、物音一つしない暗闇は恐怖以外の何物でもなく、電気をつけっぱなしにして、寝たのか起きてたのかよくわからない状態で翌朝を迎えました。稲生物怪録という、お化け屋敷に住み続け根性試しをするという昔話がありますが、まさにそんな感じで三日間くらいが過ぎました。

 三日も経つと人間慣れるのも早いもので恐怖も薄らぎ、まあこんなものだろうと当たり前の生活となります。6畳の引き戸をガラッと開けるとそこはクリアランスゼロで道路、春になると部屋の四隅から草が生えてきたり、朝目覚めると、背中に違和感を覚え、敷布団をめくると床を突き破って竹の子が生えている、とまあ生活はそんな塩梅でしたが、それにも慣れてしまい、そのうちに雀の飛び方で何時間後に雨が降るのがわかるとか、そういった進化なのか退化なのか良くわからない適応をしていきました。

 当時私は大学の軽音部に所属しており、部室は山中にありました。夜になって誰もいない時は好きに使えるので、ドラムの練習などをしに山中の獣道みたいな所を歩いていくのですが、時々黒い茂みに白くてフワフワしたものがガサついたりします。どうせウサギかなんかだろう、仮にウサギじゃなくたって問題ではない、とその頃には真夜中の山中とか真っ暗な森とかも全く平気になっていました。

 大学のある所は戦国時代に有名な合戦のあった所で、僕は霊が見える、とかあの場所で鎧武者の幽霊が出た、とかそんな話をまことしやかにする連中もいましたが、私は、ほうほういわゆる霊感ですか、そりゃすごいですね、とやや冷めた態度をもって接しており、全く気にしてませんでした。それでバチが当たったのか、この後しばらくしてから少し不思議な経験をする事になります。

 私が住んでいた所から街へ出ようと思うと車かバスしかありませんでした。乗ってた車の調子が悪くバスで街まで出ようと思ったある夕方の事、山の中にポツンとあるバス停兼待合室の様なところで一人ボケーッとバスを待っておりました。バスを待つだけですからコンクリの壁と観音開きのガラス戸、ベンチ以外は時刻表しかない無愛想な建物です。

 その日は雨が降ったり止んだりの夏の曇り日で、鬱蒼としたいつもより暗い夕方でした。外を眺めていると、少し雨が強くなった、と思うよりも早く雨足が強まり、あっという間に雷混じりの土砂降りになってしまいました。空に黒雲が渦巻いて、そのあまりの変化の速さに呆気にとられていた時です。

 バーン!と大きな音がして観音開きのガラス戸が全開になりました。開ききっても尚、ビリビリと震えています。物凄くビビりましたが、風だ、これは熱帯低気圧というやつだな、と恐怖を払拭すべく自分に言い聞かせていると、何か音が聞こえてきます。

 コンクリの天井あたりでパチッという小さな音、それを皮切りに音が段々とパチパチ響いてきました。そのうち音に緩急がつき始め、そこで誰かが走っているかの様な足音めいたものに変わっていきます。タタタッとかけるような音、足を踏み鳴らすような音、そんな複数の音が混じり始め、その頃には私はかなり平静を失っていました。

 タタタ、と駆けてドン!と踏み鳴らす、そのドン!で私がビビると、それを見ていたかの様にドン!ドン!が続きます。そこで突然悪意の様なものを感じ、鳥肌が立ちました。姿は見えませんが確かに何かが私を脅かそうとしている気配が感じられます。そしてすっかり取り乱した私は、、、

念仏を唱えたのです。

受験の時ですらなかった様な真剣さで、神なのか仏なのかわかりませんが、とにかく念仏を唱えながら一心不乱に救済を祈りました。あんなに真剣に何かをやったのは人生で数えるほどしかなかったと思います。私の願いが通じたのか、音はだんだんと止み、雨もやや小降りになってきた所にバスがやってくるのが見えました。

 大急ぎで外へ飛び出し、バスに乗り込みました。運転手さんは怪訝な顔をしていたかもしれません。すぐにバスは走り始め、件の待合室は後ろに遠ざかっていきました。

 あちこちの停留所から近所の爺さん婆さん達がバスに乗ってくるのが本当にありがたく、恐怖にしばらく痺れていた様な頭も段々と元の感覚を取り戻していきました。頭の痺れが取れるにつれ、先程の出来事を反芻する余裕も生まれてきました。いったいあれは何だったんだろう、やっぱり風?あの音は?などと考えているうちに念仏を一心不乱に唱えている自分の事が思い出されました。

 改めて思い返すとあんなに真剣に念仏を唱えている自分の事が妙におかしく思えてきます。いや、あれはないよな、ナマンダブ、ナマンダブとか言っちゃって、しかも手まで合わせてたよな、と思い返せば返すほど、笑えて笑えて仕方がありません。バスの中なので含み笑いを堪えつつ、目当ての駅についてバスを降りたときにはすっかりニコニコ顔になっていました。まだ体には恐怖の感覚が残っているのですが躁病にかかったかの様に笑えて仕方がない、これが笑いと恐怖は紙一重というやつかと実感し、とりあえず一杯飲みにいくことにしました。

 こうした事は一度きり、その後はずっと怪しい出来事に出会うこともなく程なく深夜の山中を徘徊する生活にもどり、学生時代を過ごしました。

 とまあ、くだらないことを長々と書いてしまいましたが、ここまでお付き合いくださいましてありがとうございます。


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